EP.02:青空Ⅰ

 電子音が鳴り響く、ほぼ反射的に身体を起こし、意識を覚醒させた。

 目覚まし時計を止めてから、アナログの腕時計で時刻を、携帯端末で情報を確認する。

 訓練用の野戦服BDUを着ようとして部屋を見回すと、俺はようやく自分の周辺状況を思い出す。


 ここは基地の自室ではない。

 そこそこ高い家賃のアパートの小部屋。乱雑に置いた荷物や高校の制服等が床に散らばっている。

 その中から高校の体育着を手に取って、着替える。

 


 机の上にあった飲みかけのミネラルウォーターのボトルを身体に流し込む、すっかりぬるくなっていて、飲み込んだ後で微妙な不快感がこみ上げてきた。


 ベッドの脇に置いてあるハードケースの1つを取りだして開封する。中には小型の拳銃と弾倉が入っていた。

 それを机の上に置き、机の上に置いていた9ミリ弾を1発ずつ弾倉に押し込めていく。


 9発入れると弾倉に弾薬が入る余裕は無くなった。鋼鉄ではなく、強化プラスチックまたはポリマーで作られた外装の護身用コンシールド拳銃を体育着のポケットに収める。



 部屋の鍵もポケットにつっこみ、玄関に置いてあるブーツに足を入れて、側面にあるジッパーを引き上げる。

 部屋から出ると、熱を帯びた朝日が眩しくアスファルトの道路を照らしていた。

 だが、気温は高いわけではなく、風も良い感じに吹いているおかげで涼しい。

 

 アパ―トの2階から階段で降りてみると、空はまだ完全に日が昇っていないのがわかった。太陽はまだ半分くらいしか顔を出していない。


 深く息を吸い込みながら身体を伸ばす、吸い込んだ息を吐き出すと同時に右足を踏み出した。すぐに左脚も踏み込み、すぐにランニングフォームに移行する。



 普段は基地内の自主トレなのだが、例の一件によって『クーガー』というパイロットは謹慎処分を受けている。今も基地内の寮室に軟禁されている――ということになっている。


 クーガーとは自分のことだ。

 俺は幼少から兵士として、強襲可変機のパイロットとしての教育と訓練を受けてきた。しかもその存在は極秘扱い。

 だから、非公式のレイダーパイロットだ。



 例の真紅の領空侵犯機は、レッドアイ・ガーゴイル社の所属機だと表明された。

 だが、イースト・エリアまでの単独飛行でこちら側の『言葉』が分からなかったという言い分だ。


 そんなはずはない、絶対にあのパイロットは本気だった。

 悪戯というレベルでは済まされないが、国防空軍は国内の民間軍事会社PMCに対して一部地域の防空を担わせているのもあって頭が上がらないのが現状である。


 だから、真紅の機体に唯一傷を与えたガルーダ4<クーガー>には罰が与えられることになった。

 そうでなければPMCを統括している企業連合がいい顔をしないらしい。

 だが、クーガーというパイロットの本物は機密扱いの高校生。

 基地内で軟禁することは出来ず、実際は数ヶ月の飛行禁止処分となった。


 そんな自分にとっての救いは基地から登校する所を誰かに見られる危険が無いこと、撃墜されたユニコーン4の新米パイロットは無事生還したことくらいなものだ。


 ――どうすれば良かったのだろうか。


 あの時、本当に撃墜してしまっていれば良かったと思った。

 いくらなんでもやり過ぎたあの機を、「傷をつけた」程度で逃がしてしまったのが悔しかった。

 実際、この処分に対して隊長含む十数人の異議申し立てがあったそうだが、上層部はこの事態を重く見ているらしく。


 『領空侵犯機が本当に、敵かどうかを再考する余地があったはずだ』などと言い放ったそうだ。

 どう考えても、友軍機を1機撃墜した時点で敵か味方かなどと言っている余地は無い。しかし結果的には企業側に相当配慮した結末になった。


 ――ヤツを仕留めることが出来ていれば……!

