EP.02:青空Ⅱ
今日の最後の授業が終わって、もう1時間くらい経過しただろう。
窓の外は真っ赤な夕日に照らされて、薄暗くなってきている。
「――それでよ……って、余所見すんなよ!」
マーカスの肘が俺の肩に当たった。彼の仲間達もまた怪訝な表情で俺を見ている。
「――そんで、例の未確認機だけどよ。コイツは『TSUシリーズ』だと思うぜ」
TSU、大陸戦争の発端となったミンダスという国の兵器メーカーの型番だ。
だが、ミンダスという国名自体は地図から消滅してしまっている。
少なくとも技術的には凄いものだ。過酷な環境や戦線はもちろん、そのライセンスを世界中にばらまいて世界のありとあらゆる防空の要となっている。
そして、映画やフィクションでは「悪役」になることが多い。国連やイースト・エリア、同盟国のメニティにとっても仮想敵として使われている。
つまり、俺にとっても「敵側」の機体だ。
実際にTSUシリーズのいくつかを撃墜したことがある。
「TSUと言ったら、20だろう。あの曲線美は芸術だ……」
「――いやいや、曲線美なら30だ! 20だとテイルスタビライザーが目立ちすぎる」
「いや、30はシルエットを削り過ぎだ!」
「「なんだと、やるか!?」」
好事家同士だと、こういう対立がよくあるらしいのは聞いている。
――俺にはよくわからないな……
TSUシリーズの共通点はミンダス兵器らしく、こちら側「国連」系の兵器と真逆の特性を持っている。
その中でも、TSUシリーズは空力設計によるモノが凄いらしい。
シルエットや機体形状が似通っているのも結果的にはほとんど同じ思想で作られているからと聞いたことがある。
ミンダスと国連系の明確な違いの1つとして、根本的な開発思想から異なっているようだ。
マーカスの言葉を借りるなら『国連系は鳥になった人間を目指し、ミンダスは人間に翼を生やす事を目指した』ということだ。
つまり、可変戦闘機の『戦闘機』を重視しているのか、『人型兵器』の拡張プランでしかないのかということだ。
「――あのなァ、ミンダス専門家の2人が喧嘩すんなヨォ!」
やはりこのグループを統括しているのはマーカスのようだ、興奮していた2人は不機嫌なまま口を閉じる。
マーカスはタブレットを簡易スタンドの上に置いて、バックパックから雑誌を取り出した。大きく『解剖! TSUシリーズのレイダーの秘密に迫る!』と書かれている。しかも付箋だらけだった。
真っ先にページを広げた。それは歴代のTSUシリーズを真上から見た図面が並んでいる。
「昼休みに話合った結果、コイツはTSUシリーズの最新鋭機だという結論に至ったッ」
マーカスがツバを撒き散らしながら、雄弁に語った。
そして、解説が続く。
「――この赤い機体、パッと見た感じだと宇宙国連系列の機体に見えるだろうが……」
宇宙国連軍――国連軍の宇宙方面軍というヤツだったか。
スペースコロニーはまだ無いし、火星とか月への移民計画なんていうSFもありえない。
宇宙には軍事衛星と小惑星群くらいしかないだろう、宇宙というのはあくまで地球の裏側を攻撃するための通過地点、もしくは近道程度でしかない。
かつて、宇宙進出は人類の夢だったらしいが、今では攻撃の1つのシーケンスでしかない。
太陽系は戦場で、大気圏を突破する強襲母艦なんていうのも存在する。
宇宙用の機体もあるし、
レイダーや他の人型兵器、推進剤も宇宙開発によって生まれたモノばかりだ。
そして、宙域仕様の
つまり、宇宙軍ではないのにコクーンキャノピーが使われているということになる。
「実際に、試験機で地上型の機体にもコクーンキャノピーを装備した機体がいくつかある。……ほら、これとか――」
マーカスが指差した機体、『TSU-27L』は 次世代機の概念実証機と書かれている。
シルエットはとても違う、こっちは従来のTSUシリーズらしい細身の機体だ。
「……コクーンキャノピーってのは外部の情報をセンサーで取得している。従来のスケルトンキャノピーと違ってステルス性と防御力の双方を取れるってわけヨォ」
「――つまり、合理的ってことか?」
「――割高になるがな」
マーカスがニヤリと笑った。
――きっと、こういうやり取りが楽しいんだろうな。
「それで、だ」
さっき喧嘩していた2人が制服のポケットから自分の端末を取り出す。
