第139話 へんしつ
「っ、はぁ……ぅぇつ」
私が意識を取り戻すまでどれぐらいかかったのだろう。
自分が水と携帯食料の混ざった吐瀉物を吐き出す音で、目が覚める。
身体が動かない。
何もできない。
「な、んで……」
呟いて、思い出す。
とてつもない無理をしたことを。
そして痛みが襲い来る。
魔物との戦いで負った傷からは血が流れ、体内の魔力量がどんどん減っていってるのがわかる。このままじゃ、私の魔力はすべて大気中に抜けだしてしまう。そのおかげで私が目を覚ませたのかもしれないけれど。
ほとんど感覚の失った腕をゆっくりと動かして、回復魔動機を手に取る。
回復魔動機を使う分の魔力があるかは賭けでしかなかったけれど、なんとか起動して私の傷を癒していく。
自分でもわかる。
今、私の魔力はほとんどない。
それこそ動くこともままならないぐらい。
けど、だからこそ、私はまだ意識を保てる。
魔力がまた十全に溜まってしまえば、私はまたあの苦しみの中へと放り込まれてしまう。きっとそれに私は耐えられない。また意識を手放してしまう。
鎮静剤があればまた話は変わったのかもしれないけれど、意識を手放す直前にすべて使ってしまった。
だから、魔力をためないようにしないといけない。
方法は、ある。
けどそれは同時に魔法発動もあきらめるということになる。
さっきの土壇場で魔法が発動できたのは、今までずっと魔法を使わず魔力をためていたからだろうし。
でも、意識をずっと手放してしまうよりはまし。
魔力が回復したら、早くこの場を離れないと。
魔物の死体はすでにほとんど魔力に代わってしまったようだけれど、この濃い魔力につられてくる他の魔物がいないとも限らない。
身体を動かすこともできない数刻は、無限の時間にも感じられる。
もし今魔物が来たら、私は何もできずに生きたまま貪り食われるだけになる。
そう想像するだけで、メドリと会うことができず死んでしまうことへの恐怖が今より強くなったことはない。きっと魔力が減っていつになく思考が晴れているのもあるのだろうけれど。
まだ重たい腕に力を籠める。
軋む足を動かして、剣を杖代わりにして、その場を後にする。
まだ魔力は半分も回復していない。それでもここに居続けるよりは。
ひたすらに先を急ぐ。
けれど、周囲の警戒をしないわけにもいかない。
さっきみたいなことはもうできない。
さっきの魔物との戦いはひどいものだった。
魔法の精度もそうだけれど、魔物が一匹だけだと思い込んでしまった。
あんなミス、きっとメドリいればすぐに気づいてもっとうまく作戦を立ててくれていた。いや……まず、もっと早く魔物がいることに気づいて戦わないように進路を決めてくれていたかもしれない。
「はは」
少し笑みがこぼれる。
呆れた、乾いた笑いが。
やっぱり私1人じゃなにもできない。
わかりきっていたことだけれど。
メドリが今まで全部やっていてくれたこと。
それに私はのっかって、メドリの願いを叶えた気になって、結局私は自分のわがままを通そうとしてこんなことになっている。
考えたくもない。
考えたくない。
これ以上は。
「え」
目を開けたら、そこは枯れた花しかない花畑にいた。
そこには鮮やかな色はない。ただ黒く染まってしなびた花があるだけ。
私は今まで確かもっと別の場所にいたはずなのに。
えっと、たしか……あれ……私は今までどこに……
なんでそんなことも思い出せないんだろう。
あれ……なにを思い出そうとしていたんだろう。
私は、なにをしようとしているんだっけ?
