ブラのホックを外せる程度の技

秀哉

 

 




 ブラのホックを外したい。



 十三歳のある日、彼はそう思った。

 誰のブラでもいいわけではない。

 かわいい女の子のブラのホックを外したいと、そう思った。

 外せればそれで良いわけではない。

 スタイリッシュに格好良く外したいと、そう思った。

 彼はだから、努力をした。


 一日の始まりはブラを外す型をなぞるところから始まる。

 丁寧に、正確に。

 一日に一万回、彼はその型を繰り返した。

 満足できるほどに洗練されれば、新たな型を探し再び鍛錬に没頭した。


 学校に行けと叱られることはあった。

 だが彼は従わなかった。

 かわいい女の子のブラのホックを格好良く外せるまでは学校には行かないと決めていたのだから。

 もうキモイと馬鹿にされるのは嫌だった。


 三年が過ぎれば親も何も言わなくなり、彼はブラのホックを外す鍛錬に没頭できるようになった。

 そのころには四つの型を極めていた。

 基本となるは片手を円の動きで回り込ませる一の型〈三日月〉。

 斜め下から這いより駆けあがる二の型〈昇り竜〉。

 背中をとり真っすぐに打ち下ろす三の型〈堕天〉。

 そして抱きしめるようにあえて両手を使う四の型〈ザ・クロス〉。


 四つの技を極め、しかし彼は満足などできようはずもなかった。

 なぜなら彼はまだ可愛い女の子のブラのホックを外していないのだから。

 そしてそもそも不登校を続け可愛い女の子と知り合いになることもできずにいるのだから。

 だがもう長い間、母親以外の女性と話していない。

 相手が女性でなくともまともに話ができる気がしない。

 そもそも近づくのも怖い。


 そう、だから彼は近づくことなくブラのホックを外す技に希望を見出した。


 そしてそこから、十年が過ぎる。

 彼は成人となり、母親に泣かれ、兄弟たちから家を追い出され、生活保護を受けながら、ただその技を極めることだけに心を砕いた。

 そして極めていく過程で、また希望はただ一つではないと、新たな可能性があるのだと知る。


 そこからはどれほどの月日が流れたかは知らない。

 役所の就職斡旋を無視し、時折掃除にやって来る母親からは精神病院を進められながらも、彼はその技を極める。


 手を触れずに事をなす奥義〈無限〉。

 飛ぶ鳥すらも捉える秘奥義〈燕返し〉。

 そしてすべての技を超えた究極奥義〈視解〉。


「出来たよ、母さん」


 究極奥義の完成を実感した彼は、そう口にした。


「え?」

「出来たんだ、俺は、出来たんだ」

「あ、そう、そうなの……」

「見ていてくれ、母さん」


 彼はそこで、あえて一の型〈三日月〉を使った。

 それは最初に取り組み、極め、すべての技の源流ルーツとなった技。

 今の彼の出発点ともいえる技だったからだ。

 だが究極奥義まで極めた彼にとって、その一の型はもはやただの一の型ではない。


 母親は彼の動きが見えている。

 だが反応はできない、反応することは許されない。

 速度が速いわけではない。

 だが技の極致にいる彼の動きは、見えていても反応することを許さぬものだったのだ。


 ぱちりと、母親の背中で音がする。


「うぁあっ、な、何するんだい」


 気の触れた息子に殴られるのかと思った母親は、事が済んでからようやく反応を許され、後ろに飛びのき声を上げた。


「あ、あれ、本当に何してるんだ、あんたは」


 そしてブラのホックが外されたことに気づき、得体のしれない恐怖を感じながら彼に問いただした。