 

 自分の実力が足りないのが悔しい。

 もっと良い戦い方が出来たはずだ、もっとマシなやり方があったはずだ。

 だが、結果は出てしまった。だから後悔しかすることがない。


 コンクリートをもっと強く蹴るように、八つ当たりするようにもっと加速する。

 人通りの少ない道路や路地裏を抜けて、上り坂を駆け上がる。


 そうやって行くアテも無く、ただひたすら走り続けていると、6時を告げるチャイムが防災無線を通じて町中に響き渡った。

 もう太陽は苛烈な日差しを降り注ぎ、気温も高くなってきている。

 汗まみれの身体をもう一度酷使して、部屋まで全力疾走した。





 空はやけに青い、昨日もそれなりにだったが今日は格別に色が深い気がした。

 シャワーを浴びてから朝食を済ませ、学校指定のワイシャツの上にバイクスーツを着る。さすがに上着は暑くて着る気にはなれない。

 荷物をバックパックに押し込んで、財布や貴重品はウエストポーチやベルトと組み合わせた携行ポーチに入れて、準備完了。


 ランニング用とは別のブーツを履き、もう一度ポーチの中身を再確認。

 最後に護身用の拳銃を取り出し、スライドを少しだけ引いて薬室内を確認する。


 そうして、俺は部屋を出た。

 部屋を出て階段を降りると、部屋の番号が書かれたシャッターがずらりと並んでいる。

 自分の部屋の番号と同じシャッターのロックを解除して開けると、そこには中型のバイクと関連の道具や部品がいくつか置いてある。


 このバイク<メビウス・ブルー>は、燎機ウィングマンである「リー」という男の手によって魔改造された一品だ。


 高校入学の祝いとして貰ったわけだが、バイク通学は許可されていてもこれほどまでに派手にカスタムされたバイクを乗っているのはきっと俺だけだ。



 ヘルメットを被ってから、スーツの腕部に収納していた携帯端末からコードを伸ばしてヘルメットに差し込む。

 ただのヘルメットではなく、カメラが内蔵されていて、バイザーがモニターとなり、端末と提携して道路情報や通話も出来るというシステムが入ってる。


 バイクを押して、シャッターの外へ運ぶ。キーを回してエンジンを始動。

 純粋に深い青色、いや群青色とでも呼ぶべきだろうか。そんなカラーのバイクに跨り、ハンドルの左側にあるスロットルグリップをゆっくり捻る。

 

 ブレーキを離し、スロットルをもっと捻る。

 エンジンが大きく唸り、バイクが前へ進む。

 そして、そのままスロットルを深く捻って加速する。


 こうして、高校生のユート・ライゼスの1日がようやく始まった――気がした。






 町中はいつも混んでいる。

 道路はどこを見ても車だらけで、歩道には人が溢れ、もっと上から見たらカラフルな米粒達が動いているような景色の中に、俺は居る。


 今日はやけに混んでいる気がした。車の列はほとんど進まない。

 ヘルメットのバイザーには今更『注意! 中央街にて渋滞発生!』とニューステロップと一緒に流れてきた。

 そして、目の前には路線バスが半ば強引に割り込むようにして停留所に入って行く。

 次の瞬間には、後ろから車の間をバイクが走り抜ける。

 確かにバイクの利点は小回りが効くことだ。さっき走り去ったライダーが来ていた制服はアキツ高校のものだった。紺色のブレザーはアキツ州以外を含む高校にはほとんど採用されていない。だからすぐにアキツ高校とわかる。

