05 まぁ、期待はしないわ

《グルルルッ》

 

苦しいのだろう。目の前にうずくまる魔王と呼ばれた黒い獣は、喉を低く鳴らしてただこちらを見つめていた。


確か、この魔王の姿を見た聖女が『ライオン』と言っていた。とても雄々しい名前だなと思ったものだ。けれど今は、先のフレアリールの攻撃による傷もあり、不安そうにする手負いの猫のようにしか見えなかった。


「あなたも災難ね。大丈夫、寂しくはないわ。痛いでしょうけれど、それも終わりが来るから」

 

慰めるようにそう語りかけ手を伸ばせば、長い毛の心地の良い感触が伝わってきた。是非ともこんな状況ではなく、穏やかな昼下がりに庭に寝っ転がって堪能したいものだ。


「フ、フレア様……っ」

 

術に取り込まれた神官達が泣き出していた。


「なぜ泣くの? あなた方が望んだことでしょう?」

 

ここでフレアリールは笑っていた。


「それにしても滑稽ね。この術、あの腐った王都の教会で教えられたのでしょ? ということは、あなたたちは消される運命だったってことね。そっちの魔術師のあなたたちも誰かに邪魔だと思われたのかしら」

 

こんな状況でまで態度を気にする必要はない。どうせ皆死ぬのだ。素を見せても構わない。ついでに余分な魔術も解いてしまおうと、瞳にかけていた魔術を解く。


「っ……わ、私は次期魔術師長となる……」

「リガル殿、あなたが一番分かっているのではない? あのバカに口添えしてもらわないと確実に魔術師長になれないと思ったから、こんなことをしたのでしょう?」

「そ、それは……」


もう、フレアリールはレストールをバカとしか呼ばなくなっていた。それに気付いているのかいないのか。それでも話は通じているようなので、彼らもバカと認識しているのかもしれない。少々哀れだ。


「冷静ならば分かったはずよ? この魔法陣を確認する頭があれば、優秀なあなただもの。こんなことにはならなかったでしょう? そういうツメの甘い所と、すぐに他人の力……特に権力を利用しようとする所が良くないのではないかしら?」


年齢的にも、肉体的にも現役としての限界が近い現魔術師長。それでも次代へ引き継がないのは、一番弟子のリガルが次の魔術師長になることに認められない何かがあるからだ。


それが何なのか、リガルには分からなかった。いつか、自分よりも優秀な誰かを見出す時を魔術師長は待っている。そんな焦りから、リガルは神官長たちの甘言に乗ったのだ。いつの間にか彼は、努力するということをしなくなっていた。


「私は……一番弟子で……なのにっ」


フレアリールの指摘にリガルは考え込む。こんな時にしか気付くことができないとは、残念な人だ。

 

いよいよ術が最終段階に入ったのを感じて、万が一のために用意していた痛みを感じなくなる薬を自身と魔王にかける。


これは、神官達の神聖魔術が効かなくなった時に、手が回らなくなった怪我人用に用意していた麻酔代わりの薬だった。もう使う機会はないので良いだろう。最期ぐらい穏やかにいきたい。


今はもうフレアリールは魔王と寄り添っていた。そして、薬がかかったことで、髪の色も少しだけ取れてしまう。


「後を継がなくて良かったじゃない。あのバカの治世は大変よ? あれを支えるとかどんな苦行かしら」

「……」

 

本音があふれ出す。どれだけ教育したとしても、国が破綻する未来しかフレアリールには見えなかった。それを必死で食い止めようと補佐し続ける自身や臣下達の事を思うと憂鬱だった。いくら現王の息子であっても、こればっかりは我慢ならなかっただろう。

 

だからこそ、長く実家の領地に留まり、国難に揺るがない地盤を作ることに尽力していた。けれど、もう今後を考えなくても良いのだ。


「その上に腹黒いあの聖女の面倒も見なくちゃならないなんて。ふふ、国が終わるわね。うちの領地だけはなんとか持ちこたえるでしょうけど、他は無理ね。まぁ、生き残ったとしてもお父様は国にするとか面倒がるかしら。今の領民だけは安泰だろうけど」


辺境伯というだけあり、開拓途中の広い領地を持っている。王都からは遠く、隣国との国境である山を警戒しながら人々が生活しているような土地。


しかし今は、領兵が密かに国内で最強を誇っており、辺境伯が本気になれば隣国など容易に制圧できる力を持っている。


「欲を言えば、もう少し兵達を鍛えてやりたかったわね」

 

彼らを鍛えるのは、幼い頃からフレアリールの遊びの一貫だった。魔術も剣も両方使えるのが辺境伯領の兵達だ。今の実力でも問題なく領を守ってくれるだろう。


心残りといえば、王都に出る直前まで面倒を見ていた若い新兵達。彼らには一応、一年分の課題を課してきたが、頑張ってくれるだろうか。ヤケを起こさないことを願う。


「エリスにはお父様達の事を頼んだし、心配なのは王ね……」

 