「完成したんだ、俺の技は」

「え? えっ? ……もしかして、ブラのホックを外すのが?」


 母親は恐る恐る、そうでないことを祈りながら彼に聞いた。

 彼は自信に満ちた態度で頷いた。

 母親は涙を流した。


「私はね、ボクシングの練習をね、していると思っていたのよ」

「……違う」

「あーくんは苛められてたから、それで復讐しようとしてるのかって」

「……復讐は何も生まない」


 憎しみの心がなかったといえば嘘になる。

 だが彼は幸せが欲しいのだ。

 敵を不幸にすることを望んでいるわけではない。

 自分が幸せになれるのであれば、わざわざ低俗な行いをする輩を不幸にする必要はないし、関わる意味もない。

 だから関わりたくない。だって殴り返されたら怖いし。

 望むのはあくまでただ一つ、自らの幸せであり、それは可愛い女の子のブラのホックを外すことだ。


「あ、うん、そうね。でもね、あーくん」

「なんだ」

「知らない女の子にこんな事をすると警察に捕まるから止めてね」

「――っ‼」


 彼は驚きのあまり絶句した。

 スカートをめくるのは許されるのに(※許されていません)、なぜブラのホックを外すぐらいで捕まるのかと。

 ブラやその中身を見るわけではない、ただちょっと悪戯をするだけだというのに、と。


「もうね、あーくんは大人なの。子供の悪戯じゃすまないの。お願いだからちゃんとした仕事について、お嫁さんをもらって。お母さんの一生のお願いだから」


 呆然と立ち尽くす、彼は何も答えられなかった。

 反応のない彼にため息をついて、母親は彼のアパートを出て行った。


「俺は何のために、技を極めたのか……」


 そしてその夜、彼は自ら命を絶った。

 死の間際――


「おお、断絶の極限者よ。死んでしまうとは情けない。

 しかして平和な世に汝の生きる道は無し。

 その技、新たな世界で存分に振るうがよい」


 ――おかしな爺の声が聞こえた気がした。



 ◇◇◇◇◇◇



 彼は異世界に降り立った。

 その世界は魔物が溢れており、自由組合ギルドに登録する冒険者や騎士たちが魔物を狩って市民を守っていた。

 着の身着のまま転移した彼は、その世界でホームレスとして生計を立てていた。

 今日も配給が始まる。

 彼は世話を焼いてくれるホームレス仲間のくさい爺に促されて、広場にやって来た。


「若いのにこんな所に来るなよ、仕事がないならギルドに行けよ」


 配給を担当する可愛い少女に罵倒されながら、その日の食事を受け取る。

 文句を言ってきても渡してくれるんだから、あの子はツンデレと自分に言い聞かせ、一日一回の食事をとる。


「大丈夫かい、若いの。あんな言い方しなくてもいいのにのぅ」

「気にしてない」


 ぼそぼそと、蚊の鳴くような声で彼は言った。

 内心であの子のブラのホックを外してやろうかと思ったが、ばれたら捕まるし怒られるのが怖いから止めた。



 そんな日々を繰り返していたら、ある日事件が起きた。


「おいおい、こんなところで爺相手に小遣い稼ぎしてないでよ、俺たちと冒険に行こうぜ」


 彼が何時も並ぶ配給の少女――配給の鍋は四つあり、それぞれに給仕役が付いているが、基本的に男だったりおばさんだったりするので、彼女がいる時はいつも彼はそこに並んでいた――に、ガラの悪い三人の男たちが絡んだ来たのだ。

 彼は何も知らないが、配給の給仕は人手不足なので低ランク冒険者向けにギルドから斡旋されている仕事であり、少女は採取や魔物を狩るのではたりない生活費を賄うために、これを受けていた。


