30 誰も気にしない

突然現れたギルセリュートに誘われてフレアリールは城の外へ出た。


フードコートを着ようとしたのだが、そのままでとギルセリュートに言われ、とりあえず普段は人が居ない領城の敷地内の草原へやってきた。


こちらへ戻って来て、初めてフードコートなしで外を歩いた気がする。


「良い風だな」

「そうね……」


空を見上げれば、白い雲と青い色がはっきりと主張し合っていた。


この場所でかつて見上げた空は、黒い雲に覆われたものしかない。否、まだ幼い頃には空が見えていた。そんな思い出も鮮やかな色を心に残してはいなかった。


だから、とても新鮮だった。


そんなフレアリールをギルセリュートはまっすぐに見つめていた。


「君がこの空を取り戻したんだろう」


その言葉に、弾かれたようにフレアリールはギルセリュートへ目を向ける。


すると、そこには今までなかったシートが広げられていた。


大きな木の下。そこで子どもの頃、何度もピクニックをした。同じようにシートを広げ、母とであったり、兄とであったり。ここは家族の憩いの場所だったのだ。


「だから、一番初めにここで空を見上げる権利があるとウィリアスが言った」

「お兄様が……」


手招かれて大きなシートに向かう。靴を脱ぐ時、ギルセリュートは自然に手を出し、支えてくれる。そしてシートの上に上がると、下の草がふわふわと絨毯のような感触を伝えてきた。


座り込み、木の合間から見える空を見上げる。キラキラとした太陽の光が降り洒ぎ、とてもきれいだ。


目を細めてそれを見るフレアリールを、再びギルセリュートは見つめる。ギルセリュートは靴を脱ぐことなく、シートの端に腰を下ろしていた。


「これをエリスから預かってきた」

「っ、エリスから?」


彼はフレアリールへ懐から出した手紙を差し出した。それを反射的に受け取り真っ白な封筒を確認する。


「封蝋は外してあるが、中は見ていないそうだ」


ギルセリュートはそれから目をそらし、背を向ける。だから、彼を気にすることなく手紙を開いた。


「っ……イース……」


それは、イースからフレアリールに宛てて書かれた手紙だった。内容からして、フレアリールがこちらへ戻ってきて間もなくのものだと分かる。


恐らく、シェンカの暗部がイースに知らせ、受け取ったものだろう。


そこに書かれていたのは、フレアリールの願いの通り、イースは王を守るために王宮に残ったということ。何度もレストールを殺そうとしたことなど、剣呑な内容もあった。


それに苦笑しながらも、フレアリールは読み進める。




『私は国や王に忠誠を誓っているつもりはありません。貴女に忠誠を誓ったあの時から、私はフレア様の剣。私は今はただ王に託されただけなのだと思っております』




イースに初めて会ったのはいつだっただろう。レストール付きの近衛騎士。その頃は明らかな不満顔で、最初の頃はとても気難しい人だと思っていた。


王家に忠誠を誓う近衛騎士だというのに、彼はある日、はっきりとフレアリールに忠誠を誓った。


王族に嫁ぐ妃となった者には、近衛騎士から専属の騎士が配される。フレアリールにも、あのままレストールと結婚となれば、騎士が選ばれただろう。


それならばと、勝手に彼は忠誠を誓ったのだ。いずれ決まるならば、自分しかないからと。イースはそんな強引なところがたまにあった。




『本来の主であるフレア様がお戻りになったならば、この身は再び誰よりも貴女の傍に。それを願わずにはいられません』




誰よりも騎士らしいと思う。だが、だからこそ中々に頑固者だ。ストレートに忠誠の言葉を口にし、絶対に誤魔化さない。




『神の御許から戻られた貴女がどんな姿になっていても、私のことなど忘れてしまっていても、この思いは変わりません。お許しいただけるのならば、今すぐにでも貴女の前に参ります』




王族を守るはずの近衛騎士がこんなことで良いのかと思ってしまう。


イースはフレアリールに嘘をつかない。


だから信じられた。


きっとイースは半神となってしまったフレアリールを拒みはしない。馬鹿正直に『でしたら私は聖騎士となりましょう』とでも言ってこうべを垂れるだろう。


フレアリールが堪えていたから彼はレストールや王妃に剣を抜かなかっただけで、腹の内はいつでも煮えたぎっていたのを知っている。


『貴女は聖女だから』と言って微笑みを絶やさない騎士になってくれた。そんな人だから信じられる。


「……バカな騎士ね……」

「……」


呟きと共に落ちた涙の雫が手に落ちた。


それに気付いたギルセリュートは、彼にしては可愛らしいレースのついたハンカチを差し出してくれた。


顔を上げると、その顔はこちらを見てはいない。泣き顔を見ないように気を遣ってくれているようだ。


素直に受け取るとすぐに手を引っ込め、また背中を見せる。


「君は、ここでは既に神なんだそうだ」

「……え……」


涙を拭きながら心を落ち着けようとしていたフレアリールは、不意に呟かれたその言葉に再びざわざわとする心を抑え込む。


「ここへ来る時の歓声を聞いただろう。君でなければ、あんなことにはならないとウィル……ウィリアスは笑っていた」


内容よりも、ギルセリュートが兄をウィルと呼ぶことに驚いていた。だが、それに構わずギルセリュートは続けた。


「皆、覚悟していたらしい。君が無事だとしても、五体満足で戻ってくるとは思っていなかった。あの魔術師達を知っているから余計に……」


フレアリールが生きているのならば、なぜすぐに戻って来ないのか。戻ってこられない理由はなんだと彼らは皆考えていた。


戻って来ないとは微塵も思ってはいない。フレアリールは真の聖女で、神がそんな彼女を殺させるはずがないと信じていたのだ。


「どんな無残な姿になっていようと、フレアはフレアだ。そうこの一年、誰もが口にしていたらしい」


父達だけではない。それはこのシェンカの領民全てが口にしていたこと。フレアリールを知る者ならば誰もが疑いもせずにそう思っていたのだ。


「だから、今更君が神になっていたとしても、誰も気にしない。それは信じていい」

「っ……」


ゆっくりと振り返るギルセリュートに、フレアリールは目を見開いた。


それはとても美しい微笑みだった。心の奥底に沈んだ澱みを全て洗い流すような、そんな笑みだったのだ。

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