 バイザーに投影されている情報の時刻を確認するが、それほど急ぐような時間ではない。


 この渋滞を見たら焦ってしまう気持ちはよくわかる。だがこの先を曲がった先の裏道を使えば学校に行くことが出来る。


 あと、もう少しだけの辛抱だ。


 熱気は増すばかりで、どのドライバーも表情に不快感が滲み出ている気がした。

 暑さから逃れようとしてヘルメットのバイザーを上げてみたが、風どころか熱気を帯びた生暖かい空気が蔓延しているのを上げてから思い出す。

 むあっとした熱を吸い込んでしまって、嫌な汗が出てくる。


 そんな時だった。


「――乗りますッ!」

 その聞き覚えのある声と同時にドアが閉じる音がして、非情にもバスが走り出した。

 前を見ると、ちょうど列が進み始めたようだ。


 停留所を見ると、さっきの凛とした声の主はやっぱり知り合いだったようだ。

 右折のハンドシグナルを出して、何とか停留所へ辿り着くと声の主は呆れたような表情で俺を見ていた。


「……んだよ?」

「――ここ、路線バスの停留所よ」

 長い黒髪が揺れた。お互いに呆れるほど顔を見合わせてきた仲だ、挨拶抜きの口喧嘩には慣れてる。


「――うっせェな、あのバスに乗り遅れたら部活の朝練に行けねェんだろ」

 彼女は返事の代わりにバイク後部のコンテナから予備のヘルメットを取り出し、着用しながら後ろに座った。


「はいはい、それじゃ事故らないように急いでね」

 バックパックにしがみついたのを確認してから、再び走り出す。

「――それでは発車致しますよ、エリカお嬢様?」

「――うっさい!」

 スロットルを勢い良く回して急発進。それでも彼女は驚かない。

 もう何回乗せたことだろうか、もう荒い運転でも驚かなくなっている。

 ――つまらないものだ。


 バイザーを下げて、車列のすぐ傍を走り抜ける。信号が切り替わる直前で無理矢理曲がって、それからすぐに細い路地へと曲がった。

 家々の間に出来た余剰スペースのような細路地は迷うと思わぬ所に出てしまったりするが、把握すれば主要道が混んでいる時には効果的な迂回路となる。

 幸運なことにこの辺りはニュータウン街だ。だから余裕を持って出勤するような連中は大抵が自家用車で、渋滞を予想していることが多い。


 会社に絶対に遅刻することが無いように、寿命を削ってまでして出勤していると思えばサラリーマンもそれなりに過酷な仕事なのだろう。


 路地を抜けると、そこは道路ではなく舗装されてない砂利道だった。

 建物はほとんど無く、すぐ近くに川があって、河川敷がある。それだけだ。

 そして、その景色の奥に学校が見える。農業科が実習で使う田畑が地平線の1つに加わっている。そのせいか、やたら緑が多く見える。


 砂利道を走るのはなんともないが、思った以上に見通しが良すぎて気になってしまう。それにこんなに目立つカスタムバイクなんかだったら余計に目立ってしまうだろう。

 ガタガタと車体が揺れるが、本格的なオフロードコースを走ったことがあるから不安は感じない。


 河川敷の上の小さな橋を越える。そこでまた砂利道に戻った。すぐ横には農業科が栽培している野菜や稲を植えている水田がある。


 戦争が起きる前までは、こんな景色がどこの州にもあったらしい。今でも大規模にやってるのは北か南かの極端な場所くらいだそうだ。

 ほとんどが技術系や製造業で生計を立てようとしているらしい、自然と生きるというのはもう昔の事だ。


 農業科のビニールハウスの間を抜けて、学校の敷地に侵入する。そして農業科のテリトリーを抜けると校庭に辿り着いた。

 倉庫脇からゆっくり出てくるが、校舎へ向かっていく生徒達は一切こちらに気付かない。

 農業科の敷地に足を踏み入れるのは厳重注意される事例なのだが、バレなければいいさ。

 さりげなく、静かに登校する生徒群に混じる。

 バイクのエンジンを止めて、ヘルメットを取った。後ろに乗っていたエリカは早々にヘルメットを外すと、俺が振り向くより早くヘルメットを収納していた。