生まれた時から一緒にいるメイドのエリスには、父や家族達の事を頼んできた。仕事の中で暗殺が一番得意だと言って憚らない彼女ならば、政敵からさえも守ってくれるだろう。心配なのは王のことだ。最後まで力になりたかった。


「少しは悲しんでくれるかしら……」

 

王妃や第一王子を亡くした時と同じとは言わずとも、少しでも王の心に残れたら良い。


「お兄様とエリスは私が死ぬなんて信じないだろうけど。まぁ、帰還したあのバカ王子は相当怖い思いをするでしょうね。ふふっ、いい気味だわ」

 

どれだけ強大な敵を前にしても、親しい者は皆、フレアリールならば何事もなく帰ってくると信じている。しかし、今現在のこの様だ。当然、帰還したレストール達は本当の事を話さない。ただ犠牲になったのだと言うだけだろう。


それを知って、彼らは間違いなくレストールを疑う。加減はするだろうが、彼らが真実を知るために酷い目に合うのは確実だ。それを見て笑ってやれないのが非常に残念だった。


「さて……そろそろ時間ね」

《グル……》

「良い子ね。あなたみたいなのが魔王だなんて、何かの間違いだわ。死んだら神様の所へ行けると言うけれど、もしもそこに辿り着いたら、是非とも文句を言って殴ってやりましょうね」

《グルルゥ》

 

顎の下を撫でてやれば、気持ちよさそうに目を細めた。

 

一方、周りで展開していた神官や魔術師達は、死への恐怖で涙を流して震えていた。けれど、術を発動するために前に突きだした両手は、下げることもできないらしい。


「申し訳ありません……申し訳ありません……」

「お許しっ……お許しくださ……っ」


気が触れてしまったように、ずっと懺悔し続けている彼らはさすがに憐れだ。何より、自身の死の瞬間に看取るのがこんな辛気臭い者たちだというのがなんだか嫌だった。


「鬱陶しい……仕方ないわね。聞きなさい!」

 

最後に声を張り上げる。すると、はっと顔を上げるのが分かった。彼らはフレアリールに希望を見出したのだ。不可能を可能にさえする才女だと知っているから。


「私の魔力で補填してあげます。この術を相殺するには足りませんけれど、まぁ、あなた方の魔力と体の一部を差し出すくらいでなんとかなるでしょう。ただ、上手くいくかは分からないわ。腕や足を失って、それでも生きたい?」

 

体の一部の力を魔力として変換させることになる。長く魔術を扱ってきた者達ならば魔力が体に馴染んでいるため、命の替えとして不足分はそれでいけるだろう。


「フレア様……っ!?」

「っ……せ、聖女様……っ!」

 

こちらを見た一同が目を見開く。どうやら、本来の髪と瞳の色がバレてしまったらしい。

 

それは術の放つ光の中で鮮やかに見えていることだろう。

 

神の色である赤と黄白色を混ぜた髪色と聖を表わす金の瞳。これが、フレアリールが隠し続けていたものだった。


「お、お願いいたしますっ。生き残ったならば、国のためこの命を使うとお約束を……っ」

 

魔術師であるリガルがそう始めに口にした。それに続いて神官の代表の者が誓約する。


「我らもお誓い申し上げる! フレア様の願われる未来のため、尽力いたします」

 

まるで神に誓うように、そう懇願する彼らを見て呆れたように鼻で笑う。


全く信用はできないし、あてにはならないけれど、絶望する表情よりはマシになった。


辛気臭い男達に囲まれて逝くよりか幾分か良い。


「そう。まぁ、期待はしないわ。頑張りなさい。この先、折れることなく、私の代わりに個人ではなく国のため、人々のために生きられるかどうか……楽しみにしているわ」

 

女王のごとく言い放つ。それがフレアリールの最期の言葉となった。

 

眩い光が圧縮され、一瞬の後に強烈な爆風と共にその光が爆散する。

 

光は浄化の力を持ち、逃げ出した聖女やレストール達をも包み込んだ。


「なっ、なに!? なんなの!?」

「眩しいっ。何なんだ!? 騎士達、僕らを守れ!!」

 

もはや、それしか口から出ないのだろうかと呆れる一方、騎士団長達はこれが何なのか察していた。この光により、不毛の地であった北の大地は全て浄化されたのだ。


「フレア様……っ」

 

肩を怒らせ、振り切るようにフレアリールの元から離れたイース達は、その光に飲み込まれた瞬間、フレアリールの死を悟った。


涙を堪えながら、強く唇を噛みしめて前へ前へと進む彼らは、何年振りかに感じる陽の光を浴びても、喜ぶことはできなかった。

 

廃城では、しばらくして床に転がっていた神官や魔術師達が、片腕や片足に力が入らないことに気付く。


そうして、フレアリールと魔王が居た場所を呆然と見つめ、自分達の罪深さに涙を流したのだった。

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