「――だけど、この雑誌には載ってない機体モデルがあるんだ。これに載ってるのは各国のライセンス機もしくは払い下げ機だけ」
インテリ臭そうな片割れが携帯端末の画面に画像を表示させた。
俺はマーカスの仲間達と共に、雑誌の一覧と画像に表示された機体を見比べる。
――しかし、全く同じ機体が無い。
「……これはPMC『シルバーウルフ社』専用にチューンされた機体だ。ミンダス重工は解体された後でもこういうオーダーメイドはしっかりやってるらしいぞ」
それから端末を操作して、別の画像を開いていた。
そして、その画像が色の無いただの図面だった。
しかし、それはただのTSUシリーズではない。それは間違いなくボギー013と同じ機体の図面だ。
「――コイツは、〈TSU-99〉 ネームは『モルス』だ。徹底的に高性能化や技術改革をした結果がこの化け物さ」
その図面に書かれている内容は全く理解出来ない、俺にはただ機体のイラストが描かれているということしかわからない。
だが、それで充分だった。あの機体の出所さえわかればいい。
「コイツは計画の途中で頓挫したのさ、あまりにも高価でピーキー過ぎる。宙域仕様機ならまだしも、コレは宇宙軍だって採用を見送るような化け物だぞ!」
「――でも、開発された。違うか?」
マーカスがいつになく真剣な表情になっていた。
彼が言葉を続ける。
「もし、白紙になるほどのクソプロジェクトに投資するPMCがいたら?」
「――それは……」
それがレッドアイ・ガーゴイル社か。
だから、真紅のモルスはそこの所属であり、そこに帰ったわけだ。
少なくとも、マーカス達からレッドアイ・ガーゴイル社という単語が出るとは思えない。
そして、彼等の議論はモルスの性能。つまり予定されていたスペックが実機で発揮されているかについて、激しい論争になっていた。
これだけ夢を見るような設計だけで、超高性能機が生まれるとは限らない。
だから、論争が起きるのも当然だ。
この機体のように爪先だけを見て、浅い考えで作られた兵器の数々は存在する。その多くは期待していた性能を発揮することは出来なかった。
議論は更に熱を帯びて、加速している。
黙って聞いていても、俺にはちっともわからない単語まで飛び交っている。
マーカスもまた論争の真っ最中だった。
――そろそろ、欲しい情報も出尽くしたかな。
意見の多くは推測。突拍子も無い仮説。それこそ夢物語のようなモノまである。
それら全てを聞いた所で、それは好事家達の遊びでしかない。
期待していたマーカスも、ほとんど仮説を並べることしか出来ないようだ。
ミンダス機の専門家とやらも、過去のシリーズ機と比べることしかしていない。
実際にやりあった俺からすれば、この論争の意味は全く無い。その議論には、パイロットの技量など考慮されていないのだから。
俺は静かに席を立ち、荷物を持って教室を出る。
全員が熱中しているせいか、それとも口論の騒音がデカ過ぎて俺の足音が聞こえないのか、誰も俺が出て行くことを気にすることは無かった。
校内も、外も思っていたより涼しかった。――というよりは、あの好事家達の熱が凄かっただけなのかもしれない。
廊下を歩きながらバイクスーツを着て、バックパックを背負う。
階段を降り、靴棚からブーツを取り出してさっさと履いた。
高校生のユート・ライゼスにとって、バイク通学したり、軍事兵器マニアの論争に巻き込まれたり、スポーツマンのお嬢様に絡まれたりするのは、いつもと変わらない日常だ。
学校が終われば基地の寮か、アパートか、そのどちらかに戻って、飯を食べて寝る。
ただ、それだけの事だ。
玄関を出ても、校庭には誰1人としていない。歩いているのは俺だけだ。
駐輪所にも、校門にも俺以外の生徒はいなかった。
ほとんどの生徒が部活か、さっさと帰ったか、それとも校内で暇を潰しているのか。
空はほとんど真っ赤だ。微かに熱を帯びた夕日が去り際に精一杯の光を放っている。
赤く染まった空の上を駆け上がっていく影が見えた。その影は複数で編隊を組んでいる。それはつまり、戦闘機だということだ。
微かに、ジェットエンジンの音が聞こえる気がした。
しかし、騒音と呼ぶにはあまりにも弱く。ここからでは鴉の羽音よりも儚く感じる。
――1ヶ月の飛行禁止処分、俺に言い渡された処分内容。
