第140話 さいかい

 もうあれからどれぐらいたっただろう。

 きっと10日ほど……だと思う。

 もう覚えていない。

 私の記憶はきっと消えてしまった。

 だからわからない。


 けれどメドリのことは全部覚えている。

 思い出そうとすれば後悔がたくさん襲ってくるけれど、彼女の笑顔も声も髪の色も肢体も思い出もすべて。全部覚えている。欠けはない。


 忘れていることは何か。

 私には正確にはわからない。

 きっと空白になっているところなのだろうけれど。

 それを正確に知る術はないし、知る必要もない。

 メドリのことだけ覚えておけば、それでいい。


 それよりも問題なのは身体の変化。

 魔力をとらる右目。光をとらえられなくなった右目

 魔力に触れる左手。感覚を失った左手。

 そして、少しずつ色を失う髪。

 私はいったい何に変わろうとしているのだろう。


 魔力を感じるだけじゃなくて、見て、触れるようにはなったのはよかったこともあるけれど、恐ろしいことでもある。そのたびに同時に失っているから。

 もう私は右目でメドリを見れない。左手で触れない。

 次は一体、何を失うのかな。


「ぇ……?」


 そんなことを考えながら歩いていると、右目が何かをとらえる。

 正確には何もとらえなかった。

 まだだいぶん遠いけれど、そこには魔力がない。ということなのかな。


 異常な場所といえばそうだけれど、それは私の行く先。

 けれど、近づいて大丈夫なのかな。

 だけど、もし。もしそこにメドリがいるなら。




 魔力のない場所は、黒いなにかで包まれ場所だった。

 黒い何かは地面をえぐるように球状に広がっているみたい。それほど大きいわけじゃないけれど、すべてくまなく調べようと思ったら、すぐに終わるというわけにはいかないというぐらいには大きい。

 これ何なのか私にはわからない。

 けれど、どうしてだろう。

 あれが悪いものや、害のあるもには感じない。


 右目はいまだに何もとらえない。

 私はゆっくりと黒い球に近づいていく。

 危ないかもしれない。

 近づかないほうがいいかもしれない。

 何かわからないもには近づくなというのは、危険を避けるなら当然かもしれないけれど。


 なんだか私は。

 私はこれが。


 黒い球に左手を近づけて触れる。

 その瞬間、私の左手は黒い球の中の魔力に触れる。

 黒い球の中にあった魔力は、私が求めてやまない魔力で。もう何度も求めた魔力で。私一番好きな魔力がそこにはあった。


「メドリ!」


 この中にメドリはいる。

 少なくとも、メドリの魔力がこの中にある。

 それならこの中に行かないという選択肢はない。


 黒い球の中を走る。

 いろんなことが思考をかすめる。

 この中に何があるかわからない。

 魔力を見る右目は痛くなるくらい魔力をとらえていて、細かいことは何もわからない。左目も黒い霧がかかったような景色を写すだけ。

 危ないかもしれない。

 すぐそばに敵がいるかもしれない。

 地形が悪いかもしれない。

 でもそんなことは今の私には考えられない。


 そんな思考を置き去りにして、私は走る。

 メドリがここにいる。きっとここに。

 これはメドリの魔法領域と似たようなもの。今まで私が見たことないものだけれど……


「メドリ!」


 ずっと声に出すこともやめていた名を呼ぶ。

 それと同時に私の中の記憶の蓋も空く。

 未だ色褪せない彼女との記憶は一切の違和感もなく、すべての欠片が埋まった状態で私の中に広がっていく。

 同時に後悔や懺悔も生まれるけれど、メドリがこの場にいるという確信がそのすべてを抑えてくれる。


「どこにいるの!? ここにいる……いるのに……」


 メドリの姿は見えない。

 けれど、私は確信があった。

 ここにメドリはいる。彼女気配がとても強い。

 メドリの魔力に包まれているから、詳しい位置まではわからないけれど。


 けれど、私の呼びかけに答える声はない。

 私の声が聞こえてないのかな。

 それとも。それとも私とはもう。


 首を振って、思考によぎったことを振り払う。

 そんなこと考えたって仕方がない。どうしようもないこと。けれど、そうだったらと考えずにはいられない。


 もしも、メドリには私の声は聞こえていて。

 もしも、メドリが私とはもう話したくないとしたら。


「うぅ……」


 考えたくない。

 けど、私はもう逃げられない。

 逃げないためにここまで来たんだから。


「も、もう私とは話したくない……?」


 恐る恐る中空に向かってつぶやく。

 聞こえているかもわからないけれど、もう言わないと私の心はおかしくなってしまいそうだった。メドリに全部聞いてほしい。全部、私の心を全部伝えたい。そしてメドリに私を。


