67 頑張らせていただきます

ヘンゼはその木を見上げて呆然と見惚れた。


「聖色の花……」


光を放つような聖色に近い黄色の小さな花が咲き乱れる様は、まるで暗闇から光のある場所に出た時のような目が開く感覚だった。


そして、不意にその花が本当に光を放ち始めたことに気づく。それが集まり、現れたのは一人の初老の男性だった。


《ん? 君って……あっ! 隣の伯爵家のっ、この前家出した子だね!》

「あ、あの……いえ、その……それが私のことでしたら、この前というほど最近ではないのですが……」


何十年前の話だろうか。だが、隣の伯爵家の者だというのも合っている。それならば、自分のことなのだろう。


《あはは。ごめんごめん。なんせ一年に数日しかこうして出てこないから、どうしても時間の感覚がズレちゃってね~》

「はあ……」


ふわふわと浮いていることからもわかる。彼は人ではない。では、精霊や神霊の類かと思わなくもない。そういったものの存在は、古い文献にはある。


そんな疑問が顔に出ていたのだろうか。彼は笑いながら頭を掻いた。


《僕としたことが、挨拶がまだだったね。私はファクラム・シェンカ。ここの一族の先祖なんだ。許可をもらってこうして死んだ後もここに留まってるんだよ》


誰の許可かというのは聞かなくても分かる。神のことだろう。


「そうでしたか……私はヘンゼと申します。今は王都で大司教をしております」

《へえっ。大出世じゃん! 実家には行った? 今ならバカにしてたやつら跪かせられるでしょ!》

「いえ……兄が後を継いでいたようですが、顔を見るのも嫌でして……」

《あはは。そうなの? でも本当、あそこの一族って業が深いよね~。一応、僕の妻の実家の末裔なんだよ?》

「そ、そうなのですか?」


知らなかった。


《そうは言っても、本当に末裔も末裔でね。妻が実家の本家は潰しちゃったからさ。分家筋が細々と頑張って、また返り咲いたって感じ》

「……知りませんでした……」


潰したってなんだろう。物騒な話だ。


《君、四男でしょ》

「え、ええ」

《だよね~。あまり親とか良い印象ないんじゃない?》

「そうですね……疎外感はありました」

《やっぱしっ。いやあ、妻が四女でね。その後も四男とか、四女が家の不正とか暴いたり、あの一族で四男、四女が禁忌的な存在になってるんだよ。自分たちの行いが悪いのにね~》


四女であったファクラムの妻のことがあり、それからあの一族では四女の存在を疎ましく思うようになった。


ただ、一族を窮地に追いやったのが四女であったというだけのことで、生まれた四女が悪いわけではない。だが、そうして、疎ましく思う気持ちが影響し、一族を嫌った四女や四男が行動を起こすようになったのだ。


全ての結果は一族の偏見のせいだった。


《君には災難だったね》

「いえ……あの家から出ようと思えたのですから、感謝しております……」

《染まらなくて良かったってことかな》

「その通りで」


避けられていたからこそ、あの家の常識に染まらなくて済んだ。不正をすることが当たり前だと思って生活する自分を想像して寒気を感じた。


そんな話をしていると、小さな少女が駆けて来ていることに気付いた。


「あれは……」

《僕の子孫♪ 可愛いくて強いお姫様だよ》

「え……」


少女の髪と瞳の色が聖色に見えた。


《君には本来の色が見えちゃうかな。けど、知らないふりしてやってね》

「あ、はい……」


ジッと見て確認すれば、灰色に染まっている。瞳も青黒い色だ。無理に染めていることが分かる。


近付いてきた少女は次第に足をゆるめる。こちらを警戒しているらしい。


《フレアちゃん、大丈夫だよ。この人は僕のお友達のおじいちゃんだからね》

「っ……」


シェンカの一族は、かなり前から教会と距離を置いている。それはここの大司教からも聞いていた。ならば、自分が教会の関係者であると知られない方が良さそうだ。


幸い、着ている服は旅人のもので、神官服ではない。


「おじいちゃん……」

《そうそう。これからもたま~に来るかもしれないから、その時は仲良くしてあげてね》

「っ……」


また来ても良いのかと確認するようにファクラムを見ればクスクスと笑って小さく頷かれた。


「うんっ、わたし、フレア。よろしくおねがいします!」

「あ、ああ……おじ……おじいとでも呼んでください」

「はい!」


そうして、フレアリールとの交流が始まった。


幼いながらに利発で、神聖魔術も難なく扱った。だが、それと同時に彼女は普現魔術をも使えるようになっていった。


「おじぃもできるよ。できないっておもってるのがダメなんだよ?」

「っ、な、なるほど……だから異世界から来られた聖女様は……」


目の覚める思いだった。


異世界の聖女は、こちらの常識を知らなかった。だから、神聖魔術だけでなく、普現魔術も使えたのだ。どちらかしか使えないという常識を知らなかったからということだ。


「ありがとうございます、フレア様。本当に、あなたは聖女様ですね」


何もかも、これで上手くいくと思えるのだ。彼女には感謝しかない。


「ん? ちがうよ? セイジョってあれでしょ? キョウカイのオヒメサマでしょう? わたしは、オヒメサマじゃないの! わたしはたたかえるサイショウになるんだから!」

「サイショウ……宰相様ですね?」

「そう! ウマにのって、サッソウとせんじょうにかけつけるんだよ!」

「それは頼もしいですね」


気持ちはもう彼女のおじいちゃんなのだ。なんでも良いねと思ってしまう。ただ、彼女は他の子どもとは一味違った。


「えへへっ、ほら! みてみて! このコ、あしはやいんだよ!」

「この子?っ……ま、まさか……ウィングキャットの聖魔獣ですか!?」

「ミーちゃんなのです!」

「……」


当たり前のように召喚術を使って喚び出したのはウィングキャットだった。とにかく素早く、更には空も飛んでしまう。その厄介な魔獣の白銀色を持つ聖魔獣だった。


彼女はヒョイっと飛び乗ると、一瞬で数十メートル先に飛ぶように駆けていた。今度は文字通り空を飛んで戻ってくる。瞬き三つ分の出来事だった。


それで分かった。分かってしまった。彼女は子どもの夢でもって口にしているわけではない。実際に自分にできることを元にして将来を語っているのだ。既に今でもできる。だが、それをしないのは、子どもという立場を考えてのことだ。


「おじぃも、こまったことがあったらいつでもかけつけるからね!」

《みぎゃ》

「ふふっ。はい。ですが、そのようなことがないように頑張らせていただきます」


彼女ならば本当に来てくれるだろう。だが、それが分かるからこそ、努力しようと思えた。甘え過ぎてはいけない。大きくなった彼女の力になれるようになりたかった。


「また会いに来てもよろしいですか?」

「もちろん!」


たった数日だったが、楽しかった。この晴れ渡った心のまま、邪神の欠片と向き合おうと思った。


それから十年ほど会うことのなかった彼女が、自身の研究を利用した司教達によって害されたと知り、怒らないはずがない。


黒く染まっても良い。許せはしないとナイフを手に取ったことにも後悔はない。


それは美しく成長した聖色の似合う彼女の前であったとしても変わらない。血に濡れた手を恥じるつもりはなかった。

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