第146話 じこあい

 一歩ずつ進んでいく。

 何人かのメドリ達が持っていた拒絶するような透明な壁はまだ出ない。この距離になっても、彼女は私に気づかない。


「ぅ」


 息を呑む。息を吐く。

 この場所の静寂が、彼女から放たれる雰囲気が、重たい空気を作り出している。押し潰されそう。


 手足の動きがぎこちない。

 緊張しているのかもしれない。

 メドリと再会できた時もこんなに緊張しなかった。

 終わりの予感が私を怖がらせる。

 でも私は私の願いを叶えるって決めたから。私はわがままに。私のために。私の願いのために。


 そうしてまた一歩と歩みを進めたメドリが動く。

 ゆっくりと立ち上がり、私を見つめる動作は、いつものメドリのようだったけれど、何故かそれに気を取られて、歩くことも息をすることも忘れていた。


「困ってるの」

「相談して」

「救ってあげる」


 顔をあげ、メドリの言葉が響く。その音は同時に3つ聞こえた。けれどどの音も重なることはなく、簡単に聴き取れる。

 前髪が長くてよく見えないけれど、メドリは笑っている。けれど、あんな笑顔は今まで見たことがない。ちょっと、不安になる笑顔。相変わらず、彼女の目は私を見ていない。けれど、他のメドリ達と違うのは、その目が彼女自身の手を見ていたこと。


 未だに動けない私の元に彼女はゆっくりと近づいてくる。

 そうしてやっと気づく。彼女に存在感に。

 今までのメドリとは比較にならない存在感が、目の前にあった。あまりにも大きすぎて、それがあることすら今気づいたぐらいには大きい。

 きっと何人、いや何十人かのメドリ達の集合体で、彼女はこの空間の強力な支配権を持っている。どうしてそんな彼女はこんな場所に一人で……


「話して」

「助けたい」

「なんでもやってあげる」


 2度目の言葉で目が覚める。

 存在の圧で動けなかった。

 思考を巡らせて、言葉を紡ぐ。


「ありがとう。でも、私は大丈夫」


 助けは必要なのかもしれない。

 メドリのたくさんいるこの空間からの抜け方も何もわかっていない。

 現実のメドリのことだって気になる。

 いろいろ、知りたいことはたくさんあるけれど、それは私のすること。彼女の助けが必要でも、求めてはいない。ここには私の意思で、私のわがままで来たのだから、私は私だけの力で、メドリのことを知って、メドリのために私を使う。もし、それがメドリが望まない形でも、私がメドリのためだと信じている結果ならそれでいい。

 昔からずっと私は、そうしてきて、そうすることしかできないんだから。


「そんなことない」

「強がらないで」

「幸せにしてあげる」


 私の答えを彼女は否定する。

 そして、その言葉はあまり本心には思えない。なぜだか、すごく空虚に聞こえる。


「つらいことがあるでしょ?」

「かわいそう」

「私ならわかってあげられる」


 3重音のメドリは、私の言葉を待たず、話を進める。

 彼女はゆらゆらと私の周りを歩いて回り、3つの言葉を浴びせる。

 それに待ったと言える隙もなく、ただ聞いてるだけだった。


「わかってあげられるのは、私のほうがもっとかわいそうだから」

「私は、こんなにかわいそう」

「でも、私はみんなのこと大好き」

「恨んだりしない」

「私は優しいから」

「だから、こんなにかわいそうなのに、みんなを助けようとしてる」

「今もあなたのことを救いたい」

「きっと悩みを全部解決して、幸せにしてあげる」

「安心して、辛いことを話して?」

「全部」

「なんでも」

「わかってあげる」


 そう言われても、私が話すことは特にない。

 いや、ある。私が彼女に会いに来た目的は。


「……じゃあ、メドリのことを、教えてほしい」

「……私のこと?」

「私のこと?」

「私のこと」


 私の質問に、彼女は足を止めて、一瞬固まる。

 けれど、次の瞬間には、また笑顔に戻り、言葉が始まる。

 私が、現実のメドリのことと言うより先に。


「私は世界で一番かわいそうな子」

「ずっと一人で」

「誰にも理解されない」

「誰も助けてくれない」

「みんな私を救ってくれない」

「だから私が、助けてあげることにした」


 その言葉を聞いても、なんだか私は納得できない。

 これが彼女の本当の言葉なんだろうか。

 メドリが嘘をついたことなんてないけれど、彼女は本当のこと言ってないように感じる。今までのたくさんのメドリ達は、心から言葉を言っていた。メドリの一要素としての心のままに動いていた。