その間、基地に入ることも許されない。立場的には民間人そのものだ。
しかも処分期間中、自分の身を守る為のに使えるのは個人所有の拳銃と3ダースの9ミリ弾しかない。基地にある小銃はもちろん、防弾ベストやコンバットアーマーなんて高価な代物はさすがに部屋に置いてない。
もし、俺がパイロットでもあることが世間に暴露されたりしたらどうなるだろうか。
想像も出来ない、考えたことも無い。
それはきっと恐ろしいことになるだろう。
世界は平和へと近付いている。このイースト・エリアも、かつては戦場だったが今では平和の代名詞のような国へ戻った。
大陸での紛争も、それほど長くないと聞いた。
それなのに、俺には武器が必要だった。あまりにも巨大で、1人では手に余るような巨大な翼が、羽が必要だ。
それが無ければ、俺が俺で無くなるような気さえするくらいだ。
イーストエリアも、世界も、絶対に『戦闘』は無くならない。兵器も、武器も、世界の隅々から必要とされ続けるんだ。
だが、武器が最低限必要のない「生活」は嫌いでは無かった。
高校生のユート・ライゼスの地上での生活は、あまりにも陳腐で、変化が無い。
だから、俺には空が必要だった。
激しく、苛烈な空戦が自分の存在を実感させてくれる。技術、経験、訓練の成果が戦果になり、明確な数値が出るのが純粋に楽しいかった。
それを部隊や同僚に認めて貰える、それが自信になった。
だが、地上の生活にはそれが無い。
教科書を暗記すれば済むようなことをわざわざ黒板に書いて、それをノートに書き写し、昨今の文献を集団で読み上げ、あるいは物語を作り、読み解き。
それが行われる学校そのものが、つまらない。
学校以外での生徒個人と交流はとても面白いが、やはり交友関係が広くない以上、有意義とは言えない。
誰もが他者を見下すことで得られる「優越感」に浸りたがり、独善的な友人関係で他人を利用したり、あるいは醜い欲望を発散したり。学生のイメージというのはそんなモノだと思っている。
事実、自分もその通りだと思っているから、余計に否定出来ない。
そういう部分で、自分も「学生」になりきっているのだと実感する。
うんざりしたところで、ようやく駐輪所に辿り着いた。
案の定、いつものようにカバーを捲った痕跡があった。これだけカスタムされているのはやっぱり珍しいのだろうか。
いや、高校生がこれだけのバイクに跨っているのが珍しいのか。
バイクカバーをバックパックに収納してから、念のために各部を点検する。
見た感じでは異常は無さそうだ。タイヤの空気圧にも異常は無い。
さっさと跨って、キーを回す。
ヘルメットを被って、スロットルを静かに捻る。いつも通りの頼もしい排気音と共に、バイクが走り出す。
バイクはいい、風を切るように走ると
だから、好きだ。
いつも俺の面倒を見てくれる「同僚」にはとても感謝している。はっきりと言葉には出来ていないが、彼のおかげで少なくとも登下校はうんざりすることがない。
交通量はそれほど多くなかった。
夕日も若干沈んできているのもあってそれほど眩しくはない。それにヘルメットのバイザーには自動の調光機能があり、そもそも眩しいと感じることが無い。
朝の渋滞は何だったのか、と思うほどに人も車も少なかった。
バイザーの片隅にニュース番組を表示していたが、それを見る暇も無く。あっという間にアパートに辿り着いてしまう。
倉庫にバイクを停め、ヘルメットを収納し、シャッターを閉じた。
足早に部屋の前まで歩き、玄関の鍵を開けて部屋に入る。一切の音も変化も無い空間、その奥へと入ってく。
玄関から部屋まで、換気されていないせいで蒸し暑かった。
荷物を部屋の隅に放り投げ、制服を脱いでハンガーに掛ける。
エアコンの電源を入れると、微かな作動音と共に冷たい風が部屋の中を流れていく。
冷蔵庫からミネラルウォーターの入ったボトルと惣菜パンを取り出して、押し込むように食べきった。
一旦部屋に戻り、投げ捨てた荷物から護身用の拳銃を取り出して机の上に置く。
何が起こるかわからない、ではなく。何があっても即座に対応できるように――と耳がカリフラワーになりそうなくらいに聞かされた。
さすがに、このアパートで銃撃戦にならないことを祈るが……
パイロットには何があるかわからない、地上でも身を守ることが出来るように最低限の準備をするように。と隊長からも言われている。そのための武器と訓練があるわけだ。