「いやよ、あんたらとなんて。仕事の邪魔をしないで。ギルドに通報するからね」

「ははっ、してみろよ。Fランクが俺たちCランクを訴えたって、意味なんかないって知ってるだろ」

「そうそう。楽して稼がせてやるって言ってるだけなのに、そんなこと言うなよな」

「お前の友達だって俺たちと仕事してよかったって言ってるだろ」


 少女は涙目で歯を食いしばる。

 人目のない町の外で友達が何をされたのかを思い浮かべて。

 少女は聞いたのだ。

 絶対にやめた方が良い、酷い事をされるという声に耳を貸さず、こいつらについて行った友達から、その日何があったのかを。

 この男たちはあろうことか、少女の友達がお花を摘むところを覗き、こう言ったのだ。



「お前、チ●コ小さいな」



 友達(♂)は、しばらく悲しそうな顔をしていた。

 ちなみに友達が本当に悲しい思いをしたのは、この話を無理やり少女に聞きだされたからだったが、少女はその事には気づいていない。


「こんな仕事してたって腕もランクも上がんないだろ」

「そうだぜ、いつまでもその日暮らししてんなよな」


 男たち――少女やその友達と同じ孤児院で育った先輩たち――はしつこく嫌そうにしている少女を誘う。

 それを見て、一人の男が我慢できずに声を上げた。


「やめんか、嫌がっとるじゃろうが」


 彼の世話をよく見る臭い爺さんだった。


「あ? おい爺さん、黙ってろよ」

「そうそう、税金でただ飯食ってるだけのごく潰しがケチつけてくんじゃねえよ」

「んじゃとこの若造が、わしらが若い時は――」

「いや知らねえようるせえよ、こっちは立て込んでんだ」

「――うきぁぁぁ‼」


 爺さんは話を遮られ、キレて男に襲い掛かった。


「な、なんだこの爺」


 そしてあっさりと振り払われ、よろめき、彼に支えられた。


「あん?」

「若いの」

「……」


 こちら側によろめいてきたのでとっさに抱き留めたが、それ以上の意味はない。

 そして爺さんは臭かったので、そっと地面に座らせた。

 彼は自分を見ている男たちと、そして少女の視線に気づきそちらを見る。

 男たちと目が合う。

 高速で目を逸らす。

 逸らした先に、爺さんがいる。


「おお。おぬし、わしの仇を討ってくれるのか」

「……えっ?」

「おいおい、自分から殴り掛かってずいぶんな言い様だな。そっちのお前も、もしかしてホームレスか? 若いくせに働きもしねえでこんなところに来て、恥ずかしくないのか」


 彼の言葉は小さく、誰も聞きとめてくれなかった。


「目にもの見せてくれ、若いの。わし等だって望んでホームレスになったわけじゃない。そうするしかなかったんじゃ」

「けっ、うるせえな。おい、俺はグラッツだ。テメエの名前は?」

「愛……」


 彼は小さく答えた。小学生の頃に散々女の子の名前だと馬鹿にされた大嫌いな名前だった。


「……アイン、か?」


 グラッツはよく聞き取れなかったので、そう問いかけた。

 愛は怖かったので何も答えなかった。


「態度悪いな、テメエ。いいぜアイン。これも何かの縁だ。ぶっ飛ばしてギルドでしごいてやる」

「……何?」

「仕事させてやるって言ってるんだ、ありがたく思え」

「……だ」


 この時、愛――アイン――は、この世界に来てから初めて自分の意志で口を開いた。

 コミュ障をこじらせたアインの言葉ははっきりとした音にはならず、それが自分でもわかったから、改めてはっきりと口にする。


「いやだ。俺は、働きたくない」


 ブチンと、グラッツの頭で何かが切れた。


「屑が。お前みたいなのがリーリャに近づくな」


 グラッツがアインに襲い掛かる。

 アインは戦いを好まない。

 敵を倒すことに意義を感じない。

 怖いのでそんな事したくない

 だがそれでも敵がアインの生活を脅かすのであれば、戦わねばならないというのであれば、覚悟を決めよう。

 骨の髄まで鍛えこんだブラのホックを外す技ならば、目の前の敵を倒すくらいの事は出来るだろうから。


 まずは三の型〈堕天〉で回り込む。

 グラッツからは、アインは姿が掻き消えたように見える。

 どんな女の子の背中も確実に取れるよう鍛えた足運びは、魔物を百や二百狩ってきた程度の戦士の目に留まるものではない。


「なっ」


 そしてブラのホックを外す応用で、グラッツの腰の剣帯を外した。

 がちゃんと、剣が地に落ちる音を聞いてグラッツは後ろを振り返る。

 そこには泰然と――どんな顔をしていいかわからない無表情の――アインがいた。

 グラッツは驚いて距離をとり、そして改めてアインの姿を見る。


 この世界に来る前はそれなりの年齢になっていたアインだが、転移と同時に体は若返っている。

 そのためグラッツよりも若く見えるが、技を極めたものとしての風格が感じ取れなくもないような佇まいをしている感が無きにしも非ず、あった。

 グラッツはかぶりを振った。

 目にも映らぬ足さばきは仙人の縮地のようで、剣帯だけを手刀で切った技は達人の域すら超える。

 そしてその二つはいかなる魔力行使にも頼らない人の技によるものだ。

