第132話 きずあと
「疲れた……」
ずっと歩いてると疲れる。
もう大分歩いた。入ってきたところがもうあんなに遠くにある。と言ってもこの街の100分の1も歩いてないだろうけれど。
やっぱり休めるところが欲しい。
現実逃避のように歩いてきたけれど、そんな誤魔化がずっと聞くわけもない。
いろんなことを考えないようにしないようにしてきた。気にすると何もできなくなるから。
でもきっと既にそれは失敗していて、散らかった思考へと目を向けている。耳を傾けている。いろんなことを考えて、纏まらず、私を迷わせる思考たちに。
「ぁ……」
夜空の星々が眩しい。
弱くなり始めたとはいえまだ月明かりも輝いている。
思わず目を伏せて、近くに座り込む。
道を眺めていると、まばらに人が流れて行く。
笑っていたり、話していたり、急いでいたり。誰かの元へ
私だけが1人な気がして。心が誰とも噛み合わない気がして。
「メドリ。どうするんですか」
「……とりあえず今日はここで寝るよ」
ここは雨風はしのげそうだし、人もあまりいない。
ちゃんと寝るのは難しそうだけれど、一夜ぐらいならなんとかなる、と思う。
「風邪をひきますよ」
「そうかもね……」
もう何も考えたくなかった。
今日という日をもう終わらせたくて目を瞑る。
今日もまた、今日から逃げる。嫌なことから逃げて、取り返しのつかないことになるまで逃げ続ける。
「あのー、そこ、僕の……」
また何か小さな音がする。
今度は足音か。不可解な音か。
なんにせよ、音がしたら多少何が起きてるのか確認しないといけない。そうしないと安心できない。怖くなってしまう。
「寝てる? どうしよ……入れない」
重たい頭を持ち上げ、うっすらと目を開ける。
薄明りの街灯で目を傷める。
「うぅ……」
「あ」
誰かがいる。
そう認識した途端、私の意識は急激に覚醒する。
私は私にできる最大限の速さで、飛びのき目の前に現れた人と距離をとる。
一応魔導機にも手をかけて、魔法を借り起動状態にする。
いったい何が目的で私に近づいてきた……? いろんな可能性が思い浮かぶ。全部嫌な可能性。少し身震いする。恐怖と警戒心が心を染め上げる。
戦いになったとして勝てる……?
男は小柄で若く魔力も特に感じ取れない。強そうかと言われれば首をひねるけれど、勝てる自信はない。この魔導機がいくら強力といっても、使い手が私だし。
「ありがとう」
いろいろ警戒していた私をよそに、男はそう言って、近くの壁に手をかけたかと思うと、壁が小さな音ともに開き、中へと入っていってしまった。そこは何かの扉だったようで、ちょうど私がうずくまって寝ていたあたりが開いているように見えた。つまりあの人は私に近づいたんじゃなくて、あの扉に近づいたってことなのだろう。
「ぅ」
緊張が切れて、小さく息を吐く。
怖かった。人があんな近くにいるのが。
それはきっと私が人を信じれないから。怖がりだから、こんな風になってしまう。まだ私は何も変わらないまま。何も変われてない。イニアのおかげで少しはましになったと思っていたのに。やっぱり何も変わっていない。こんな状況になっても私は、被害者面で、何も行動できない。
さっきの人は私と変わらない歳に見えた。
けれど、私とは違って、人を恐れてる様子はなかった。
もう大分遅い時間だけれど、仕事から帰ってくるところだったんだと思う。遊んでたのかもしれないけれど。どちらにせよ、私なんかよりずっと良い人。
腕についた傷を見る。
イニアとお揃いの傷。
醜くて美しい傷。
このままじゃだめ。このままじゃまた同じことになる。きっと変わらないといけない。変われるとは思わないけれど、変わらないといけない。
恐怖を抑えて、疑うのやめて、人を信じて、行動しなきゃ。
絶対、そっちのほうがいい。きっとみんなそう言う。
変わらなくてもいいといってくれたイニアだってきっと。
「エスさん。起きてる?」
「はい。起きてますよ」
「宿屋、行ってみるよ。どこか、わかるかな」
意外と宿屋にはすんなり入れた。
良い人が受付をしてくれていたからなのか、手持ちがないことを伝えると、担保があれば後払いでもいいといわれた。何を渡せばいいかわからなかったけれど、エスさんを渡せば泊まることができた。貴重な魔導機に見えるのかもしれない。
「ひとり……」
久しぶりに一人になった気がする。
部屋は大きいとは言えないけれど、窮屈というほどでもない。私が小さいところでも気にしないからかもしれないけれど。
沈黙がまた私の思考を早くさせる。いやな思考が循環し始めているのを感じる。何をしても無駄になるような、何もしたくなくなるような、そんな感触が広がり始める。
そんな思考を振り払いたくて、ふらふらとした足取りで身体を洗い流して、着替えて寝床へと向かう。倒れ込んで、まだ少し違和感の残る足を投げ出す。身体は疲れていて今にも眠りたい。
けれど何故か寝付けない。思考は覚醒している。
私は今日何をしていたのかな。
私は今日何がしたかったのかな。
わがままを言って、恐れて、現実から逃げて、歩いていた。イニアに会うためには不要な行為だった。それこそ遠回りになるような行為だった。
私は……イニアに会いたくないのかな。
そんなことはない。あるわけがない。
会いたい。会いたいけれど、怖い。
もう離れてから随分経つ。
またあった時、またイニアは私を抱きしめてくれるのかな。また好きって言ってくれるのかな。もう私は記憶を維持できない。記憶に確証を持てなくなってきている。どこまでが妄想で、どこからが現実なんだろう。
イニアの言葉はどんな声色だったのかな。どんな風に、どんな力で私を抱きしめてくれたっけ……記憶のかけらが溢れていく。私の小さな記憶の器から。
「こわい……こわいよ……」
本当であって欲しい。事実であって欲しい。真実であって欲しい。
イニアが私をずっと好きでいてくれるというあの言葉が。私がイニアを好きでいるというあの気持ちが。
どこまでが正しい記憶かわからなくて、今までの私が全て崩れ落ちそうになる。どこからが私も求めたことで、どこまでが私のしたいことなのか。
不安に囲まれる心を抑えて、腕についた傷を撫でる。
イニアと一緒につけたこの傷があの頃の照明。これを感じてる時は多少不安が和らぐ。だんだんと消えかかってきているこの傷。消えるまでにはイニアに合わないと。
この傷が消えてしまったら、私はきっとまた何もわからず、全てを恐れてしまうだろうから。
それから寝るには少し時間がかかった。
ずっと恐怖や過去が反響していた。
もうずっと同じことの繰り返し。昨日も一昨日も同じようだった。けれどずっと慣れない。
明日担って、起きても、歩いても、何も変わらない。
時間が経って、壁の端まで来ても、この時期にこの領域を超えるのは無理だと言われても、何も変わらない。
ただ記憶は薄れていく。私の変わらない恐怖を抑えてくれたイニアとの記憶が。
そして私は焦るようにここに立っている。
あの街の外。壁の外。
魔物の頂点、竜の領域。
ここを超えた先に、魔力壁がある。
ここを超えないとイニアには会えない。
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