31 誓おう
それは、フレアリールを外へ連れ出す少し前。
フレアリールの兄であるウィリアスに連れられ、彼の部屋にやってきたギルセリュートは、出されたお茶に手を出すことなく、対面に座ったウィリアスへ視線を向けていた。
金に緑がかった髪色は、彼の母親と同じ。翡翠色の瞳は、いつでも濁ることなく無邪気な光を宿している。
ギルセリュートと同じ年ではあるが、彼の方が幼く見えるのは、少々童顔であるからだ。
そんな彼は今、目の前で優雅にティーカップを傾けている。
「……変わらないな……」
珍しくギルセリュートの方から口を開いたのは、旧友に再会した懐かしさからともいえる。それほど心に留めていた友人だったのかというのが、ギルセリュート自身少し驚いていた。
これにクスリと笑う、形の良い小さな口がカップ越しに見えた。
「最後に会った時もこうしてお茶をした時だったね」
「……そういうお前は毒が入っていても気にせずに笑いながら飲んでいた」
ギルセリュートには飲むなと言ったくせに、その時、ウィリアスは『待ってました』と喜びながらそれを飲み干した。
「ちょうど慣らしたばかりの毒だったんだ。先手を取れた時って嬉しいものだろう?」
その頃、ウィリアスはギルセリュートの補佐にと考えられており、第二王妃派としては邪魔だったのだ。
無邪気な様子で多くの貴族達の弱みを握るウィリアスが怖かったというのもあるのだろう。一緒に消えてくれればと思われていたのだ。
「もっと他の場面で喜ぶべきだ」
「ははっ。あの時の給仕をしたメイドの、自分が毒を飲んだような変化は面白かったよねっ」
「倒れた彼女を、わざわざ第二王妃派の貴族の元に連れて行っていたな……」
「だって、あのメイドも指示を出した人に『ダメでした』ってすぐに報告したいって思うはずでしょ?」
既に誰が毒を盛るように指示をしていたのかもウィリアスは知っていた。知っていてわざと飲み、犯人を黒幕へと引き渡したのだ。それも当事者でなければ、頬を染めるほどの可愛らしい笑顔で。
「……ウィルは昔っから腹黒だった……」
ここまでしてもなぜかウィリアスは性格が歪んでいるようには感じさせない。歪みではないのだ。陰険さのないある意味とても清々しいものだった。
ギルセリュートの叔父、現王弟曰く、ウィリアスの性格は『無数に棘がある』だけ。丸く素直な性格に近くて遠いのだそうだ。
「やだなあ。黒くないよ。ちょっと他の人より色が付いてるだけだと思うなあ」
そして、彼が傍にいる限りギルセリュートは安全だった。毒薬しかり、物理攻撃であっても暗殺者並みにウィリアスは狙われることに敏感だった。
実際にギルセリュートと幼い頃に一緒に過ごしていた時、多くの暗殺者を天才と呼ばれるほどの魔術師としての力で返り討ちにしていた。
なぜ気付けるのかと聞いた時。ウィリアスはキョトンとした表情で答えたものだ。
『え? だって、こっちに攻撃してくるってことは、絶対にこっちを見てるってことでしょう? 罠を張った所で、それに引っかかるかどうかどこかで見てるし? 視線ってわかるよね?』
彼は異常なほど他人の視線に敏感だったのだ。そんなウィリアスが指揮するからこそ、このシェンカの暗部が高い質を持ったものになったのだ。
因みに身内以外知らないが、ウィリアスが暗部を今のようにシェンカで組織したのは、ただの遊びの一環だった。ウィリアスは、自分が脅威に感じるほどの高い技術を持った者を求めた。
何にでも備えをと思っている完璧主義な所があったウィリアスだからこそ、それを求めたのだ。
そのためには、自身が命を狙われるという状況が必須だった。ギルセリュートの傍というのは、これに最適な立ち位置だったのだ。だが、国内のどんな者でもウィリアスは相手として不足だと感じていた。
ならば自分で作ればいい。そう思い立ったのが、暗部発足のきっかけだったのだ。
「それより、本当にあれからフレア一筋なんだね。驚いたよ。そういう所は、あの王の子だって実感する」
この言葉にピクリと目元を動かす。
「……見張っていたのか……」
「気付かなかったの? まあ、君のお師匠様は結構な手練れだからね。彼が一緒にいる時は近付かなかったみたいだけど」
ウィリアスはギルセリュートとシーリアが聡に匿われることになった日から、既に二人のことを把握していたようだ。