「――ありがとね」


 そして、俺が返事をするより早く駆けていった。行く先は高校の隣にある大規模な人工芝のコートだ。学校というよりは州の施設で、散水設備や倉庫もしっかりある。

 エリカはフィールドホッケーの部活動に所属している。球戯の格闘技と言われるほどに激しいスポーツらしい。

 身体をいじめるのは慣れてるが、人と競うのはゲームくらいが丁度良いと思う。


 バイクを押して駐輪所まで移動する、人の流れに逆らうと不自然だが、風紀員が出てこないことを祈ろう。


 駐輪所付近には同じバイク通学の連中が到着していた。渋滞の中で見た生徒も到着したばかりのようだった。

 自分もさっさとバイクを置くために屋根しかない駐車スペースに適当に置いた。屋根があるだけマシだ、とは言っても風には晒されているわけであまり良い気分ではない。

 他のバイク通学者と同じく、バックパックからバイクカバーを取り出して被せる。ただのナイロン袋だが無いよりマシだ。派手なバイクだとよくベタベタと触るヤツがいるから困る。

 草があちこちに引っ掛かっているのが気になって、すぐにカバーを被せることが出来なかった。

 やっぱり貰い物でも大切にしたい。


 ――すぐ隣で自転車が止まった。

 見上げるとニンマリと笑う男子生徒がいた。太り気味で、教科書を入れるわけでもないのにいつもバックパックで登校している男子だ。


「――おはよう、ユートくぅん――」

「おう、マーカス……」

 彼は自転車を降りると、さっそくバックパックを降ろして何かを探し始めた。

 俺はその間に自分のバックパックからブレザーを取り出して着替える。

 そして、マーカスも目的のモノを取りだしていたようだった。


 俺は先に校舎へ向かって歩き始めると、マーカスも付いてくる。

「――大ニュースだぜッ『イースト上空に未確認機現る! 深夜の大空戦!』だとよ!」

 鼻息が荒く、手汗が凄いことになっている。そのせいでタブレット端末も汗で汚れていた。

 そして、マーカスはそんなことはお構いなしに続ける。

「――未確認機って、この赤いレイダーの事だろ? この写真は俺の知り合いが撮ったヤツだ、それでこっちの記事の方は一般公開されている情報の方でな――」

 マーカスの『知り合い』が撮った写真がディスプレイに映っている、それは紛れもなくあの<ボギー013>だ。どこかの基地に着陸する様子の画像だった。

 基地より高い場所から撮影されているようだ。数枚の画像は滑走路に接地する寸前、滑走路中腹辺りで走行している所、ハンガー手前で停止している所が映っている。

 一番最後の画像には、俺がつけたキズがハッキリと見える。


「――それでよォ、このキズだよ、このキズぅ。ニュースでは威嚇射撃が掠ったとか言ってたけど、ぜってー違うよ! だけど11や16のソードにしては小さすぎるんだよな――」


「……それで?」

 マーカスの眼が今までに無いくらいにキラキラと輝いている気がした。

 コイツは軍事に関連したことが三度の飯より好きで、ゲームやスポーツもそういった方面を嗜んでいるらしい。よくゲームの対戦相手をさせられる。


「……俺の推測では、これって『レイ』の隠しカタナじゃねーかなって思うのよ!」

 レイ、RAY、EYF-Xの別称だ。そして俺が実際に使った左腕のブレードは「カタナ」なんて好事家達から呼ばれているらしい。ならば、俺はサムライになるのだろう。


「根拠がねーな、それじゃ正解とは言えんだろう?」

「――いやいや、さすがにソードじゃ当たりが強すぎる。装甲が歪んじまうだろッ」

 ソード、陸戦アーチャータイプの人型兵器からずっと使われてきた手で持つタイプの近接兵装。

 文字通り「剣」だ。大振りだし、しかもそれなりに重量もある。昔からの名残で強襲可変戦闘機レイダーにすらソードを積んでいる。諸外国ではもうそんな真似はしないというのに。


