第142話 どういつ

 なんだかもう何も見たくない。

 もう新しいことを知りたくない。

 怖いことばかりで、いやなことばかり増えていく。

 結局私みたいな存在には、孤独でいるのが一番良いのかもしれない。

 あれだけ孤独を恐れていたのに。


 だから、もうイニアもいらない。

 私のことを何にもわかってないイニアなんて。

 そんなことを言ってくるなら、もう二度と会わないほうがよかった。

 会わなければ過去の記憶の中で綺麗なままでいてくれたのに。

 会わなければ、私が彼女を傷つけることもなかったのに。

 でも、私はもう嫌だ。

 嫌だから消えちゃえばいい。


 もうこれ以上、いやな思いをしたくない。

 私は結局、誰のことも考えられない。ただ私が嫌な思いをしないために、動くことしかできない。

 そんな私じゃいけないってことはわかってる。わかっているし、変わりたいって思ってた。でも、もう嫌だ。もうそんなことすら考えるのも嫌だ。


 私が最後に為すことは、私の、1人で消えることのできるこの空間を守ること。

 本当は魔法の効果でそれは為されるはずだったけれど、なぜかイニアは大丈夫だった。でも、なんとなくその理由もわかる。わかってしまう。けど、それも終わり。


 私の放った魔法は、彼女との距離を一瞬のうちに飛翔する。

 私の感情に任せて放った一撃は、どんな効果があるかわからないけれど当たればまた孤独になれる。

 当たれば。

 でも、当たらなければ何の意味もない。


「魔力が……」


 イニアの魔力が急速に強くなっていく。

 魔法。イニアの魔法。

 何度も見た。あの魔力の形を。


 けれど……どうしてだろう。

 さっきまであれだけ弱々しい魔力だったのに、どうして今はこんなに。


「……違う」


 今はそんなこと考えるべきじゃない。

 考えなくていい。

 考えたくない。


 当たらないなら、当たるまで放てばいい。

 腕に力を籠め、魔法を大量に同時起動する。

 イニアの近くから遠くまで、上から下まで、右から左まで、あらゆる座標で魔法を起動する。私の処理限界ぎりぎりまで。


 けれどそれでもイニアには届かない。

 魔法は躱され、弾かれる。

 私の精一杯の攻撃も、イニアには何の効果もない。


「やっぱり私のこと、嫌い?」


 彼女にはしゃべる余裕すらある。

 私には何もないのに。


「嫌いでもいい。私……もうメドリのことわからないよ。わからないから、また知りたい。もっと知りたい。全部知りたい!」


 そ、そんなこと。


「言わないで! もうしゃべらないで!」


 思わず叫んでしまった。

 そんなことをする余裕はないのに。

 案の定、魔法の展開数は減り、精度が落ちる。


 でも、叫ばずにはいられない。

 聞きたくない。

 そんなこと聞きたくない。

 これ以上、しゃべらせたくない。

 その思いが、何の意味もない叫びを響かせる。


 イニアは少しずつ近づいてくる。

 私の魔法を乗り越えて。


 魔力をさらに増やす。

 私の処理能力じゃこれが精一杯なのに。

 地脈に流れる魔力に触れれても一度に扱える魔力はこんなにも少ない。


「ねぇ、メドリ……私、自分の気持ちがわからなくて悩んでた。でも、気づいた。メドリのことだけ知れば……メドリのことだけ考えていれば良いって」

「知らない!」


 私は。私は。

 私だって。私も。

 今更。

 違う。

 全部。

 イニアも。みんなも。

 誰も。私も。


「何も!」


 一瞬意識が途切れる。

 まずいと思った時にはもう遅かった。


 魔法を同時展開しすぎた。

 意識が消え、身体が制御を失い、展開していた魔法がすべて消失する。それは一瞬のことだったけれど、イニアにとってはきっと十分すぎる時間で。


「ぅ……」

「メドリ!」


 私の身体はイニアに支えられていた。

 イニアのにおいが、感覚が、私の記憶を呼び覚ます。

 もう遠い昔のことのように思えるあの頃の記憶。

 あの時は、あの時が一番孤独とは遠かった。

 周囲にはたくさんの人がいて、隣にはずっとイニアがいた。


 1人じゃない。そう思えたから、不安を忘れられた。

 麻薬のように、あの感覚に溺れていた。溺れてずっと沈んでいるだけでよかった。

 でもきっと欲をかいてしまった。そのまま沈めば、ずっと溺れたままで入れたのに。


 1人で沈むのが怖くなってしまった。2人で沈みたいって思ってしまったから。

 だから私は空気を吸ってしまった。毒にまみれた息にくい空気を。


 でもそれは、元に戻っているだけ。独りだったあの頃に。