不謹慎だが、地上はあまりにも暇だ。それこそ銃撃戦の1つや2つくらいあってもいいだろ、なんて思ってしまうくらいに。
未だに、ここから遠くない空で命を懸けた空戦が行われているなんて信じられない。
この国がかつて『平和ボケ』していた時代から、それほど変わっていないとすら思う。
数少ない楽しみを糧に生きる、というのはけっこう残酷なのだと実感する。
この世界には、そうした生き方をしている人間がいくらいるのだろうか。
悶々としながら、ベッドに身体を投げる。
慣れてしまった固くも柔らかくもない感触に身を預けながら、俺は目を閉じた。
車やバイクが通り過ぎる音がたまに聞こえるだけで、この部屋の中は恐ろしく静かだ。
壁掛け時計なんていうのは部屋に置いてない。
だから、時計の針の音で時間の経過を感じることも無い。
微かな風を感じつつ、思考も、意識も暗中に落ちた。
瞼の裏に広がる闇をじっと見る。
正確には瞼の裏には何もない、薄皮の瞼に眼が覆われているだけだ。
それでも、目を閉じると真っ暗だ。何も見えないはずなのに何かが見えている気がして、瞼が閉じていてもその小さな闇の世界をじっと見つめる。
その闇に何があるわけではない。ただ、そこに闇があったからに過ぎなかった。
闇の中に意識が溶けていくように、目の前に広がる黒い世界に同化している。
俺がその闇をじっと見ていると、一瞬だけ光が通りすぎた気がした。
それは瞼の外からの光だったかもしれない。
だが、そうは思わなかった。もっと、闇の世界に同化する。意識を同期させていく。
闇の中からぼんやりと何かが見え始めた。同時に騒音のような音が聞こえる。
――いや、聞こえるはずがない。
部屋には音が出るような物は無いはずだ。
だが、それはジェットエンジンの音だ。そう思うと目の前に広がる闇から小さな光がいくつか現れて、すぐに
計器類には何も問題が無い、哨戒飛行をしている時とほとんど同じだ。
レーダーにも、
だが、キャノピーの外側に微かな気配を感じる。
突如、アラームが鳴り響く。甲高い電子音がコクピットを満たす。
もう一度見回しても、敵影は見えない。
――レーダー照射を受けている……?
鳴っているアラームはミサイルアラートでは無かった。敵機からの
目視や逆探知で距離が分からない以上、どこから撃たれてもおかしくはない。
――そんな馬鹿な、これは夢だ。
のセンサーは優秀だ、少なくともレーダー波の逆探知はもちろん、各部センサーでほとんど死角が無いはずだ。
ほとんど反射的にスロットルを解放して加速、同時に機首を傾け、急旋回する。
激しく急旋回を繰り返し、見上げるようにして後方や上方に視線を巡らせる。
それでも、真っ黒に塗り潰されたキャノピーには何も映らない。自分の顔さえもだ。
息苦しさと、いつも感じているGの感触を味わいながら機体を操縦する。
目の前を何かが横切った気がした。
見えないはずなのに、小さな灯りが見上げた視界の中を駆け抜けた。
汗が止まらない、不快な感覚と気味の悪い悪寒が全身を蝕んでいく。
暗闇から小さな光が生まれた。そして、間も無く淡い光は大きな赤い光になった。その光を視界に収めながら、機体を旋回させる。
次の瞬間、赤い光は〈モルス〉になった。
機影は吸い付くように俺の後ろへ回り込んでくる。
コクピット内の後方確認用のミラーにはヤツの機首が映っていた、機体を激しく旋回させて振り解こうとしたが、不気味な機体はずっとミラーの中にあった。
――夢だ、夢だ。これはただの夢だ……
両方のフットペダルを踏んで、機体のリミッターを解除。スロットルを最大にしたまま失速するほどの急旋回を実行した。
上か下かもわからない漆黒の中で、ハイGターン。機速は大きく減速し、何度も体験したような叩き潰されるようなGが全身を襲う。
ペダルの踏む力を緩め、スロットルをいくらか戻してから、ミラーを見るとそこには赤い機影は無かった。
しかし、周囲を見回してもその機影は見当たらない。
コクピット内はエンジンの騒音が聞こえるはずなのに、自分の乱れた呼気だけしか聞こえない。
機首を傾けて別方向へ旋回。機速が戻っていない以上、急旋回は出来ない。
失速しないようにやらわかい機動を心掛けつつ、視線はずっと暗黒へ向ける。
