59 嫌われたくなかった

アヤナはギルセリュートの突き刺さるような視線を受けて、ビクリと身を強張らせた。


「お前、フレアを殺した奴だな……」

「っ、ひっ」


情けない声が出ていた。殺気も微かだが漏れているのをギルセリュートの腕の中から感じて、触れている彼の服を引っ張るように掴む。


「ギル。落ち着いて。その子にとっては、ここは異世界なのよ。物語の中にいるみたいなものね。だから、人が死ぬのも殺すのもあまり実感がなかったのだと思うわ」


フレアリールには分かっていた。アヤナの中では、ここはゲームのような世界。


だから、そこで誰が死のうがやろうと思えばリセットできるし、ハッピーエンドにするためなら、邪魔だと思える人物は倒しても良い。


フレアリールのことはいわゆる『悪役令嬢』だと思っていたはずだ。


だが、それはアヤナの方の勝手な思い込みだ。ギルセリュートには理解できない。


「それで許せるはずがない! フレアが戻って来られたのは奇跡なんだ。本来なら不可能なことだろう」

「ギル……お願い。落ち着いて。あっちで少し話しましょう。聡さん、彼女を少しの間、お願いできます?」

「いいぞ。寧ろそっち頼むわ……本気で怒ってっし……コワイわ~」


恋に狂ったとまでは言わないが、聡には実感のないもの。これほどギルセリュートが本気で殺気を振りまく所に出くわすのは初めてらしい。


師としては弟子の成長を喜ぶ所だろうが、この場とこの状況は予想外だった。


《ボクも向こうにいる……》


リオもアヤナが嫌いだが、今のギルセリュートよりはマシだと思ったようだ。半分は気をきかせたというのもある。


聡の肩に飛び乗るリオ。そろそろと離れていく二人と一匹を見送り、遠巻きにしている人々を確認してからフレアリールはギルセリュートへ静かに声をかける。


「公園があるわ。そこに行きましょう?」

「……ああ……」


ギルセリュートは、アヤナが離れたことで少し冷静になったらしい。深く息をしてからようやくフレアリールの背中に回していた腕の力を緩める。


その隙を逃さず、フレアリールはさり気なく体を離すと、彼の腕を引いた。


公園の中。木陰になる場所まで来ると、フレアリールとギルセリュートは芝生のようなものが生い茂るそこに腰を落ち着けた。


そこでフレアリールはフードを取る。神気を極限まで抑えているため、キラキラすることもなかった。木陰の下ならば遠目では髪や瞳の色も判別し辛いだろう。


「さすがにずっとフードを被っているのは鬱陶しかったわ」

「……」


外気を受けてさっぱりした表情のフレアリールの隣では、ギルセリュートが肩を落として顔を伏せている。どうやら先ほどのことを思い出して反省中らしい。


静かに整理がつくのを待つ。


その間、フレアリールは座り込んだ地面に触れ、土の状態を確認する。ここに来るまでの間にもこうして土地の状態を確認していた。


瘴気によって汚染されていた大地。それがどこまで回復しているのかを確認していたのだ。


「おかしいわね……」


振り返って木陰を作っている木を見る。葉は茂ってはいるが、色は悪い。それに首を傾げる。


瘴気が晴れるまで、フレアリールはこの公園だけは人々の憩いの場所となる様にと思い、度々散歩を装いながら浄化していた。そのおかげで、この公園内の植物は枯れることなく緑を保っていたのだ。


フレアリールがこの一年、手を加えなかったとはいえ、なぜか瘴気を受けていた頃よりも力がないように思えた。


「悪くなるはずがないのに……」


そうして、目を向けた先には教会がある。


この地を浄化して歩いても誰も不思議に思わなかったのは、この公園が教会前から続いているからだ。


神の恩恵を受けた地として皆が納得していた。


フレアリールは教会が好きではないが、人々が苦しい時に思いを向けられる場所として、教会が必要なものだというのは理解している。だからこそ、目に見える恩恵を用意することで、人々の心を守っていたのだ。


「まさか、原因は教会……なんてこと……」


今、この場では教会からは何も感じない。ならば気のし過ぎかとも思うのだが、原因と考えられるのが教会にあるという邪神の欠片しかないというのも事実。


「やっぱり、入ってみないとダメかしらね……っ」


その呟きが聞こえたのだろうか。反射的に教会を見るように身を乗り出したフレアリールの腕をギルセリュートが取った。


「……行くな」

「っ……」


真剣に、縋るように見つめるギルセリュートの表情を見て、フレアリールは再び隣に腰を落ち着けた。


「ギル……?」


様子がおかしいなと見つめていると、手を握られ、それをそのまま引き寄せられる。


「っ、ギル?」


ギルセリュートは、口元までフレアリールの手を持って行き、静かに唇を寄せた。そして、しばらく動かなかった。吐息を手の甲に感じながら待てば、落ち着いた声が紡がれた。


「……フレアが死んだと聞いた時……レストールと第二王妃を生かしていたことを後悔した……」

「……」

「ずっと好きだった君が……レストールと婚約したと知った時。第二王妃が君の名誉を傷付ける噂を広めていると知った時……いくらでも理由はあった……」


ギルセリュートは愛情深い人だ。それは、出会ってからの短い間でも知ることはできた。


向けられる想いが、たった数日で育つものではないというのにも気付いていた。フレアリールが王を想うように。静かに遠くから想い続けて育てた想いと同じだった。


燃え上がるような激しさはない。


静かに燻るように、ずっとずっと大切にしてきた想い。燃え尽きることがないように永く続く熱。それをギルセリュートからは感じていた。


手を口元近くに置いたまま、ギルセリュートは立てた片足の上に頭を置いてこちらを見つめる。


「君は責任感が強い。与えられた役目を全うすることを大事にしているのも分かっている。だから……その役目の邪魔はしたくなかった……邪魔をして……嫌われたくなかった……」

「っ……」


フレアリールは王のために、次期王を育て、正しく導く。それを使命だと思っていた。途中で投げ出すなんて考えてはいけない。王の信頼を裏切りたくない。


だから、レストールが消されてしまえば、フレアリールは許せなかっただろう。消した者も、使命を果たせなかった自分自身も。それをギルセリュートは理解していた。


「けど、今は例え嫌われてしまっても、君がこの世界から居なくなること以上に辛いことはないと思うんだ。だから、教会も私が潰す」

「っ、ギル……待ってっ」


ギルセリュートの瞳に、強い光が宿った。それを見た時、握られている手をこちらから強く握り返す。引き止めるのは今度はフレアリールの方だった。


顔を上げたギルセリュートは、眉根を寄せた。


「……なぜ? もうフレアを死地に赴かせるわけにはいかない。あそこは危険だ。フレアを……殺せる術があるんだから」

「それはっ……」


その時、教会から大きな音が響いた。


「なに……?」


二人で目を向けると、正面に見える大きな扉が破壊されているのが見えた。そして、二人同時に思い当たった。


「まさか……お母様?」

「母上……?」


嫌な予感がした。

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