 だからもういいのに。また私を、溺れさせないで。溺れていたころの記憶を穢さないで。これ以上もう私を穢さないで。心も魔力もすべて穢れているのに。


「穢れていてもいいよ」

「……え?」


 今、なんて。


 驚きのあまり、再度展開しようとした魔法がすべて霧散する。

 声に出ていたの? いや、そんなことはない。はず。

 なのに、なんで。


「もっとメドリのことが知りたい。もっと、教えて」


 イニアの声が聞こえる。 


『私のことなんてどうだっていい。メドリのこと知れれば、それで』


 思考が流れる。


「な、なに……!?」


 魔力。

 魔力が流れ込んでくる。

 イニアの魔力が、私の中に。

 あの時の、杖を介して心の中に入ってくる感覚。あんなのとは比較にならないほど、奥底まで入ってくる。


「やっ、やだ。やだやだ」


 途端に恐怖が私の心を包む。

 ばれたくない。私が何を考えていたのかなんて。

 そんなの知られたくない。教えたくない。

 怖い。私も知らない私の奥底。

 きっと醜い怪物しかいないのに。

 そんなものを暴かないで。

 私をこれ以上嫌いにならないで。


「ごめんね。でも、私はメドリのこと嫌いにはならないよ」


 私の涙ながらの必死の願いも、イニアには届かない。私のことを何もわかっていないイニアには届かない。彼女にばれたくない。私の中に何がいるか。それを知られたくない。


「っ!」


 そう思った瞬間、手が伸びていた。

 私の貧相な手がイニアの首へと。


 なんの作戦もない、突発的な行動だったけれど、イニアはすんなりと倒れ、私が覆いかぶさる形になる。

 イニアの魔力はもう切れかけでこれ以上身体強化魔法は使えないはずという後付けの思考が働くけれど、彼女は抵抗する素振りすら見せない。


「苦しくないの!?」


 手に込める力を上げる。腕が痛くなるぐらいに力を込めてもイニアの表情から嬉しさが抜けない。多少苦しそうな顔をしても、その裏に歓喜の表情が隠れて。


『うれしい。メドリが私を触れてくれてる』


「ぁ、りが……と」

「なんで……!」


 掠れた息で感謝を告げられる。

 その理由は流れ込む魔力によって知らされるけれど、結局何もわからない。


「なんでそんなことするの!? なんでよ! 私のこと何もわかってないくせに!」


 もうどうしようもない。

 どうしようもなくなって癇癪を起こして感情があふれ出す。


「イニアが私を愛してるとかそんなこと考えてたなんて、知りたくなかった! しらなかったら、私は悪くない人生だったって思って消えれたのに! 私はただ一緒にいてくれたら、私をわかってくれて、それでも一緒にいてくれたらそれでよかったのに! 愛してるだなんて、知らない! そんなこと求めないでよ! 私が、私なんかが……愛なんてわかるわけない!」


 私はきっと欠けているから、愛を感じることはない。

 何かが欠けているから、人を好きにはなれない。愛を感じれないから、愛を与えることもない。人に情熱をささげるということができない。私は私にすらきっと、感情を向け切れてない。


「だから、だから私は……イニアとの関係にそんな邪魔なものないと思ってた。ないほうがいいって。ただすべてをわかってくれてるイニアを好きでいればいいって……そう思ってたのに! けど、イニアは何もわかってなかった! イニアも結局、近くにすらいなかった! ずっと遠いままだったんだ!」


 私の叫びはイニアに悲しみの表情を生むけれど、嫌悪や苦しみといった感情は現れない。やっぱり、イニアは私とは違う。

 私なら、こんなこと言われたらすぐに嫌いになる。すぐに嫌になる。

 けれどもし、イニアが私の魔力の奥底までたどり着けば、私の穢れがイニアに移ってしまうかもしれない。そうなればもうそこにイニアはいなくなってしまうかもしれない。

 ならばその前に、綺麗なままで。


『ごめんね。でもこうすれば全部わかるよ』


「やめて! お願い……!」


 きっと前の、イニアと別れる前の私なら、こんなことも許したかもしれない。きっとそれには大きな勇気と覚悟が必要だっただろうけれど、あの頃の私はイニアが私のすべてを受け入れてくれていると思っていたから。

 でも今は違う。何もわかってないと知ってしまった。だから嫌だ。これ以上知られるのが。


「ぁ……」


 けれど、そんな願いも空しく、イニアの魔力が私の中を流れていく。

 私のすべてを、彼女が暴く。醜い怪物が私たちの前に。

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