だが、やっぱりヤツは見つからない。
そう思った瞬間だった。
突然、目の前を赤い機影が過ぎ去った。上から下へ――いや、本当に急降下したのかすら怪しい。
轟音がキャノピーを叩く。コクピットのすぐ傍を通り過ぎたのは間違いない。
機影を追うように機体を急旋回させるが、すぐに見失った。FCSにも、レーダーにもヤツの影は無い。
視界の中で、何かが光る。
悪寒が稲妻のように全身を駆け抜けた。
ミラーの中に、またヤツが映っている。
理解出来ない。どうしてその位置にいるのか、どうやったのか。もはや思考する余裕すら無い。
気付けば、リミッターを解除したハイGターンを行っていた。
それは反射的な行動で、既に引き返せない所まで来ている。
赤い機影はこちらを追い抜き、急旋回してこちらの追撃を防ぐ。
こちらは、失速し過ぎて追撃することも出来ない。機首は上を向いたまま、緩やかに高度が落ちていく。
スロットルを最大出力まで持っていくが、ドッグファイトするだけの速度とパワーはすぐには得られない。
少なくとも、失速寸前の状態でも機首はヤツの方へ向けることくらいは出来る。
補足することができたら、あとはどうにでもなる。
ヤツはこっちの考えを読んだのか、すぐに急旋回してこちらの懐に潜り込んできた。
急旋回でも速度を失わず、こちらの背後を通り過ぎる。
後方確認用のミラーに一瞬だけ機影が映った。
すぐにモルスの機影を視界を収める。ヤツはゆるやかに旋回しつつ上昇、こちらの頭上を抑えようとしている。
機体を右に傾け、ゆっくりと進路を変える。上方のモルスも同様に機首を傾けていた。
そして、機体をもっと深く傾けて、右のフットペダルを踏み込んだ。尾翼の端が曲がるのをミラーで確認する。機体がもっと深く、内側へと旋回した。
多少速度は落ちてしまったが、
モルスは高度を落とす。機首をこちらに向けているのが見えた。
すぐに目視では見えない位置へ移動してしまった、ミラーに映るのを祈るしかない。
兵装スイッチを指で弾く。機首に搭載されている10ミリ機関砲を選択。
赤い機影がミラーの中に現れる。
機首を反対方向へ傾け、旋回。当然ながらモルスもこの機動に追従してくるはずだ。
一瞬だけミラーから機影が消えたが、すぐに舞い戻ってくる。
スロットルを少しだけ落とす、速度も低下し始めた。推進力を弱めたからだ。
ミラーの中のモルスが徐々に大きくなっていく、位置もこちらのほとんど真後ろ。
普通ならもう撃たれているはずだ。
しかし、モルスは撃ってこない。
――撃ってこないなら、仕掛けるまでだ。
両方のフットペダルを踏み込み、操縦桿を引く。同時にスロットルを全開、アフターバーナーを点火。
低速度での急旋回、同時にリミッターを解除。並大抵の機体では失速して、コントロール不可能になってしまう。
そうなれば機速を取り戻すまで、高度を落としながら滑空する金属の塊に等しい。
だが、この機体――
ありとあらゆる速度域において、可能性を追求した結果だ。
速度やパワーが低くても、一瞬だけ「ハイGターン」を行える。
リミッターを解除した瞬間だけ、可変ノズルが通常ではありえない角度まで可動する。
機首が跳ね上がるように急旋回。
そして、視界いっぱいに真紅の機影があった。すぐにトリガーを引く。
同時に、発砲時の硝煙ガスで正面が淡い光が溢れた。小さな振動がコクピットに伝わってくる。
弾丸は真紅の装甲の上で弾け、明後日の方向へ進路を変える。
だが、弾着点は少しずつ胴体から機首へと移動していった。
低速時でもEYF-Xは充分に機動性を取り戻せる。突発的な推進制御やそれを可能にする最新装備と技術によって、チャンスをモノに出来るようになったのだ。
そして、10ミリ弾がコクーンキャノピーに着弾した時、モルスは死んだ。
力が抜けるように、エンジンノズルから伸びていた青紫の炎が消える。
こちらの速度域も限界に達していた。もう旋回する余裕も無い。
そして、目の前のモルスの残骸があった。真紅の装甲がどんどん近くなる。
フットペダルを踏んでも、操縦桿を倒しても、失速で操縦不能になっていた。モルスの残骸を回避することは出来ない。
エンジン内の圧力が低下し、出力が低下。
そして、エンジンストールを起こし、飛行不可能となる。従来のジェット機でも当然のようにあり得た事だ。