 ――だが、マーカスの憶測は正しい。


 ソードは極端な威力を持つ、加減することは出来るが元々一撃必殺の武器として造られているのもあって機体の制御側での攻撃はほとんど「ぶった切る」ようなモノだ。

 そんなパワーのある攻撃が当たっていたら、ボギー013なんてとっくに海の藻屑だ。そうならなかったから、こうして画像を撮られている。


「でもよ、RAYは実戦投入されてないぞ」

「――お前、まだそんな嘘信じてるのかよッ」

 マーカスはすっかり興奮して、何を喋るにしてもツバが飛んでくる始末だった。


「――ああ、悪かった。いつだっけか、アレだろ『試験飛行隊』が云々だっけ?」

「そうそう、RAYは20機生産されていて、A型を試験運用している飛行隊がいくつかあるんだよ。アキツ基地にも1小隊いたはずだぞ」

 時々コイツが恐くなる。それとも好事家っていうのはその辺の機密情報まで探るような集団なのか? どうしたらこんなに正確な情報を把握しているのだろうか。


「――それでー、そのアキツの試験隊がヤツとやりあったんじゃないかって思うのさ」

 マーカスは自信満々だ。

実際その通りだったわけなのだから、はっきり正解だと言ってやりたいくらいだ。おまけにプレゼントも付けてもいい。


「お前、先週の水曜日に『アキツ基地は精鋭揃いで、旧型機でも充分に最新鋭機とやりあえる』とか言ってたじゃねェか。それは嘘か?」

「――嘘じゃねーってッ」

 話をしている間に校舎の入り口を過ぎて、下駄箱前まで来ていた。


 マーカスと話すのは疲れるが、こういう好事家の知識はとても面白い。基地では機密だとか保全管理でそういった情報に触れる機会が少ない。だから知らないことばかりだ。

他にもマーカスの考察や推測が意外と筋が通っていたり、正確だったりするから余計に面白い。不思議と続きが気になってしまう。


 上履きに履き替えて、脱いだブーツを乱雑に靴棚に押し込む。

 

 相変わらず校舎の中はピカピカで、どれだけ不真面目に掃除しても綺麗に見えてしまうくらいだ。


 隣にいたマーカスが肘で小突いてくる。

「――なぁー、お前はホッケー好きなの?」

 さっきまでのとは全く別の話題に切り替わっている、マーカスと話をしていると稀にこういう事があるから困る。

「いいや、見たことはあるがやったことは無い」

「んまー、いいや」

 それだけ言って、俺の横に並んだまま階段を上がる。


 そして、マーカスは言葉を続けた。

「――例えば、お前と仲が良いエリカ嬢とサッカー選手とが同じフィールドで試合したらどうなる?」

「そりゃ、お前な……」

 「カオス過ぎて比べるまでも無いだろ……」と口にする直前に止めた。これはどうやらさっきまでの話に関連しているらしい。珍しい事もあるものだ。

 しかし、ホッケーとサッカーではボールの堅さも大きさも全く違うのだがどうやって試合するのだろうか、とその光景を想像するのを諦めた。


「次元が違うのさ。仮想敵として『想定』しているレベルを超えた相手が来たら勝てるなんて言ってない。だから最新鋭機をアキツ州、その防空の要に実戦配備してんのよ――」


 そのアキツ基地のパイロットの俺でさえも、その辺をはっきりと意識した事があまり無かった。確かに他の基地より緊張感がある職場だと聞いてはいたが、そういう視点なら自分の所属しているガルーダ隊の特殊性がより強く感じることが出来る。

 想定していない相手に対応する、特殊戦隊。まさにスペシャリスト。

 ――同じ土俵でも、異種格闘技となれば話は別になるわけだ。     


 階段の途中、2階の廊下へ向かうと同級生達の喧騒が教室から溢れている。

 マーカスと一緒に教室に入ると、彼同様に軍事好きの仲間達が駆け寄ってきた。彼等に包囲される前に早足で自分の席へ向かう。

 マーカスは早速、俺に見せたようにタブレット端末を掲げて解説を始めていた。

 俺と違って意見や推測を激しく交わす仲間達のようだった、遠目から見てもその熱は伝わってくる。

 しかし、マーカスほど正確で真実に近い考察をした者はいなかった。

 


