第12話 脱出


 東京脱出計画は夜明けと同時に始まった。


 まず徒歩で環状道路まで出て国道4号線に合流して北へ向かう。

 荷物は貴重品と衣類のみ。かさばるものはソリのようなもので僕が引っ張る。泥の地面なのでこの方が楽だろうと思った。リヤカーは東京では簡単には手に入らないし、ソリのほうが自作が容易だということもある。


 アスファルトが見えるような道なら交通も通常に運航しているはずだから、バスなり電車なりに乗って行く。

だけど現金が乏しい。銀行の窓口やCD機も使用不能となっていた。電気があっても補充する現金を輸送することができないし、コンビニもやっていない。

 最近はキャッシュレスの普及を政府が後押し、五輪の海外客のための利便を目的としていたので、以前からの電車の乗車カードもあいまって、都民のほとんどは現金を持ち歩かない。

 当然、災害当初に起きた一週間以上の停電では使用不可能になったのは当たりまえである。

 現金でさえ電卓で計算、手書きで記帳という昭和に戻っていた。いや昭和後期でさえデスク型コンピューターに電話回線でピザのラージサイズなみのフロッピーを使っていたのだから。

 公共料金やネットショッピングも引き落としだから、家庭内にある現金の保有量の平均額はどれくらいなのだろうか。

 個人事業や店をやっている業種は現金決済が未だに主流だから普通にあるはず。こういうときはうらやましい。


 丸山家と僕で合わせても10万にも満たなかった。そのうち8万が僕の全財産としてあった。

 実は転居や転職が多い生き方だったので、その度に口座を変えたりする手続きが面倒なことと、支払過多になる気がして、公共料金は現金でコンビニ支払。ネットショップも代引きかコンビニ支払にしていた。


 カードは就職したときに作ったので保持歴は長いし、海外旅行などには都合がいいが、国内で使うことはほとんどない。昔マイカーを持っていた時にガソリンを入れる時にしか使っていなかった。

 ついでに言うとポイントカードもほとんどない。あるのは自分のスーパーのものだけ。

 ほんと今時の人間らしかぬ生き方をしているが、今になって良かったと実感した。丸山家の皆さんに感謝されたし。


 道すがら似たようなグループをよく見かけた。声をかけられそうな状況ならお互いに情報を交換したが、一緒に行動することはしなかった。それぞれのペースや都合もある他人であるから当たり前という感じ。治安など安全面では共にがいいかもしれないが、善意の悪人な可能性も可能性も。


 ずっと歩き詰めだと疲れるので1時間ごとに30分の休憩をした。こちらは子供がいることもあるが、それよりも普段から運動不足の中年の大人もいる。むしろ僕らのほうがきつかったが平気なフリをしながら歩き、子供らに「疲れたろ、そろそろ休むか」と言って積極的に休まないと体がもたない。


 海外旅行では歩き回るのが僕のスタイルだが、一日目で足に豆が出来て治るのが帰国直前だったりするのがお決まりなので、今回も同じ目に遭っている。

 丸山さんも同じようで、ついでに膝も痛いようだ。ついつい休む頻度が多くなる。


 昼休憩を兼ねてシートを敷き座っていると、脱出民のグループに話しかけられた。

 30代の男性二人と女性二人、小学生と未就学児の女児の二人。未就学児は男性が背負っていた。

 マンションのお隣同士でママ友のグループになるそうだ。霞が関で働いており、今回のことでいろいろ思うことが多いようだ。


 男性の一人が言うには


「官公庁はどこも誰も働いていませんよ。上級職員は近所に住むのが多いから当初はどうにか頑張ったんですけど、インフラが復旧したと思ったら侵略が始まるし、車両は動かないからやりたいことのほとんどは不可能だし。

 行ってみたんですよ、神宮近辺や東京駅のあたり。そうしたら球場は泥で埋まっているし、皇居のお堀は水位が溢れるくらい高いし、あの辺は駅で泥が止められてダムのようになっていましたよ。

 上野公園なんて池との境がわからないからすぐ離れました。亀の心配が頭によぎりましたよハハハ・・・」


 疲れた顔で笑いながら話が続いた。


「正直にですね、というか侵略が起こって少し安堵しているんですよ。国家公務員として不謹慎で公僕らしからぬことはよくわかっているんですけど。

 春に接待問題が報道されしたでしょう、あれね僕ら実務を必死にやって終電にさえ間に合わない時間まで頑張って、倫理規定も順守している普通といいますか真面目といいますか、まともな職員にしてみれば憤慨ものなんですよ。 

 しかも政治家も企業も官僚も知らぬ存ぜぬばかり。自分なりの正義や国への奉仕でやりがいがあると思い採用試験を受けてなった国家公務員。まあ僕は上級ではなく中級だし、初級採用の同僚と地道にやっているだけですが。

 問題の最高責任者はすぐ辞任して天下りが少し早まっただけ。

 それに五輪やコロナ対応は政権が主導して僕らがその通りに計画行動手配をするわけですが、全てその場限りの場当たりなことばかりで現場は混乱しまくり。しかも感染対策も同時ですから仕事が滞るばかり。

 国民のみなさんには本当に申し訳ないですけど、この国は一度滅んだほうがいいですよ」


 心に溜まったことを一気に吐き出したのか、言い終わると俯いて黙ってしまった。


「自衛隊は都民が脱出しやすいようにする方向に動いています。僕らのように体力がある勤め人はどうにかなりますが、代々お店をやっていたり、高齢者や外国人労働者に助言や説得をして回っています。

 それでも東京に留まる人もいるようですけど、それは仕方ないかなと。

 まさに東京ジャングルとなって命の選別が始まっています」


 男性は立ち上がり僕に「いろいろ話を聞いてくださってありがとうございます」と言って歩き出した。目的地は群馬の高崎だそうだ。そして振り向きざまにこちらに向かって、


「そうそう、アメリカ軍が皇居や神宮に基地を作っていましたよ。あれは救援のためというより戦闘主体の様相でしたね。おもしろくなりそうですよ」


 手を振りながらの男性を見送り、僕らは今夜はここ辺で夜を明かすことにした。

 脚の痛みと日本の行く末の不安から動こうという気持ちが起きなかった。

 人目につきにくいビルのエントランスの中で虫などが入って来ない場所を選んで寝床を決めた。 

 陽があるうちに食事を済ませ、トイレができそうな場所を見つけておく。一人では絶対行かないようし、各自トイレも就寝中も護身用の棒とナイフを携帯していることを確認した。

 途中で見つけてきた段ボールを敷き、大人が両端になって眠る。僕の隣は秀明君。


 横になりながら今日のことを思い返した。

 子供たちは最初こそ様変わりした東京の景色に驚き元気だったがすぐに黙ってしまった。

 大人も同じような感じになった。周囲を警戒してるかの違いくらいで、ひたすら歩く。

 休憩が思っていたより多くなり、夜明けから夕暮れまででも実質6時間くらいしか移動していない。

 つまり30キロほどしか進んでいないことになる。

 明日は体の痛みが増しているからペースが落ちると思う。


 実際どのあたりまで行けばいいかはっきりしないが、明後日にはどうにかなることを期待して眠りについた。


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