「それなら、なにか合図を出してくれたら……そうしたら、私……私おとなしく帰るから……!」


 そんなことはしたくない。

 けれど、彼女がそう決めたなら。


 意を決した発言に対しても、何の反応もない。

 それがよかったのか悪かったのか、今の私にはわからない。

 聞こえてなかったのか、それとももうそんなことすらできないほどメドリが弱っているのか……私には反応すらしたくないのか。


「イニア」


 声が聞こえた。

 ずっと前から。


「止まって」


 メドリの姿は見えない。

 けれど、この先から声が聞こえる。

 走りたい。今すぐメドリに会いたい。

 けれど、彼女の言葉が私の足を止める。


「メドリ……! メドリだよね……!? 会いたかった……ずっと会いたくて……あの時のことを」

「なんで」


 私の言葉をメドリが遮る。


「なんで、来たの」


 メドリの言葉冷たい。あの時のような。あの頃のような。私を好きだといってくれたときのような温かさはそこにはない。

 予想していたことではあるけれど、同時にずっと目を背けていて、耐えきれないことでもあった。


「ぇ……だ、だってあの時、私、約束して……」


 言葉に詰まる。

 声がうまく出ない。

 喉は乾き、全身に冷気が走る。


「それに、会いたくて……メドリに会いたくて……だってメドリのことが」


 好きだから。 

 そう言おうとしたけれど、うまく言葉が紡がれない。

 私は本当にメドリを好きで……愛していたの?

 そんな思いが私の言葉を遮る。

 私にはこれしかないのに。この感情だけは真実だと言いたいのに。


「……ねぇ、私のこと、もう嫌いでしょ?」

「そんなことない! そんなわけないよ!」


 メドリの言葉を強く否定する。

 好きとは言えなくても、嫌いだなんてあるわけがない。

 けれど、メドリの声は冷たいままで。


「優しいね。優しいからここまで来てくれたんだよね。私なんかとの約束のために。でも、気づいたんじゃないの? 私と離れてる間に」


 何に、と聞く前にメドリの声が響く。


「私が鬱陶しくて、迷惑で、無能で、有害で、なんにも与えれない、奪うだけの存在で、いるだけ邪魔な存在だって。気づいたでしょう?」

「ちが」

「違うって言ってくれるよね。イニアは優しいから。でも。でもだめだよ。イニアみたいに優しい人が私なんかに縛られていたら。でもよかった。もう、私のことは好きじゃないみたいで」


 ぇ。


「だからもう、私のことは気にしないでいいから。もう、帰って」


 うまく前が見えない。

 視界がぼやけて、身体は不安定になり、うまく立っていられない。


「わ、私はメドリが」

「やめて! 嘘を……嘘を言わないで……また期待させないで。もういい……いいから……」

「嘘じゃ……嘘じゃないよ……!」

「じゃあ! じゃあなんで! 腕がそんなに綺麗なの!?」

 

 はっとして腕を見る。

 私の腕は自傷したときの切り傷が少し残っていてお世辞にも綺麗とは言いにくい。

 けれど、メドリが言ったのはそういうことじゃない。

 メドリが言ったは、私たちの。


「私がつけた傷は? ないよね? もう治しちゃったんだよね? 私のことなんて、もう思い出したくもなかったんだよね? もう私のことなんかどうでもいいんでしょ? うん。それでいいよ。そっちのがいい。イニアにとってはそっちのがいい。だからかえって。帰ってあの子たちと一緒に過ごせばいいよ」


 あの子たち? 

 いったい誰のことを言って……私たちはずっと2人でいたのに。


「それにほら、別に好きな人もできたでしょ? 私なんかよりずっと良い人いっぱいいるし。だからもう私なんか忘れて。こんな私なんてもういいでしょ。もういいから。私1人で。これ以上期待させないで。お願い。身勝手なのはわかってる。私なんかの願いなんてくだらないものだなんてことも。でも、もう会わないほうがいい。それがお互いのためだよ。もうイニアは私のことをすきじゃないんだから。ごめんね。ここまで来てもらったのに。私なんかのために大変だったね。ありがとう……さよなら。幸せに……良くなることを祈ってる」


 私はもう、何も言えなかった。

 涙はあふれて、思考もうまくまとまらなくて。

 そして私は、メドリの姿を見ることもなく、声に背を向けた。

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