第15話 戯言
大阪に移された政府。実際は内閣のみで、副大臣や政務官はそれぞれの地元に帰って行った。
各省庁の官僚は未だに集結していない。だから事実上政府は機能していない。
集まったところで仕事をする場所が確保されていないのだから集まりようがない。
天皇陛下は御所におられるので京都のほうが体裁はいいはずだが、都合がいいのが大阪だった。
秋には国政選挙が控えており以降の政権は未定である。しかし現在の与党は当然勝つつもりでいる。
春の知事選挙はことごとく負け続け、与党の支持率は数字以上に悪い。ましてや4つの外国軍の侵略を簡単に許してしまう上に、首都である東京を放棄した事実。
負ける要素しかないないが、与党の一部で大逆転のシナリオを用意していた。もちろん政治構造の大変革が必要になるが自分たちが中心になることで権力を維持しようということだ。
いくら災害が重なったこととはいえ、もはや国民のほとんどは日本という国が事実上崩壊してしまったことを受け入れた。そうなると新しい国を作っていくのに、明治維新からの系譜の政治は邪魔な存在となっている。
そもそも明治維新は民主革命ではなかった。「維新」という言葉がそれを意味している。関が原で負けた地方武士が中央の武士から政権を奪っただけである。
それだけでは体裁と伝統的倫理や宗教に反するので、天皇を祀り上げ自分たちは仕えることとして国民に対して正当性を示した。
外国の近代的で新しい文化と価値観を入れ、旧体制は古くて不便なものとしたことで民主的な雰囲気をつくった。外国の価値観と併用するが芯には天皇家を中心とする日本伝統的な神道の倫理道徳が残った。
武士の国であることは変わらないので戦争を推進することは当たり前で、第二次大戦で負けるまで続いた。敗戦国となって一時はそれまでの政治系譜は絶たれたが、数年で復活することとなる。
つまり現在まで維新政治が生きている状態にある。だから古い価値観が残り、海外の先進的な価値観は受け入れられることはなかった。
最近ではコロナと五輪ではっきりしてしまい、国民は日本の政治のゆがみを目の当たりにした。
経済が順調で好景気なら政治が腐っていようと国民生活は潤うので関心が薄くなる。しかし不景気になると民間は政治にすり寄ってしまい、同じように腐ってしまった。
末端の労働者ほどしわ寄せが来て格差が広がった。しかし消費者というのはそう人々になるので結果的に不景気になるのは当たり前。
しかも間の悪いことに団塊ジュニア世代がもろにかぶってしまい、本当なら豊富な労働力と高学力で優秀な国民となるべきところを、収入の低下と未婚率の上昇で少子化になった。
さらに名ばかりの男女雇用均等法で優秀な女性が未婚傾向になり、改善するには女性が働きやすい環境を整備しなければならないところを、伝統的男女観をもっている維新系譜政治により全く進まなかった。五輪のごたごたを見せつけられても変わることはなかった。
五輪に多額の投資をして回復をもくろむがギャンブル依存症と同じ。そして大負けを喫してしまい、追い打ちをかけたのが地震と噴火。
個人なら財産と自宅を喪失しても保護を受けてどうにかなるが国家はそうはいかない。どこかの国の隷属となる道のみ。
日本が未曽有の災害で首都機能が破壊されたことに付け込んで同時多発的に侵略を始めた周辺国。
スクランブル対応をした自衛隊とアメリカ軍の力及ばなく、北と南の領土を失う。
人命被害が無かったことが救いだったからか、侵略をも自然災害のごとく国民は受け入れた。
全ては慎重で緻密な計画が成功した結果である。
もちろん日本が容認しなければ実行されることはない。しかしそのシナリオと根回しは政権が考えたことではなかった。
東京が壊滅的な被害が出ていることは世界中に発信された。噴火が小康状態になり雨が降りどうにか通信が復活すると、各国の報道機関と民間人のSNSで一斉に広まった。
中国でその一報を知った北京の幹部は、東京に住む日本人の知人とすぐさま連絡を取った。無事を確認すると、コロナで会えないことや五輪や政治のことなど色々話が進んだ。
数分後、その日本人に台湾から着信があった。中国の知人と同じような話をそこでも行われた。
翌日メールがロシアから同じ日本人あてに来た。内容は昨日に中国と台湾から同じ話が舞い込んだんだが事実なのか。本気で日本のため、いやあなたのためになるのだろうか。ということだった。