私は一体……
「かっ……!」
急に胸に痛みが走る。
その痛みは急激に全身に広がっていく。
いつしかその痛みは、痛みとも言えない奇妙な感覚に変化して私を侵食する。私というのもが変質していく。
感覚に耐えるように思わず手を強く握りしめる。
握りしめて気づく。感覚が弱い。
指が、手が、腕が、足が、その感覚が少しずつ薄れていく。
なんだか最初からそんなものなかったかのような……
周囲の環境はまた一段と変化して、枯れている花はうずくまった私の頭上を覆うように存在していた。
そんなことを気にするよ余裕もない。
私というものが消えていく。
私のものが少しずつ変わっていく。
でも私はこんなとこで終わるわけにはいかない。
だから、なんとか浸食を押さえつけようと力を籠める。
けれど、どこに力を籠めたらいいかわからない。
どこに力を籠められるのかわからない。
どこが侵食されているのか。
どこに私がいるのか……
私が何か……
私って……
わたし……なに……?
「っはぁ……はぁ……」
そこで急激に意識が浮上する。
あたりの景色は一気に置き換わり、さっきまでいた平原に戻る。
浸食されていく気持ち悪い感覚は止み、代わりに痛みが走る。
痛みの原因は私が腕に突き立てた刃のせい。
それを引き抜けば血がしたたり、地面を汚す。
ひどい痛みだけれど、これがなければ私はもう魔力に呑まれきっていた。
「いたっ」
軽く腕を動かすだけで激痛が走る。
少し深く切りすぎてしまった。あの状況じゃ加減なんて考えている場合じゃなかったから仕方ないけれど。それに結果的にはそのおかげで魔力の減りが間に合ったし。
魔力が戻ってきたら、私は何もできなくなる。
その対策として、自傷することで魔力を血液として外に出す。
それが私の選んだ方法。
本当は魔法を使えればよかったんだけれど、あいにく私の使える魔法は一つだけ。そしてその魔法を使うのに必要な魔力量は今の私の限界よりも多い。
回復魔動機を使って傷を癒す。
その時ふと、違和感を感じた。
今、何か視界の端に変な……見慣れない何かが……
そしてその正体に気づく。
それは私の髪。
今まで青色だった私の髪の色が変わっている。先端だけだけれど。
掬ってみれば、少し薄くなっている。
最初は何かの毒や、魔物の攻撃といったことが浮かんだけれど、それはすぐに否定されて、一つの答えが思い浮かぶ。それはさっきの感覚。
魔力が私を塗り替えるあの感覚。
きっとあれのせい。
きっとあれが私を飲み込めば、私は私でなくなってしまう。
まずは外見からということなのだろうけれど……もしかして人格にも影響があるのかな……いや、きっとある。あるけれど、私はそれに気づけない。
だから、私はそれまでにメドリのところにいかないと。
あと何度、私が帰ってこれるかわからない。
次の異変は3日後に起こった。
もう腕の痛みにも慣れて、髪の浸食もだいぶん進んで先端が白くなってきたころ。
いつものように回復魔動機を使おうとして気づく。
なんだか目が痛い。
いろんなところが光って、まぶしくて、前が見えない。
驚いて目を閉じても、光は消えない。
痛いのは右目。
右目がまぶしい。
目を閉じていれば、少しはましだけれど。
けれどこれは何の光なんだろう。
全体的に光っているけれど、それが強い部分と弱い部分がある。
少し落ち着いて、あたりを見渡して気づく。
左目で同時に見れば光が何なのかはすぐに分かった。
これはきっと魔力の光。この目は今、どうしてかはわからないけれど魔力を光としてとらえてる。それも普段私が知覚するよりもずっと鋭敏に。
右目が景色をとらえることがなくなってから数日もたてば、その有用性には気づいた。魔力が強く感知できるということは、魔物との遭遇を割けるのも簡単になるということ。この目がなければ、気づくことすら叶わず殺されていたはずの魔物と会わずに済む。
それに自分自身を見れば、今の魔力量が大体わかる。
それによってもう侵食されるほど魔力をため込むことも少なくなった。
問題は寝ようとしている時。
いくら寝ようとしても、私の目は光をとらえ続ける。
それに私の記憶にも多くの欠落が見える。
けれど私はあまり気にしていない。
なんとなくだけれど、消えてしまった記憶はあまり重要ではない気がする。
きっと大事な記憶は私の奥底にしまわれているだろうから。
今は考えないようにしているメドリのことさえ忘れなければそれでいい。
それが消えてしまうのがとても怖い。
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