 バックパックを椅子に引っ掛けて、机に手を置くとほんのりと暖かった。窓際の席ということもあるが今日は風が強くて体感的には涼しい、気温より暑く感じない。

 窓の外の景色は緑に覆われた山肌と、コンクリートの建造物や家々が見える。その人工物に溢れている隙間に草木や川、田畑の青さが垣間見える。

 視線を手前に戻すと、隣の人工芝のコートが見えた。ホッケー部だけではなく、テニス部も簡易的な自主練習に使っているらしい。テニスコートは校内の敷地にある。


 学校指定の体育着で人工芝を駆け回るというのはどれだけ大変なのかはわからない、無駄に生地が厚く、通気性も良くない体育着よりユニフォームを着て練習したらいいのに、なんて思ってしまった。

 ホイッスルが鳴って、部長らしき生徒の元に部員が集まる。それから間も無く全員が荷物を持って駆け出していた。

 どうやら、朝練は終わりのようだ。

 今日はこれから日差しが強くなるだろう、なにしろ雲ひとつ無い晴天だ。 

 早朝に見たあの深い青さは薄れて、安っぽい水色の空だったのが気にいらなかった。




 いつもと同じく教室は騒がしい。だがいつもと少し違うような気がした。

 残る授業はどちらもホームルームしかない、生物の担当教師が熱中症で倒れたそうだ。

 ――そんな事態にクラスメート達の中には『やったぜ』『ざまぁみろ』と歓喜している者もいた。


 その理由だけで教室の雰囲気が浮き足立ってるわけではないようだ。

 マーカスに事情を聞こうとしたが、昼休みは仲間達と携帯ゲーム機の対戦に白熱している、楽しんでいる所を邪魔したくない。それほど大した問題とは思えないからだ。


 ふと、声が聞こえた気がして窓の外を見ると、隣の人工芝コートで数人の生徒が騒いでいた。そしてコート内に散水する装置が可動して、設置された散水機から強烈な勢いで放出される光景は消防車の放水のようだ、コート内に水のアーチが架かる。

 その下では雨が降っているかのようにビシャビシャになっているらしい。遊んでいる生徒の体育着があっという間に水浸しになるのがわかった。


 今は衣替えの時期だ、朝はそれほど暑くなくとも昼間は地獄のように暑い。

 ――地獄の中の、どの地獄かはわからないが。


「――ユート!」

 目の前から自分を呼ぶ声が聞こえ、視線だけ向けるとそこにはエリカがいた。今日は珍しく他人の席に座っている。

 外の景色を見ていて気付かなかった、気配を察知出来なかったのが少しだけ悔しい。

 それだけ気が緩んでいた証拠でもあるわけだ。

 

