第141話 なんにも
背を向けて歩くイニアを見る。
そのまま彼女は私の魔法領域の外へと消えていく。
久々に見たイニアはなぜか髪が3割ぐらい白くなっていたけれど、きっと中身は何も変わってない。イニアなら、無事に帰って幸せになれる。綺麗な心を持っているから。私の汚れがすぐに落ちるといいけれど。でも。
私はまた傷つく。勝手に傷つく。一人で勝手に期待して、勝手に傷ついて、かんしゃくを起こす。そんな私から離れることは正解だと思う。
正解だし、それを言ったの私だけれど。
とても悲しい。
きっと、心のどこかでイニアがそれでも私といてくれることを望んでいた。
望んでいたんだろうか。私は何を考えていたのだろう。
けど結局イニアが私に近づいてきても私の魔法で消し飛んでいただろうから、どちらにせよこの選択肢しかなかった。私の展開した巨大な魔法領域は近づいてきたあらゆる魔力を発散させる。魔法も魔物も全部。
黒い霧は拒絶を示す壁でしかないけれど、その先には完全に私だけにしてくれる魔法がかかっている。霧の部分だけで帰ってくれてよかった。霧の部分の探知領域だけで。私のいる拒絶領域まで入ってきていたら……
あそこでイニアを止めなければ、今まで来た魔物と同じように彼女も魔力となっていた。私なんかのせいであんな高潔な心がなくなるなんてきっとよくないことだろうから。
「考えたくない」
もう何も考えたくない。
難しいことは全部忘れたい。
……これでまた。
また一人。
また真の自由の中。
この孤独の中でもう少しいればいい。
1人なら、難しいことに悩まなくていい。
私の魔法が私を消すまでもう少しのはず。
そんなに急ぐことでもないけれど。
きっと1人なら、ずっといれる。
変化もなく。思考もなく。悩みもなく。嫌なことも、全部ない。
全部忘れて、泡沫の夢すら見ない。そうしていればいい。
何もしんどいことはない。何も苦しくない。
ここにいればきっと安全。何も怖いことはない。怖いことは来ない。怖いことから目を背けられる。
私がどれだけ嫌な人か。
私がどれだけ悪い人か。
もう誰も知らない。
きっとみんな忘れてくれる。私のことなんか。
私がここで消えれば。
私が全部壊した。
きっとみんなが幸せになれる、みんなが仲良くし続けるようなこともできたのかもしれない。いや、きっとできた。私さえいなければ。
私のせいなんだ。全部。
全部私が。壊して。崩して。めちゃくちゃにして。投げ出した。
頭が痛い。
考えたくない。
だからもう、考えない。
目を閉じて、うずくまっていよう。
その時、魔法領域が侵入者を捉える。
黒い霧が広がる中を抜けてくる。恐れも知らない。さっきと同じように。
またイニアが来た。
ここからは見えないけれど、黒い霧がすべてをとらえている。
目は赤く腫れていて、私が泣かせた跡がある。
悪いことをした。私は本当に悪い人だから。
けれど、どうしてそんな悪い人に近づいてくるの?
近づいてこないで。
また私がおかしくなる。制御できなくなる。不満が止まらなくなって、我慢できなくて、いやな感情を全部ぶつけてしまう。私じゃなければ何とも思わないようなことをまるで極悪かのように責め立てて、また傷つけてしまう。
「来ないで……」
呟いてもイニアは止まらない。
聞こえてるはずなのに。
魔法領域内ならどこにでも私の声は届くはずなのに。
「来ないで……!」
少し歩みを緩めるも、止まることはない。
「来ないでって言ってるでしょ!」
「ゃっ!」
彼女の体が宙を舞う。
地面に衝撃とともに叩きつけられて、鈍い音を立てる。
もちろんそれを起こしたのは私で。
そんなことするつもりじゃなかったのに。
後悔があふれ出す。
けれど同時にこれでよかったのかもしれないと思う。
やっぱり私は誰かと一緒にいていい存在じゃない。
こんな風に誰かを傷つけてしまうなら。
こんなことはしたくなったけれど、これできっとイニアも帰ってくれる。
そう思っていたのに、彼女はまた立ち上がり、私のほうを見て歩き出す。
だんだんと黒い霧の終わりに近づいてくる。
「な、なんで来るの!? 来ないでって言ってるのに! これ以上来たら、死んじゃうよ!」
「なんで、だろうね」
「……え?」
イニアはそう呟いて、また歩みを再開する。
私はそれにどう答えたらいいのかわからない。
どうするべきなのか。
「メドリが好きなのか、もうわからなくなっちゃった。好きって……恋とか愛とか、もう私にはわからないよ。どうしてこうなっちゃったんだろう」
何を言ってるのか、よくわからない。
イニアが何を話しているのか。
「でも、それでも私は。私はメドリとまた会いたい。私は我儘だから。もう一度だけ……メドリが私をどれだけ嫌ってもやっぱり。やっぱり私はメドリの隣にいたい」
「なに……」
本当に何を言っているんだろう。
イニアは何を、何について話しているんだろう。
もしかして、私たちが、私が恋愛的な感情を持っていると思っていたの?
そんなことを、気にしていたの?
なんだか思考が少しずつ冷静に、冷たくなっていく。
いろんなことでぐちゃぐちゃで熱のこもっていた思考が冷え切っていく。
「そう。そうなんだ」
小さくつぶやく。
もうなんだか、どうでもいい。
少しずつイニアが近づいてくる。
拒絶領域に近づいてくる。
けれど私はもう何もしない。何かをしようとも思わない。思えなかった。
きっと助けたほうが、助けるための努力をしたほうが世界のため。
私なんかのせいで綺麗な心が消えてしまうのはよくない。
そんな理性の言葉は何も聞こえなくて。
私の中の冷静で冷酷で残忍な本能がささやき続ける。
なんだかもう。どうでもいいんじゃない?
私の気持ちをわからない人なんて、みんないなくなればいいんだ。
あれだけ私を好きと言ってくれたイニアだってなにもわかってない。
だからきっと好きじゃなかったんだ。
嘘だったんだきっと。
私のことをなんにもわかってない。
そんな人なんて全員みんな消えちゃえば。
「ごめんね」
何の意味もない空虚な謝罪を虚空へと吐く。
イニアが霧を抜ける。
私とイニアの目が合う。
けれど、そんなのは一瞬ですぐに私の魔法でイニアの身体はすべて魔力へと変換されて大気中へと発散されていく。
そのはずだった。そのはずなのに、いつまでたっても何も起こらない。
私の魔法はずっと正常に起動しているのに。
「どうして!?」
怒りに任せて魔法の出力を上げる。
私の身体の中の魔力の発散速度もの上昇し、全身にちりちりとした痛みが走る。
「ぁ、っ」
それでもイニアは消えない。
けれど、全身から力を失ったように倒れこむ。右目を抑えて、左手が力なくうなだれて、口から血か流れる。
でもすぐに立ち上がる。傷だらけの姿で、私の前に。
「な、んで……」
血まみれの身体は痛々しくて、目元は腫れていてるのに。
どうしてそんなに、うれしそうな顔をするの。
私を嫌いになってくれたはずなのに。
私のことを何もわかってないのに。
私は。
私は、少しもうれしくない。
そう自分に言い聞かせる。
そうしないと、きっとまた後悔する。
私はこの感情に乗る。この感情の私に乗るのがきっと一番楽だから。
名も知らない、理解もできない感情が、私を支配する。
「消えちゃえ」
もう私でも制御しきれない私自身が魔法を放つ。
イニアを消すための魔法を。
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