第135話 さいごの
紫の果実をかじり、身体を休め、魔力を回復させる。
いつのまにか日は傾いて、夜空の光が見え始める。
回復した魔力でまずは回復魔導機を起動する。赤黒く染まった腹の痛みがゆっくりと静まっていく。それでも怪我で失った魔力は帰ってこない。体内から出血となってあふれ出た魔力はすでに大気中に霧散してしまった。
本当は無傷で倒せたはずなのに。怪我をしたあの瞬間を思い出す。
焦ってしまったからかな。それとも少しの安心のせいかな。
……もういいか。終わったことだし。
「それよりも」
少し魔力を動かす。あの時の感覚を思い出す。
意識すると共に、魔力の違和感は独特の感覚へと認識が変わっていく。その魔力の流れは私の制御通りに小さく手の中に現れる。
黒い霧のような魔力の流れ。
なんとなくこの魔力を解放すればさっきの魔法が発動することがわかる。さっきと同じ感覚だから。
黒い精霊の意思のようなものは少しも感じない。
結局あの精霊はなんだったのか、私にはよくわかってない。どうして私の魔力の中にいるのかも。
でも、助かった。
また誰かに、何かに助けられた。
もうこの恩を返すこともできない。
これからもこの借り物の力を使うことになる。
……いや、元々私の力なんてものはなかった。
私が魔法を使って魔物を倒せるのは魔動機のおかげだし。
なんだか、私は今まで何を。なにをやっていたのか、わからない。わからなくなってきた。元々わかってなかったのかもしれない。何もやってないだけかもしれない。
結局私は1人じゃ何もできない。
そんなことは昔からわかってて、でも人を信じることはできなくて。誰かの助けが必要だから、その助けが失われた時の事を考えると怖くなってきてしまうから。
私は、なんなのかな。
また同じ思考に戻ってきている気がする。
結局、変わることなんて出来なくて。
薄い記憶が思考の中を駆ける。
いろんなことがあった気がする。
全部実感としては薄くて、全てが霞の中に消えていく。
でもなんだか不思議な感じがする。
なんていうか、楽な気持ちになってきているような……私がなぜか、私は……なんで、こんな気持ちに……
そしてふと気づく。
「誰もいない」
呟いてみる。
もう誰もいない。
もう誰も。
「もう、気にしなくていい」
誰の目も。
誰の心も。
「……自由」
自由……これが自由。
全てから解放されている気がする。
今の私は誰に言い訳しなくてもいい。
どれだけ失敗しても、どれだけ矛盾しても、どれだけ無様でも私は誰も私を見捨てない。誰も私を嫌いにならない。
1人だから。
私は今、孤独という名の自由にいる。
あれだけ恐れていた孤独の中にいる。
でもきっと、孤独が怖かったのは、みんなが孤独じゃなかったから。私が自分のことを肯定できなかったから。嫌われている私には、好いてくれる人がいないと生きていけない、生きてる資格がないと思っていたから。
けど、もうどちらもいない。
私を嫌いな人も。
私を、好きな人も。
今ならなんでもできる気がする。
そんなわけがない。それはわかっているけれど、なんだかそんな気がする。
孤独が、こんなにも綺麗なものなんて。
今、この瞬間以上に私の心が澄むことがあるのかな。
それならもうどこにも行かなくても……どこかへ行かなくてもいいんじゃない? 何をしなくてもいいんじゃない? ここで死んでしまえば……いいんじゃないかな。
ここが私の終着点。
この小さな木と濃い魔力が蔓延る雪がまばらにある荒野が私の終着点。
もう、ここで死ねばいいんじゃない?
