54 出してやるよ

アヤナは何日も部屋に一人閉じこもっていた。


食事は日に日に減っていき、最近は朝と夕の二食のみ。それも質素だ。この世界での平民達は大半が二食しか取らない。金銭的な余裕がないということもあるが、それが寧ろ普通だった。


だが、アヤナにとってはそうではない。朝、昼、晩と三回食事をするのが普通だ。とはいえ、朝は学校に遅れるからと抜くことも多く、昼と夜のみの二食ということもザラだった。


しかし、それとこれとは違う。


「どうしよう……どうしようっ……」


これまではきちんと三食だったのだ。聖女として敬われていたからだというのも理解している。ならば、二食になった今、聖女として扱われていないのではないのか。


「わ、私……殺されるっ……」


アヤナももう気付いていた。自分を召喚するために多くの者たちが命を落とした。生け贄として死んだのだ。


そんなことを平然としてしまう者達がここにはいる。


「まずいよ……っ、人殺しなんて、一人やったら何人やったって一緒だって……っ」


一度目を躊躇ためらわなかった者が、二度目を躊躇うはずがない。その怖さをアヤナは自分の過去の行いからも理解していた。


「逃げなきゃ……助けを呼ばなきゃ……っ」


だが、どこへ逃げるのか。誰に助けを呼べばいいのかわからない。


「王子様……はダメ。あんなやつアテになんてできない……」


マザコンなレストールでは、自分の意思で決められない。匿ってくれたところで、一言母親に出せと言われればアヤナを引き渡すだろう。


「あの甘ちゃんが、命をかけて助けてくれるはずない! 王妃は神官ともよく話をしてた……こっち側だし論外」


考え出すと怖さなんて吹っ飛ぶ。どうにかここから逃げることだけを考えようと行動に移した。


朝と夕の食事の時にしか誰も来ないのだ。部屋の前に特に見張りが居ないのも知っている。もちろん、周りに誰もいないわけではない。


この部屋から外へ向かう通路にはちゃんと見張りがいる。部外者は絶対に入れないと聞いていた。


「大丈夫……それなら窓から出ればいい」


少し高い位置にある小さめの窓だが、椅子を使えば届かないことはないし、体は通る。


顔と髪が隠せるようにと考え、クローゼットを見るが、白い服ばかりで目立つ。ならばとテーブルクロスに目を向ける。少しくすんだピンクだ。


「これも目立つ……かな」


引っ張ってみると、分厚くて重そうだ。これでは無理だと諦め、とりあえず外に出られるかやってみることにした。


椅子では低いと考えてテーブルを使ってみる。窓を開け、頭を出す。肩が余裕で通ったのでいけると判断した。


「あ、頭からはやばい。足からか……」


ちょっと無理な気がする。


そこで、不意に下から声をかけられて飛び上がるほど驚いた。


「おい」

「っ、ひっ」


自分からこんなに情けない声が出るのかと、恥ずかしさから赤面する。そうして、バクバクと鳴る心臓の音を体中で感じながら下を見た。


そこにいたのは、黒一色に身を包んだ男。自分の父親と同じくらいか少し上だろうかと推測した。だが、その髪を見て目を見開く。


「黒髪……こっちにも……」


その呟きを拾った男は、壁に背をもたせかけ、腕を組んだまま顔をこちらに向けることなく答えた。


「黒いのは、この国では珍しい方だな。他国には黒髪黒目の民族もいる」

「っ……」


それならば隠さなくても大丈夫かもしれない。今の三分の二近くが黒くなっている状態なら、きっと誰も自分が異世界から来た聖女だとは気付かない。


髪が黒に戻りつつあることを知っている者は少ないはずだ。彼らはこれを隠そうとしていたのだから。


「髪は結んどけ。逃げんのに邪魔になんだろ」

「あっ」


最近は梳かすこともしなかった。当然、化粧もしていない。それが今、とてつもなく恥ずかしかった。


テーブルから降りて、リボンで何とか髪を結う。ヘアゴムがないのがこんなに不便だとは思わなかった。顔は、水に浸した布で拭いておく。化粧品がなくても、これくらいはと思ったのだ。