そして、ギルセリュートがフレアリールを想うようになったきっかけについても知っていた。
『フレアをお嫁さんにしたかったら、ちょっとお話ししようか? フレアに言われたでしょう? 『ムリをして手に入れたものは、すぐにきえてしまうものですよ』って』
そう耳打ちされてギルセリュートはこの部屋にやって来たのだ。かつてフレアリールに告げられた言葉でさえもしっかりと彼は把握していた。
「……お前は、フレアに近付くのを許さないと思っていた」
「別に近付くのは構わないんだ。ほら、君の所のおバカでマヌケで、今や無価値な弟君が婚約者として傍にいるのも許してたでしょ?」
「……そうだったな……」
ウィリアスがレストールを生かしていたことは奇跡か気まぐれかと思わずにはいられない。
自身や母に手を出されても動かなかったギルセリュートでさえも、レストールのフレアリールへの態度や対応を知り、殺そうと本気で思ったというのに。
ウィリアスと最後に会った頃。フレアリールは生まれたばかりだった。だが、彼の溺愛ぶりは凄まじかったのだ。その後の聡がもたらす情報からも、その溺愛度があまり変わっていないことは確認済みだ。
「生かしていた理由が聞きたい?」
「ああ……」
表情などほとんど出ないというのに、顔に出ていただろうかと内心警戒する。ウィリアスになら、心を読めると言われて信じてしまいそうだ。
「あんな小者、フレアの障害にはならないと思ってたんだよ。躾ける気満々だったし。ギルが表舞台に出る気がなさそうだったからね。なら、生かしておいて、お人形みたくフレアの隣に座らせておけばいい。顔だけは良かったし?」
間違いなく本音だと思う。だが、意外でもある。
「ウィルは国など、どうでも良いのだと思っていた」
「あ~、うちの一族って、よく勘違いされるけど『王家』とか『貴族』がどうでも良いのであって『国』は大事にしてるんだよ? ほら、元は平民からの成り上がり者の一族だからね。民を路頭に迷わせることだけはする気がないんだ」
「……なるほど……」
そう言われてみればそんなことを幼い頃、父王に聞いたことがあった。
「フレアのカリスマ性は本物だから、お人形さんを隣に置いておけば、民は誰も文句を言わないよ。そういう考えの元に、あのハリボテバカ王子と婚約させたんだ。王と宰相辺りはそれを承知の上だよ。それなりだったギルがいるならともかく、死んだことになってたからね。国のためならゴミだって利用しないと」
「……」
ついにレストールはゴミになった。
「でも、君があそこに戻るっていうなら、補佐としてフレアをもう一度王家に貸してあげても良い。これは父上も了承済みだ。君が本気なら、フレアの永久就職も許可するよ。ただし……」
そこでウィリアスは鋭く目を細める。ゾワリとする寒気が背中を走った。
「フレアを何者からも守ると誓うならば……という条件は付く」
「誓おう」
「っ……即答?」
ウィリアスが動揺したのが分かった。細められていた瞳は、大きく見開かれている。珍しく予想していなかったらしい。
いつも余裕綽々なウィリアスしか知らなかったギルセリュートは、思わず笑みを見せる。しかし、その目は真剣だった。
「当然だ。それくらいの覚悟もなく想い続けるほど甘い生き方をしていない」
あのまま王宮でぬくぬくと育っていたならば分からなかった。だが、今のギルセリュートは師である聡が認めるほど自衛にも問題はない。
「本気で愛する者くらい、自分の身と合わせても余裕で守ってみせるさ」
ウィリアスはしばらく呆然とギルセリュートを見ていた。それから不意に笑い出す。
「あははははっ。いいねっ。いいよっ。それでこそだっ。なら、早速その誓いのほどを見せてもらおう」
「……?」
そして、そこへフレアリールのメイドであるエリスがやって来た。
「守るのは、心も全てだよ?」
小さく呟かれたその言葉の意味はその時は分からなかった。だが、エリスの報告を聞いて理解する。
「テストその一だ。僕らが行くまでにフレアを笑顔に出来たら合格だからね」
その言葉を背に受けながら、既にギルセリュートは走り出していたのだ。
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