ここなら誰にも何も言われることはない。
ここで死ぬまで静かにいれば。苦痛なき、恐怖なき死までここにいれれば。1人でここに。
それが可能なのかはわからない。
魔物が来た時に恐怖を感じないとは思えないし、魔物に負けた時、苦痛なき死が訪れるとも考えにくい。
けれど、どうしてかなんとかなる気がしている。
なんでも、本当になんでもできる気がする。
地面に手を当てる。
流れる魔力を感じる。
感じる魔力の流れがほぼ一本の流れとなって、魔力壁へと動いているのがわかる。
ここら辺の魔力は全てのこの流れが支配している。だから他の場所の地中は魔力が弱く、あまり生命が育たない。大気中の魔力は全て、この流れから溢れでているもの。
触れながら溢れ出る情報に、これはきっとあの黒い精霊の知識だったのだろうと思う。私は地中の魔力の流れの読み方なんて知らないし、これからすることのやり方も知っているはずがない。
でも何故だかわかる。理解ができる。できている気になっているだけかもしれないけれど……これが成功すればきっと。
ちょっとした目標を立てて歩き出す。
思考の中は澄んでいた。というより何もなかった。
失敗したらどうしようなんて不安もなく、約束を破る罪悪感もなく、ただ私は進む。
魔物と相対した時も思ったより怖がりはしなかった。
2日ほど歩いた時に目の前に現れたのは、四足歩行型で肉食のモイタスという魔物。群れで連携し獲物を追い詰め、素早く噛みつく。みたいな魔物だったはず。
けど相対した魔物は群れでというには小さく3匹しかいない。これは幸運だったと言わざるおえない。それともモイタス種なの中でもそういうタイプの魔物なのかもしれない。
けれどどちらにせよやることは変わらない。
魔力を高め、魔法領域を展開する。いつもより早く正確に展開された魔法領域はさまざまな情報を私に与えてくれる。それらの情報がこれからの行動への自信を生む。
魔法領域が展開されたのを感じ取ったのか、モイタス達が走り出してくる。それを感じるとほぼ同時に私も魔法を起動した。
起動した魔法がどのような名前なのか、どのような効果なのか、それは知らない。けれど私には何故か確信があって、確実にそうすべきだと思っていた。
私の魔力が私の知らない魔法式の中へと入っていく。
その魔法式は正常に起動し、その効果を表す。
そしてモイタス達は倒れていた。
その体に傷はなかったけれど、魔力が大気中へと流れ、身体を維持できなくなり死にたどり着いていた。これは何度も見た光景。
魔力の霧散。
あの子の……私を好きだと言ってくれたあの子がよく使っていた力……
あの時、私の自我を正常に保たせてくれたあの子の。イニアの。イニアの隣で感じていた力。
「私は、あそこに戻るべき……なのかな」
そう言ってから戻ることがほぼ不可能なことを思い出す。
それに戻ったってまた嫌われるかもしれない恐怖が再燃する。
今の何も気にしなくていい孤独があれば……
でも、イニアが一緒にいてくれた時が私は一番……
込みあがる無為な期待を振り払うように、別のことへと思考を移す。
さっきの魔法……あの魔動機に刻まれた魔法はこんな遠距離から発動できるものじゃなかったはずだけれど……どうしてできたのだろう。それに効果だって、強力だった。これも黒い精霊の魔力が私の中にあるからなのかな。
そんなことを考えながら目的地へと向かう。
「ついた……」
そこは地面が陥没し、巨大な穴があった。
ここにきたのは、この下がここら辺で1番、魔力の流れに近い場所だから。魔力の流れに触れる。
これから起こることが本当にそうなるのか、正直自信はない。失敗すれば死んでしまうのは確実だし、成功してもそれが正しいのかはわからない。
けど、この孤独の中でやるべきというか……なんとなくこうしたほうがよいきがする。
そのまま私は魔力の流れを掴み、魔法を編む。
その決断の意味を深く考えることもなく、強い意志もなく、ただまた何かに流されて……私はまた取り返しのつかないことをしている。
もう私にはどうしようもできない。
強大な魔力の流れの制御は思ったより簡単に成功して、私の知らない魔法式を編んでいく。その魔法が形となり、周囲に私の魔法領域が展開される。
それは黒く、光を通さない魔法領域。私の、私だけの魔法領域。領域内にいるすべての魔力は霧散し領域に吸い込まれる。
この魔法が私の最後の魔法。最後の活動。
あとはここで終わりを待つだけ。
私の肉体がこの魔法領域に完全に馴染めば、私は私を終わらせて、この一つの現象に移り変われるはず。そんな事例は今まで聞いたことがないけれど、なんとなくそうなる気がする。
これでもう私の邪魔をするものはいない。
私はここでずっと一人でいられる。
もう誰も私を1人にはしない。
あぁ……ここまで来ても私は私のことばかり……
自分のことしか考えてない。
本当によかった。私みたいな人がここで終わってくれて。
この終わりで本当によかった。
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