「……ンだよ、これから昼寝しようと思ったのに」

「――ウソでしょ、このくっそ暑い中でブレザー着てるのアンタだけよ!」

 冗談だと思って見回してみると、エリカの言うように全員がワイシャツ姿だ。中にはもう半袖を着ている生徒もいる。


「……お前な、一応『お嬢様』なんだからクソとか使うなよ、もっとお上品な言葉遣いに直さないと姉様に怒られるぜ?」

 エリカの表情が引きつったように崩れた、そして間も無く反撃の狼煙を上げる――

「――アレでしょ。まーた拳銃を隠し持ってるとかじゃないの?」

「持ってない」


 以前は上着の下にハーネスキットを組んで、脇の下のホルスターに拳銃を隠していた。しかし、エリカはそれに気付くと拳銃を持ち歩くな。と突っ掛かって来た。

 それからはベルトにホルスターを付け、布を巻いて隠したり、ウエストポーチに入れたりとしたが、エリカはその度に帯銃していることに難癖をつけてくる。


「――大体、拳銃なんか持っていてもしょうがないじゃない! それで誰を撃つのよ? 『俺は銃を持ってるぜ、恐いだろ』みたいな感じにカッコつけてるんでしょ!?」

 全く見当違いだが、彼女のせいで通常の拳銃から特殊な隠し持ち専用の拳銃を購入したのだから、正直これ以上は勘弁して欲しい。


「あのな、前にも個人的自衛権の話を――」

「――そんな話はどうでもいいでしょッ」

 ――よくない。

 はっきりと言ってやりたいが、今のエリカはまさに燃え盛る炎だ。そんな状況で暢気に油を注ぐほど俺は脳天気じゃない。


「――わーった、わかったから……」

 大袈裟に両手を上げて、降参の意を示す。それでも攻撃的な姿勢は崩さないらしい。

 これでボディチェックなんてされたりしたら、どんな悲惨な結末になるか想像も出来ない。


「……何かあったら、警察。トラブルの前に、最初から近寄らない。だろ?」


 怒りを表現しているかわからないが、エリカは頬を膨らませてこちらを睨み付けている。

 ――お前な、リスだってもうちょっと愛想良いツラだぞ?


 エリカが頬を膨らませるのをやめる、それと同時に話を切り出してきた。


「明日、転校生が来るんだって!」

「……先に本題を切り出せよ」


 この時期に転校というのは世間的にどうなのか俺にはわからないが、それでクラスメート達が浮かれてるというなら、それはそれできっと楽しい話題なのだろう。

 俺には顔を覚えなければならない人間が増えるだけで、あまり喜ぶ気にはならない。


「それでね、その子が今日来たらしいの! ミカが廊下ですれ違ったって言ってた――」

 エリカは楽しそうに話を続ける。外見はどうで、髪の色は、歩き方は、付き人は……友人から聞いた話をそのまま俺に伝えようとしている。

 ――楽しそうだ。


 きっとエリカは楽しく生きてる。歳相応で、だが家柄のちょっと面倒な悩みもあるだろう。

 でも、普通の女子高校生だ。普通に生活している。


「――で、お嬢様みたいだって言うのよ」


「お前もお嬢様だろ、東洋の伝統守ってんだろ?」

 俺がいつも使う返事に、エリカは再び不機嫌な表情になった。

「だから違うってば! からかうのいい加減にしてよ……」

 そう言い切ってから、全身の力を抜くように大きな溜息をついた。


 それから、エリカは大きく背伸びをする。


「ユートもさ、そろそろ青春しなよ。いつまでもマーカス君とだけじゃなくて、女の子ともおしゃべりしたらいいじゃない」

「それ、同じことを先週も言ったろ」


 小学校、もしくはその前から会っているかもしれない。エリカはなんだかんだ言っても長い付き合いになる。幼馴染みというより腐れ縁だ、どこに逃げても追っかけてくる。

 それでも、隊の仲間以外で唯一気を許せる相手でもある。

 ――下手な探りが無ければ、もっといいのだが……


「――空ばっか見てないで、たまにはウチのコートでホッケーしようよ!」

「あの人工芝は州の物だ、『ウチの』じゃないぞ」

 クスッと小さく笑ってから、エリカは席を立った。

 エリカの家には人工芝は無いが、お屋敷に庭園がある。それも本格的なヤツだ。

 ――でも、俺が知らないだけで人工芝のコートなんかもあるのだろうか?


