第六章 腹黒い神官と新たな婚約者

35 まだ夕食には間に合うわね

帰郷して数日。


フレアリールは、国の現状を知るために資料庫に籠ってここ一年の多くの報告書を読み漁っていた。


「フレア。いい加減出て来るようにとファルセ様が」


ギルセリュートが広げられた足場のない状態の部屋の中にいるフレアリールへ声をかける。


「もうそんな時間?」

「……今、夕方の五時だ。フレアがこの部屋に籠って二十時間経った。丸一日籠るつもりか?」

「五時? じゃあ、まだ夕食には間に合うわね」

「……」


この家では、夕食だけは全員が揃って食べるという約束がある。なので、夕食に間に合えば、どこに行っていても何をしていても構わないというわけだ。


ギルセリュートもこのルールを知って、昼間は自由にしているが、だからといってこれがいいというわけではない。


「フレア……さすがにこの状態はどうなんだ?」

「ん~? ああ。足の踏み場もないコレのこと? これは通常モードだから」

「というと……普段からこうなのか」

「そう。ほら、棚とかいきなり増やせないし、整理整頓しても日に日に増えるんだもの。内容ごとに分けるのって難しいのよ」


その理屈でこの資料庫の前に広がる書物庫も酷いものだ。


いざ探す時に苦労するからと思い、例えば頭文字で整理するとなると、順番に隙間を作って移動していかなくてはならない。動かすならば一気に動かした方が効率的。そう考えた結果。


テーブルや床に未整理の本の山ができる。


もちろん、その山は種類毎に分かれているので、まとめて所定の場所に入れることができるが、どうせならばもっと溜まってからと放置。


これにより、足の踏み場のない状態ができるのだ。


「……はあ……それで、いつ出てくるんだ」

「もうあと一時間」

「わかった……その間、ここを整理している」

「は~い」


こうして受け答えしている間もフレアリールは書類から目を離さなかった。


すでに聞いているかも怪しい。ギルセリュートは苦笑しながら床に散らばる報告書の数々を手に取った。



それから一時間。



キリの良い所で顔を上げ、壁掛け時計の方へ目を向ける。ずっと近場を見ていたせいでピントが合わず、しばらく目を細めていた。


すると、いつの間にか近くにギルセリュートが立っているのに気付いた。無表情ながらも呆れたようなものが混じっているのに気付き、目を瞬かせる。


「ギル? こんな所でどうしたの?」

「……一時間前に呼びに来ただろう。夕食に遅れるぞ」

「そういえば……」


どこか夢見心地というか。集中し過ぎて現実が遠かった。


ギルセリュートも、聞いていないという事が何となく分かっていたので、特に怒る様子もない。


フレアリールは夕食と聞いてもう一度時計へと目を向けてハッとする。


「まずいわっ。遅れる……って、えぇぇぇっ」


思わず足を踏み出したそこには、書類が一つもない。


ここはどこだと確認するために周りを見回すが、全てが綺麗に片付いていた。残されているのは、フレアリールが使っていたテーブルの上にあるものだけだ。


「えっ、ちょっ、どうなってるの!?」


犯人は一人だ。


「全部片付けた。それよりフレア、この部屋はどういう魔導具が仕掛けてあるんだ? 埃が立つ前にあそこに吸い込まれていったんだが」


紙類が沢山あるということは、埃もかなり出る。しかし、この資料庫では、出てきた塵が風で床から三十センチほどの場所の四隅にある空気穴へと運ばれていくのだ。


部屋には風の流れができており、とても清潔な空気がここを満たしていた。


それに早々に気付いたギルセリュートは、そっと動く必要がないと判断した。お陰で全ての整理が終わったのだ。


「え? ああ……空気清浄機よ。湿度も保つようになってるから乾燥することもないの。この城の部屋には全部付いてるわよ。湿度を調整できるから、冬場とか体調を悪くする人が少なくなるわ」

「空気清浄機……」


加湿もできるようにしたのは病気の予防もできたらと思ったからだ。


これを開発した時。まだフレアリールは前世の記憶が戻る前。微かにあるその知識を元に作ったものだった。


この世界では、一度の風邪が命に関わる場合がある。特に抵抗力の弱い子ども達の生存率はとても低いのだ。


夫婦一組につき子どもは三人から五人と多産ではあるが、成人できるのは一人がやっとという過酷な現実だった。


これを打開するため、フレアリールはこの空気清浄機や公衆浴場。初診料を取らない治療院の設立などを手がけた。


「私自身、埃とかですぐ咳込んだりする子どもだったのよ。でもこことか書物庫には入りたくて……それで作ったのがきっかけなんだけど……」


文字を読むのが好きだったフレアリール。何より、聖色の髪と瞳のせいで外に出られなかったのだ。できることと言ったら本を読むか訓練場が空いている時間に体を動かし、魔術の練習をするくらい。


エリスが部屋まで持ってきてくれた本だけでは満足できず、最初は風の膜を自身の周りに張って中に入り、本を探していた。


魔力量の関係で長時間は無理だし、本を探すのに集中してしまうと魔術が解けてしまう。それならばそういう魔導具をと思って開発し始めたのが始まりだ。


幸いなことに、夢で見たという感覚の前世の記憶を頼りに作り出すのに成功した。


「そういう物が、まだまだ沢山ありそうだな……」


ギルセリュートはやはり呆れながらそう呟いた。


「ほら、夕食に行くぞ」

「そうね。でもギル。あれをよくここまで綺麗にできたわね」

「母さんも整理整頓が苦手なんだよ」

「……そうですか……」


ちょっと女性としていたたまれなかった。


二日後。


資料庫籠りが終了し、大体の現状が把握できたフレアリールは、次は領内を見て回ろうと思っていた。そこでシュリアスタが教会に一緒に行きたいと言い出したのだ。


「フレアお姉さまにお会いしたいという方がいるんですっ」

「私に?」


そうして連れて来られたシェンカ領都の教会。そこであの神官のコルトと再会したのだった。

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