第128話 こうかい

 あれから……ノクスさんと出会ってから、私の旅は順調だった。全部エスさんがやってくれた。ノクスさんからちゃんと話を聞いて、安全なルートを聴いてくれた。私は何もしてない。


 山を下って、森を抜け、荒野を進めば巨大な岩が見えてくる。それを目印にして進むと人里がある。ノクスさんはそこまでしか知らないと言ってたし、知る気もないようだった。


 彼がこれからどうするのかは知らないし、私には関係ないこと。関係ない……それがわかっていれば、あんな質問しなかったはずなのに。あの失敗が今も少し引きずっている。


 いや……あんな失敗は大したことじゃない。

 それはわかってる。

 わかってるけれど、失敗するたびに思い出さずにはいられないことがあるから。


「明日は、人に会うのかな?」

「ノクスの言葉通りなら、そうなるでしょう」

「うん……そうだよね」


 あれから2週間足らずで、岩の近くへと到着した。

 森や荒野では魔物に多少であったけれど、なんとかなった。私1人じゃなんとかならなかったぐらいの強さだったけれど、エスさんがいてくれたから。


「不安ですか?」

「……うん」

「大丈夫ですよ。私が必ず送り届けますから」

「……ありがとう。おやすみ」

「はい。おやすみなさい」


 その言葉とともに灯りが消え、暗闇が私を包む。


 暗闇は私を守ってくれることもある。

 私を不安にすることもある。

 私の恐怖を呼び起こすことも。


 最近はずっと怖い。

 寝る前にあの時のことを思い出すから。

 エスさんは私が無事に帰れるかどうかを不安に思ってると思っているようだけれど、そうじゃない。そんなことは不安じゃない……と言えば嘘になるけれど、根幹はそこじゃない。


 私が怖いのは人と関わること。人と上手く関われなくて、怖がってしまって、失敗するのが怖い。

 イニアのおかげでマシになったと思っていたのに、何も変わってなかった。


 ただイニアの存在がそれを忘れることを許してくれているだけで、1人になれば結局こう。ただ震えて、暗闇の中に記憶を見る。

 涙が出たりするわけじゃないけれど、なんとなく全てが苦しくなってくる。自分が今何をしているのか、それがわからなくなってくる。何かをすることに意味があるのかな。そんなことばかり思考を循環する。


 そしてまたあの時のことを思い出す。

 多分、誰にも悪意はなかった。

 私にも。


「え、なんで笑ってるの?」

「そんな人だとは思わなかった」

「……ばいばい」


 あぁ、また。まただ。

 またあの、もう名前も忘れかけていたあの子の声が私の身体を震わせる。あの時の恐怖がまた私を縛り付ける。


 もう過程も内容もあまり覚えていない。

 覚えていないというのは違うかもしれない。

 なにが真実かわからない。


 あの頃の記憶ほど鮮明で曖昧な記憶はない。

 どこまでが現実でどこからが妄想なのか。時系列だってわからないし、その時感じていたことが改変されているような気もする。


 ともかくあれが現実だとしても妄想だとしても、あの時のことが私を縛り付けている。本当に誰にも言いたくはない。私もずっと忘れていたい。

 もうきっとあの子も忘れている。きっと気にしてない。それでも、私はずっと気にしている。


 今もほら。

 あの頃の景色がすぐそこまできている。

 あの時の寒さが。あの時の薄暗さが。あの時の景色が。


 無機質な校舎が離れていく。

 無意味に並ぶ木々が私を見張っている。


「—————————」


 あの時、なにかを相談された。もう顔も思い出したくないあの子から。

 どういう関係かは思い出せないけれど、相談されるぐらいは仲が良かった……はず。


 その相談がどんな声色で、どんな表情で、どれぐらいの声量で、相談されたのかはわからない。内容も家族のことだったか、友達のことだったか、それとも勉学のことだったか……わからない。

 けれど確か悩んでることについてだった気がする。


「ふふっ……」


 私の小さな笑い声が響く。

 いつもそうならないことを祈っているのに、記憶の中の私はいつも笑う。当然かもしれない。実際そうしたのだから。


 なぜ私が笑ったのかなんて、それこそわからない。

 どこかがつぼにはまったのか。それとも言い回しが面白かったのか。もう思い出せることはない。きっとその時もわからなかった。


 ともかく、私は笑った。


「……————。—————」


 そしてあの子が二言ほど呟いて、私の笑い声は消えた。

 別に恨み言を言われたわけじゃない。あのとき受けた感情はなんというのか。失望や嫌悪というものが1番正しいと思う。


 そしてあの子は、また記憶の霞へと消えていった。

 あれ以降、私は人と関わるのが怖くなってしまった。


 いや、元々怖かったけれど、それがあそこで表面化したというのかもしれない。あの時までも気をつけていたはずなのに。

 私が何かやらかさないように。失敗しないように。嫌われないように。置いていかれないように。


 気をつけていたはずなんだけれど。

 そんなことじゃ私は止まってはくれなくて、失敗をしてしまった。取り返しのつかない失敗を。


 ……もしかしたら取り返しがついたかもしれない。

 あの時、すぐに謝っていれば。逃げずにもう少しあの子と話していれば。向き合うことができれば……


 でも私は逃げたから。

 逃げて全てを失敗で確定させてしまった。


 全部私のせい。あの時悪いのは私なんだ。

 そんな悪い人間が生きていていいのか私にはわからない。


「調子に乗ってたよね」

「ひっ」


 小さく悲鳴が溢れる。

 また幻聴。誰の声とも言えない声が聞こえる。

 そしてまた記憶が復元される。思い出したくもない記憶が。


「相談されたんじゃないでしょ」


 やめて。

 やめて。

 やめて。


「よーく、思い出して」


 いや。

 いや。

 開けないで。

 私の扉を開けないで。


「あの時、どう思ってた?」


 そう……私が相談なんてされるわけがない。

 悩みがあるなら聞くよと言ったのは私。私から、相談されるように仕向けた。


 本当にその時の私は調子に乗っていた。

 自分は世界で一番不幸だと思っていたかもしれない。降りかかる災難を周りのせいにして、不幸に酔っていた。そして不幸をわかってる私なら誰かを……みんなを幸せにできるって信じていた。

 きっとそうしていないと私は私が生きていても良いって信じれなかったから。


「そしてあの子が悩んでいることをたまたま聞いた」


 本当にたまたま。私への言葉ではなく、誰かへの言葉によって聞いた。それがどういう場で、どういう状況で、その偶然が起きたのかは忘れてしまったけれど。

 

 悪気はない。本当に悪気はなかった。

 本当にその時はそう信じていた。

 信じて、あの子を傷つけた。

 

 あの時、笑いさえしなければ私はまだ同じように信じていたのかもしれない。それはそれで恐ろしい想像だけれど……でもきっと同じような失敗を、どこでしたような気もする。

 だから私が今こうやって蹲っているのは必然なのかもしれない。私なんかはこうしているのが。


 やっぱり……私は生きてちゃいけないのかな。

 いくらそう悩んでも、私が自決することはない。

 そんな勇気が出せるほど強い人じゃないとわかっているから。そんな勇気が出せるなら、きっとこう悩んだりはしていない。


 でもこうやって寒い夜が続くのも今だけだから。

 イニアに会えればきっと、何も考えなくていい。

 イニアは私を肯定してくれる。私が生きていることを。私が関わること。私といることを。


 だからこんな記憶ともそれまでの付き合いでしかない。

 そう信じたい。

 だから……またイニアと一緒にいていいのかなんてことで悩みたくない。


 そう願って幻聴と幻覚から目を背けた。

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