真紅の装甲は、もうキャノピーのすぐ傍まで迫っている。
――共倒れ、か。
視界全てが真紅で染まった。
目を開ける。
部屋はすっかり暗くなっていて、窓から入ってくる風が冷たくて心地良い。
全身は汗だくだった。身体が燃えるように熱い。
額の汗を手で拭う。だが、手も汗で濡れていて余計に不快になった。
手の汗をタオルケットで拭いていると、携帯端末が振動していることに気が付いた。
マーカスからの着信。
通話のアイコンを親指でタップしてから、端末を耳元に当てるとマーカスの声より先に聞き慣れた喧騒がやってきた。
『よぉ、ユート。寝てたか? よい子は寝る時間だが俺達にはちっと早いんじゃないかなァ』
一瞬だけ耳元から離して、画面に表示されている時刻を見た。
時刻は20時くらいだ。何も用事が無ければ寝ていてもいい時間帯ではあるが……
『――今、ゲーセンなんだけどよォ、この前のリベンジしたくってさァ』
「いいだろう、どこの店だ?」
『駅前の、角ビルのところの店だ! 』
端末越しに向こうの熱気が伝わってきた。ゲームセンターのありとあらゆる音楽や音、そして人々の会話や歓声が聞こえてくる。
ゲームセンターは嫌いではない、むしろ好きな方だった。
「これから向かう、待ってろ」
『――おうっ』
汗で濡れた肌着を脱いで、適当な服装に着替える。
そうして、いつもの携行品を持って部屋を出た。
地上にいる時の唯一の楽しみだ。素人相手でも本気を出すことが出来るからというのもある。
さっさとシャッターを開けて、バイクに跨る。
夜でも明るいアキツの街へ走り出す。
ここから駅前はそれほど遠くない。
大きな通りを使うと混んだ時や、時間帯によっては警察の見回りがある。特にバイクに乗っていると余計に目を付けられてしまう。
時間的にも、その他リスクを避けるためにも細い路地や住宅街の間を抜けていく。
大通りとは違って、とても静かだ。こういう場所で騒音は立てたくない。
細長い路地を抜け、ブロック塀で囲まれた通路を抜けるとそこは駅周辺だ。
いかにも仕事帰りの腐った目をしたサラリーマンや、金属アクセサリーを身体中に身につけたヤンキー。他校やアキツ高校の制服を着た学生もいるし、それに近寄っていく男の姿もあった。
視線を上げれば、駅周辺の店の灯りやその向こうにあるネオンの看板、街灯、窓から光が洩れている複数のビルが見える。
バイクのエンジンを止めて、駅の駐車場に置く。
人の流れに紛れるように徒歩で移動することにした。
周囲は人々の会話、端末の着信音、靴底がアスファルトを叩く音、遠くから車の走行音すらも聞こえてくる。
誰もが同じように時間が過ぎていくのを感じ、現実を生きている。
他者の存在を感じ、誰かの視線を感じ、赤の他人の姿を視認している。
自分が何者なのか、普段は何をしていて、休日はどう過ごすのか。
主観は俺、ユート・ライゼスだ。
別の誰かにとってはユート・ライゼスは名前も知らない赤の他人。世界はいくつもの主観によって形成されている。
時々、それがわからなくなる。これは俺が見ている夢幻なのではないだろうか――と。
それでも、ここを歩いている人々が何事も無く明日が来ることを確信しているのは、俺達イースト・エリア国防軍があるからだというのを再確認できる。
俺が空で戦うのは、アキツだけじゃなく、イーストエリア全土の人々の日常のためだ。
もちろん、そう教育を受けたからじゃない。マーカスやエリカ、クラスメートのみんなの日常だって守っている。
――それが、この仕事の誇りだ。
顔を上げて、夜空を見上げる。星々は見えなかったが、漆黒の空には半月が浮かんでいた。
地上の灯りが眩しすぎて月の光を感じることは出来ない。
飛行禁止処分のおかげで、地上から月を眺めることが出来る。あと1ヶ月もこうして地上から空を見上げる生活が続くわけだ。
地上にいても、隊のみんなには会えるし、学校もそこそこ楽しい。
それに、こうして夜中に呼び出してくる知人もいるわけだ。
イーストの人々の自由は、俺や国防軍に所属している人間達によって守られている。
俺は夜空を見上げるのをやめて、マーカスが待っているだろうゲームセンターへ急いだ。
まだ、夜は始まったばかりだ。
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