 それを身に着けるのにどれほどの研鑽を必要としたのか、想像も及ばない。

 グラッツはアインに向けて、丁寧に頭を下げた。


「無礼をお許しください。一人の武人として、ご教授をいただきたい」

「……」


 アインは答えなかった。

 いきなり態度が変わって驚いたのもあって、ご教授という言葉の意味を受け止めそこなったのだ。

 だがコミュ障のアインは無表情を貫き、グラッツはそれをかかってこいという無言の肯定と受け止めた。


「行きます」


 殴り掛かってくるグラッツの拳に、二の型〈昇り竜〉を合わせる。

 指先はブラのホックを外すのではなく、服の裾をつまんで走らせる。

 結果、グラッツは大きく体勢を崩して転ぶ事になる。


「くっ、まだだ」


 即座に立ち上がったグラッツは再度殴り掛かるが、結果は変わらない。何度となく転ばされて、グラッツは叫ぶ。


「なぜ殴り返してこないのですか」

「……俺の技は、誰かを傷つけるためにあるわけじゃない」


 アインの言葉に、グラッツは衝撃を受ける。

 言葉にするまでもなく、アインの技はブラのホックを外すためのものだ。可愛い女の子に使うためのモノだ。

 自衛以上の理由で男に振るうのは拒否感があった。


「わかりました。ですが、少しくらいは本気を見せてもらいますよ」


 接近戦の技量は雲泥の差だ。だからグラッツは奥の手を出す。

 人間を数人焼き殺せるだけの熱量を持つ、炎の攻撃魔法ファイヤーボールだ。


「おい、街中で――」


 兄弟も同然の仲間がそう止めるが、グラッツは耳を貸さなかった。

 この魔法もきっと通じない、そんな予感じみた期待が彼にはあった。

 そしてそれは現実のものとなる。


「奥義を見せよう」


 アインはそう言った。

 厚そうで怖い殺されると思ったが、しかしアインは手を触れずともブラのホックを外す技を既に身に着けている。

 奥義〈無限〉。

 はるか遠く離れたブラのホックすら外すことのできるそれを駆使すれば、魔法を解体して無力化することなど容易いことだった。

 大きな火の玉は散り、小さな火の粉だけがアインの頬を撫でた。


「すごい」


 配給の少女――リーリャが言った。

 アインはとても良い気分になった。


「完敗です。ありがとうございました」


 グラッツは悔しさと尊敬を胸に頭を下げ、そう言った。

 アインは何と言っていいかわからなかったので、とりあえず頷いておいた。

 そんなアインの所に、リーリャが駆け寄る。


「すごいすごい、すごいです。グラッツがまるで相手にならないなんて。ほんとにすごい」


 興奮した様子で何度もリーリャはすごいと繰り返した。


「そ、そうでもないさ」

「そんな事ないです。すごいです。本当はすごい冒険者だったんですね。戦うのが嫌になって、こんな生活をしてたんですね。ごめんなさい、私ずっと失礼な態度取ってて。アイン様は――」

「落ち着け、リーリャ。驚かれているだろ」

「アインさん、俺たちからも謝らせてください。あなたのような達人を馬鹿にしたことを」

「構わない」


 コミュ障のアインにも尊敬されているのははっきりとお感じ取れている。それを壊さないためにも、どもらないよう注意しながらアインは短く頷いて答えた。


「アインさん、失礼かもしれませんがギルドに登録はされないのですか、あなたのような実力の持ち主が腕を腐らせるのは損だとしか思えません」


 アインは働くのは嫌だなと思った。


「そうですよ、アイン様。あなたなら絶対活躍できますから」


 リーリャがそう言った。

 ちょっと働いてみてもいいかなと思った。

 そしてちょっと技を見せるだけでこれなら、冒険者として働けばもっと好感度が上がるんじゃないだろうかと、そう思った。

 そしていつの日か、リーリャのブラのホックを外せる日が来るんじゃないかと思った。


「そう、だな。それもいいかもしれないな」


 アインの言葉に、リーリャやグラッツたちが沸き立つ。

 そして彼らに案内される形でギルドへと足を向けるのだが、


「……?」


 ふと何かを忘れている気がして、配給現場の公園を振り返る。

 だがそこには配給を待つホームレスの姿しかなく、見知った顔は一つもなかった。


「どうかしましたか?」

「いや、なんでもない」


 気にしても仕方がないかと、アインはギルドへと向かう。





 アインはこの後、断てぬものなき無手の冒険者として名を馳せ、断絶の極限者の二つ名で呼ばれることとなる。

 そしてその技をいかにして、何のために身に付けてのかを多くの者が問いかけたが、アインはブラのホックを外すためとしか答えなかった。

 誰もがそれを真実だとは思わず、彼の伝記にはそれを習得するに至った謎めいた過去と信念がまことしやかに創作されることとなった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ブラのホックを外せる程度の技 秀哉 @shu-ya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