それから急いでまたテーブルに乗る。窓からそっと顔を出すと、男は変わらずそこにいた。


「あ、あの……この教会の人じゃないですよね……」

「違えって言葉、信じられんのか?」

「っ、それは……っ」


確かにそうだ。もしかしたら、他の人に雇われた殺し屋かもしれない。


思い出すのは、魔王討伐の時に一緒だった騎士の目。一見穏やかな表情だが、その瞳は突き刺さるような鋭さを持っていた。罠にはめて殺した人を心から慕っていたのだと分からないはずがなかった。


遠くからでも、その人の視線は感じていたのだ。殺したいと本気で思っている人の目だと思った。


「俺の職業は一応、暗殺者だ。けど、まあ、お前は殺さねえよ。俺がヤるのは、どうしようもねえ悪人だけと決めてる。その他はヤっても半殺しだ」

「っ、じゃ、じゃあ……っ」

「勘違いすんなよ? 非のないヤツに手を上げたりしねえってだけだ。お前はとんでもねえ罪でも犯したか?」

「っ、あ……」


窓から顔を出したまま、アヤナは窓枠をキツく掴んむ。


「わ、わたし……人を……私は選ばれたと思ったの……死んだのに生きてた……正しく生きてたかって言われたら違うと思う。けど、やり直せると思った……幸せになっていいんだって……でも、そのために人を一人……殺してしまった」


悔しくて恥ずかしかった。やり直せるチャンスだったのだ。


自分がやって来たことが悪いことではないなんて思っていない。カツアゲなんて、絶対にやっていいことじゃない。それに、こうして長い間一人で考えないと気付けなかった。


きっと、あのまま友人達と一緒にいたのでは反省なんてしなかっただろう。苦しくて、申し訳なくて、恥ずかしかった。


悪いことをしていた自分を、全く知らない人達しか居ない場所。ここでならば、新しい自分としてやり直せるはずだったのだ。それをダメにしたのは、そのチャンスに気付けなかった自分だった。


溢れた涙をそのまま窓の外に落として続ける。


「ひ、人を殺すなんてっ……取り返しがつかないことっ……取り返しのつかないことがあるなんて知らなかったっ。けど、償えるならっ、償い方なんて分かんないけどっ、私っ……」


今になって思うのだ。自分があの時死ななかったら、同級生のあの女を殺していたかもしれないと。直接、手をかけることをしなくても、彼女は死を選んだかもしれないと。


そうして、取り返しの付かないことを、そこで学んだかもしれない。


家族には見放されただろう。友人達とは会えなくなったはずだ。何もかも周りから消えて、それで後悔せずにいられるはずがない。今、一人が怖くて死にそうなのだから。


あのままあちらで生きていたら、多くの全く関係もない人たちから非難される生活が待っていただろう。自分だって、面白半分にネットに書き込む自信がある。その他大勢の中にいるのは心地が良いのだから。


たった一人を悪者にして、自分は正しいことを言っているのだと周りに賛同を受けることの気持ち良さ。反対側に立った時の思いなど想像せずに、ただその時に酔いしれる。自分はそんな人間の一人だった。


「っ、っ……」


この気持ちさえ、誰にも打ち明けることが出来なかった。けど、それさえも誰かに賛同を得たい。正しいと言って欲しいだけなのかもしれない。


「そこまで分かってんなら、もうちょっと頑張ってみろ。ただ、何もない部屋に閉じこもってちゃその先は無理だ。だから、出してやるよ」

「え……」


男はこちらに向き直り、手を広げた。


「ほれ、そのまんまズルっと落ちてこい。受け止めてやる」

「っ、うん」


出たい。ここから。そう思ったら、躊躇なく窓から飛び出していた。気を遣って器用に受け止めてくれたその人の手が触れた時、胸のつかえがほんの少し消えたように思えた。

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