話は本当だが妄想だと男は答えた。
各国の三人はそれぞれ自国や日本で世話になった日本人を通じて知り合った友人同士だった。
中国人は四十代の男性で現在は中国共産党の幹部になっている。20年前に日本の札幌に留学しているときに飲食店で調理のアルバイトをしていた。その時いろいろ面倒をみてくれたり、差別的な扱いをする料理長との間に立ってくれたり、休みの日にはいろいろ遊びにドライブにと連れまわしてくれた。
そして留学生だけが住んでいるマンションにも遊びに来てくれた。その日本人が東京に住んで被災している。何か助けることはできないか考えるのは当然だった。
台湾人は六十代の政治家で、台湾が大地震で被災した翌年に長期で旅をしていた日本人と知り合った。
ある夜に行きつけの食堂から電話が入り「日本人と一緒に飲んでいるから来ないか」と誘われた。
大事な支援者の店なので遅くであったが断らず行った。当時は県議会議員だった。
そこに居た日本人は三十代で中国文化にも深い知識と見聞で意気投合した。翌日に郊外のレストランで御馳走しながら話の続きをするほど親睦を深め、数日間は共に遊んだ友人となった。
ロシア人は札幌に駐在しているときに日本人の彼と知り合った。彼はデパートで着物を売っていた。妻へのお土産としてどうかと相談をし、着方や保管方法や文化を丁寧に教えてくれた。
その夜にススキノで再び会い話がはずんだ。そこで海外の人間とは連絡を取り合っていることがわかり、お互いに紹介しあった。
その仲間達が被災した日本人知人のために動いた。
最初は何気ない愚痴から始まった。
コロナで東京は酷い状態、政治の膿が垂れ流され誰も回収できないから国民が汚れるままになっている、いっそのこと壊滅した東京は捨てて領土も国力に合わせて小さな国になれば少しはよくなるのでは。実現すれば日本は戦後復興のように奇跡とされるのでは。
まあ無理な話で現実的じゃないけど、一斉に戦争でも仕掛けてくれればどうにかなるんじゃないかな。もちろん水面下での話で誰も死なないようにヤラセの戦争だけど。
男のいつものような空想あふれる飲み会の話レベルだった。しかしそれを知った周辺国の知人たちが自国で影響力のある地位となっていたことを男は知らなかった。
最初に動いたのは中国だった。彼は留学前は北京市の軍隊にいて奥さんと一緒に日本に来ていた。
帰国後は堪能な語学と好かれる人間性で軍内で出世し続け、アメリカでいうCIAのような機関で幹部となっていた。
彼は党の上層部と面会をし事のあらましや計画を伝え、進捗によってはゴーサインの許可をもらうところまでいった。
関係機関に指示をだし、まず朝鮮半島のそれぞれの政権へ秘密裏に計画を伝え協力を了承させた。責任は中国がもつとして有無は言わせない、向こうの国にも利益があるのだから損はない。
次に台湾の知人と連絡を取る。話はすでに済んでいるので結論だけ聞いた。台湾はアメリカ軍との調整役をしてもらい、中国とのやり取りを補助してくれることを期待している。
台湾からは条件が提示された。
民主的政権は維持すること、アメリカと中国の中立国として主権があること、香港は中国側の窓口として三国共同で統治する特別地域とする、香港の法は独自に制定し三国は干渉しない。
中国にしてみれば一見損をする、またはそれまで締め付けていたことによる面子に傷をつけることになる恐れがあったが、沖縄と朝鮮半島を一度に得られることを天秤にかけてみれば明白だった。
もっとも中国上層部はいずれは反故にする魂胆はあるだろうが。
アメリカ軍には台湾から連絡があった。アメリカ本国が中国をはじめとする各国に水面下で確認をとり実際の計画が作成されることになった。
早いほうがいいので関東に駐留している軍に指令を出し、自衛隊には現場の将官に先に協力をお願いした。日本流の根回しというか足元を固めることは有効だということを知っていた。
体制が固まって撤回できないところで日本政府に連絡をとった。政府といっても総理大臣個人にだが。
こうして周辺国の侵略は実行された。各国の担当責任者になった日本人の知人達は皆思っていた。
「オオタケさんは喜んだだろうか、あなたの話が現実となったことを」
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