「大丈夫、ちゃんと手取り足取り教えてあげるからさッ!」

「――冗談じゃねェ」

 そして、静かに立ち上がりながら「いつでも待ってるからね~」とだけ言い放って、彼女はそのまま自分の席へと戻っていった。

 それからすぐにチャイムが鳴って、昼休みが終わった。いくつかあったグループは解散し、各々が席へ戻る。


 数分後には5校時目開始のチャイムが鳴って、それに遅れて担任の男性教師が教室にやってきた。

 授業ではないから、と担任の弁明からホームルームが始まったのだった。



 内容は大したことはない。転校生がどう、という話も無かった。

 体育祭に向けて、種目を決めたり、クラスシャツを作るとか、そういった事だ。


 ――黙っていても、このクラスの連中は気が利くからトラブルなんて起きない。

 黒板には白いチョークで各種目が書かれ、それに付け足すように担当者の名前が書かれていく。

 俺の名前は書かれていない。種目に対して生徒の数が多いというのもあって、補欠が非常に多い。

 俺は「ユニホック」という競技の補欠になっている。確かフィールドホッケーの簡易版のようなモノだったはずだが覚えていない、去年はちょうど空を飛んでいたからだ。


 そんな事もあって、学校行事は見事に欠席している。もちろんパイロットであることは機密事項だから、体調不良や家の用事、親戚の不幸など嘘を並べていたわけだ。

 こういう「みんなで楽しむイベント」みたいなモノは嫌いではないが、当日にいない可能性の方が圧倒的に高い。だから練習だって授業でなければ参加していない。

 去年も確かユニホックだった気がするのだが――


 種目を決めると、今度はクラスシャツのデザインを話し合うらしい。種目決めの段階でヒートアップしていたテンションがより激しくなっているようだ。

 早速、男子の『カッコイイデザイン派』と女子の『シンプルでオシャレデザイン派』で大きく揉めているらしい。それ以外の派閥も意見を出しているが、余計に燃え上がっている大派閥の論争の前では意味を成さない。

 その熱意がそのまま室温に影響しているような気がして、暑く感じる。


 少しでも涼を得たくて、俺は窓を開けた。

 草木のむせるような濃い匂いが風と一緒にやってくる。


 風は思っていたより弱かったが、そよ風が心地良い。窓の外は相変わらず騒音に満ちている。

 電気自動車の走行音、電車のレールが擦れる音、人々の足音、話し声、隣のコートでは社会人らしきプレイヤー達が人工芝の上を走り回っている。

 ゴルフボールより固そうで、しかも野球のボール並にデカイそれをスティックで叩いて飛ばす。ゴツンと重い音がしてから、重い金音が響く。

 ゴールの奥側は金属板があって、それに剛速球がぶつかった。


 何度か試合を見たことがあるが、フィールドホッケーは球足が速く、危険なスポーツだ。

 キーバーは全身防備だし、プレーヤーだって保護マスクや脛当てを装着している。

 ――まさに、格闘技だ。


 このスポーツをやろうとは思わないが、見ていて楽しいのは事実だ。

 簡易版のユニホックも劣らないくらいに激しい、安全面からスティックやボールもプラスチックになっているがスティックどころか身体同士がぶつかり合うことは練習でもよくあったのを覚えている。


 水で濡れた人工芝をボールが駆ける、それを追う選手達。


 毎朝のようにランニングをしているが、特に競争相手がいるとか、記録を作っているとかそういった事は一切無い。

 ただの習慣だ。

 リーからは『あまり身体をイジメすぎんなよ』と言われているが、基地内でのランニングと同じくらいの距離や時間を目安に走り回っているだけで、身体を鍛えようとして走っているわけではない。


 唯一の救いはランニング中に学校関係者と遭遇していないことだ。


 特にこういった体育会系の行事では、そういう習慣を持っているだけで矢面に出なければならなくなる。

 この学校が全員入部制でないのも、ここが気に入った理由の1つだ。



 ディフェンスが流れてきたボールを受け止める。

 カツン、と固い音が鳴り響いた。すぐに前衛へパスを回した。

 ザクザクと人工芝をシューズで踏み締める音が聞こえる。またパスが回って、ボールが人工芝の上を駆け抜けていく。

 

 こんなにクソが付くほど暑い日に、大人達は人工芝の上を走り回っている。

 全員がホッケーに熱中していて、シュートを入れる度にオフェンス陣が歓喜した。

 無邪気にスポーツに興じている大人達の姿を眺めていたら、青臭く、甘い、西瓜のような香りが風に乗って来た気がする。


 ――アキツの夏はこれからだな。

 嫌になるくらい暑いはずなのに、窓の外から入ってくる風はとても気持ちよかった。   


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