 けれど、彼女の言葉にはそれを感じない。それとも、そういう要素のメドリなんだろうか。でも、全部が嘘なわけじゃないし、本当のことも言っている……気がする。


「……ねぇ、本当はどう思ってるの?」


 この質問はまずいかもしれないとも思いつつも言わざる負えなかった。この子の言葉が聞きたい。この子を知れば、私はきっともっと私の願いを叶えることができる。


「助けてくれるって言ってくれてありがとう。でも……それは本当? 本当のことを言って欲しい」


 それがどんなことで良い。

 どんなことでも、それがメドリの心なら。


「……なに?」

「は?」

「え?」


 途端にメドリの顔から笑顔が消え、冷たい目が私を睨む。

 その目は嫌悪や怒りの混ざった憎悪と共に、私を見ていた。

 やっと、私を見てくれた。


「私はこんなにかわいそうなのに」

「私はこんなに頑張ってるのに」

「私はこんなに優しくしてあげてるのに」


 近づいていたはずの距離が一瞬で離れる。

 近づこうとしても、これ以上近づけない。

 この空間のメドリ達の特性の一つ、人を近寄らせない能力。それが急激に広がっていく。こんな風に変化するところを見るのは初めてだけれど。


「どうしてそんなこと言うの」

「あなたも敵なのね」

「助けてあげようと思ったのに」


 未だに広がり続ける見えない壁に向かって私は一歩を踏み出す。何者にも破れないと思われた壁はぐにゃりと曲がり、先へと歩みを進める。けれど、曲がった壁は私を押し出そうとして、思うようには進めない。


「こんなに頑張ってるのに」

「こんなに必死なのに」

「みんな私を責める」


 遥か遠くのはずの三重音はまるですぐそばにいるように聞こえる。私を責める声が。憎しみに満ちた声が。


「どうしてなの」

「なんで私が、私だけがこんな」

「こんなかわいそうなの」


 声は次第に悲しんでいるような声になったけれど、私はその中に感情を感じ取れない。メドリの悲しんでいる時の声はもっと、別の音色がする。沢山聞いたけれど、発して欲しくない声とは全然違う。


「みんなが悪いから」

「環境が悪いから」

「世界が悪いから」


 声が低くなって、周囲の空間が縮小する。

 私の歩みを遅めていた壁は、私の動きを封じる檻へと変貌する。一切の動きができない。手も足も、指先一つですら。


「どうしてそんなことするの」

「みんな私を嫌うの」

「どうして私を攻撃するの」

「私をいじめるの」

「私を一人にするの」

「私のそばから離れるの」

「私が」

「私を」

「私の」

「私」

「私」

「私」


 三重音のメドリは感情の薄い音からできた怨嗟の言葉を並べる。

 きっと、彼女はメドリの自己愛の部分の集合体。彼女はずっと、彼女自身がベースで進んでいた。彼女は彼女のためだけに存在している。私のことなど、最初は何の興味すら持ってなかったはず。でも、私が彼女に対して敵対行動をとったから、自己保全のための意思を私に向けている。

 彼女の本心を知ろうとしたのが敵対なのかはわからないけれど……言葉を否定したのがよくなったのかもしれない。でも私は、彼女を否定したいわけじゃない。そんなわけがない。一要素とはいえ、メドリのことを否定するなんて私にはできない。


「あ、り……」

「くちをひらくな」

「しゃべるな」

「はなすな」


 声が出ない。

 私の気持ちを伝えられない。

 感謝を伝えたいのに。あなたのことを教えてくれてありがとうって。

 でも、どんどん私の首を絞める力は強くなっていって、それは叶いそうにない。

 けれど、彼女は私を見てくれている。それが敵意でも悪意でも恨みでも、何でもいい。やっと私を見てくれている。私自身を。


 ありがとう。また少し、メドリのことを知れた気がする。

 きっと全部知ることは叶わないけれど、できるだけのことを。

 メドリのことを知るたびに、メドリで私の記憶が、心が染まっていく気がする。メドリのことだけ考えていればいい。メドリのことだけ覚えていればいい。それが私の、欲望だから。

 あぁ、でもそろそろ現実のメドリに会いたいな……私にあんなに敵意を向けてくれた彼女は、今どうしているだろう。それに、私は戻れるのかな。ここで死んじゃったら、戻れないのかな。わからないけれど、もうどうしようもない。


 三重音のメドリは私の首を圧縮した壁で締め付けている。

 ここで呼吸なんてしたことないけれど、頭と体が離れたら、死んでしまう。死んでしまうという想像を私がしているから死んでしまうんだろうけれど、そんな意識の調整なんてできるわけがない。

 もうどうしようもないから信じるしかないけれど。

 でも、やっぱりちょっと、こ

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