第126話 へんかを

 イニアのおかげで少しは人のことが怖くなくなった。裏切られても、イニアがいてくれるから。でも、すべての恐怖が消えたわけじゃない。それに今はイニアがいない。


「人……」


 得体のしれない光じゃなくて人だといわれても、どうしたらいいのかわからない。こんな場所に人がいるなんてという驚きもあるし、どんな人かわからないという恐怖もある。


「どうしますか。おそらく逃げ切るのは難しいですが」

「そう、だよね……」


 彼がどんな人かわからないけれど、おそらく戦闘能力はかなり高い。さっきの不思議な光る魔力は感じれないけれど、車より速く走る人相手に私なんかが勝てる見込みはない。エスさんの力を借りれば何とかなるのかもしれないけれど……


「……話してみよう。もしかしたら力になってくれるかもしれないし……」


 とっさにそんな言葉が出てくることに自分でも驚いた。

 あまり期待はしたくないし、できないことが多いのに。


「わかりました。扉を開けます」


 ゆっくりと扉が開かれ、強烈な冷気が中へと入ってくる。明らかに人が長い間いれるような空気じゃない。

 空気に触れるだけで身体が痛くなってきそう。


「ぅん……」


 寒さを我慢して、座っている椅子の手すりに軽く魔力を流す。すると、椅子がゆっくりと動き出す。小さく空に浮かびながら。


 左足はまだ全然動かない。そろそろ慣れてきたけれど、すごく不便なことに変わりはない。

 エスさんが古代施設にいるときに作ってくれた動く椅子がなければこうやって動くこともできなかった。


 雪の上を少しづつ動いていく。

 けど、何を話せばいいのか。

 話すといったって、いきなり助けてくださいなんて……私なら、きっと助けない。私はそんなに優しくない。彼が私と同じなわけがないけれど……助けてくれるなんて期待はしてはいけない気がする。私なんかを。


 でも……同時に、見捨てられるほど非情にもなれないと思う。私なら、助かる可能性が高そうな方法ぐらいは教えるはず。自分に不利益がないなら。

 彼もそうであって欲しい。そう信じたい……


「あ、えっと」

「はじめまして。僕はノクス……っていうのはさっき言ったか。よろしく」

 

 一定の距離に近づくと、私が何かを言おうとするよりも先に彼はそう言った。

 私が椅子に座ったままのことに関しては少し驚いたように見えたけれど、動揺するほどでもなかったみたいで、すぐに言葉を続ける。


「君の名前は?」

「あ、メドリ……です」


 です、とつけたほうがいいのかどうか迷ったけれど、つけないよりはつけたほうがいいと思って、つけてみる。こういう初対面での人との距離感は難しい。いや、初対面じゃなくても、難しい。


 どれぐらい踏み込んだら怒りを買うのか。

 どれぐらいまでなら、許されるのか。

 どれぐらいなら、気に障らないのか。


 そんなことばかり考えてしまう。

 最近はあまり考えていなかったことを。


「メドリか。よろしく。でも、敬語はいらないよ。そんな人じ,ゃないよ。僕は」

「あ……その、」

「もちろん、君がどうしてもというなら止めないけれどね。ないほうが嬉しいかな」


 また難しいことを言う。

 こんな風に自由意思を問われる質問は苦手。

 何を基準に判断すればいいのかわからない。私は私の意志を信じてない。信じてないというか……自分の意志は悪いほうに向かうと信じている。


 イニアがいれば……よかったのに。それで全部、よかったのに。


「じゃあ、よ、よろしく……」

「うん。よろしく」


 イニアのことを思うと心が痛い。

 痛いというより……不安に駆られる。恐怖に襲われる。暗闇に包まれる。

 だけど、同時にイニアの存在が私を助けていてくれたことがわかって嬉しい。イニアの隣居れば、私は安心できる。そんな風に期待できるから。


「近くに僕の家があるんだ。そこで少し話さないかい? 大したものはないけれど、この寒い中にいるよりは良いと思うんだ」

「話……?」

「うん。ただ話したいんだ。ここは……そう。少し寂しくてね」


 どうしよう。罠の可能性は考えたほうがいいのかな。

 でも、情報が欲しいのも事実。このままいろんなことを知らないままに進むのも危険といえば危険な気がする。家を構えているというのなら、きっと長い間ここにいたと思うし……


 エスさんに判断を仰ぐべきかな。

 いや、きっと自分で決めれるようにならないといけない。

 イニアがいつも決めてくれていたけれど、こんな風に離れてしまうことあるなら、私だって自分で。


 失敗するのが怖いけれど……失敗して嫌われるのが怖いけれど……イニアに嫌われるのが怖いけれど……イニアは私のことを嫌ったりしない。ずっと好きでいてくれる。


「あぁ、突然すぎたか。ごめん。もう長い間、人と会ってなくて」


 私の沈黙をどう解釈したのか、彼はそんなことを言う。

 慌てて、手を振ってそれを否定する。


「いや、別に、大丈夫……じゃあ、その、お邪魔させてもらい、ます」

「そう? それならよかった。じゃあ、こっちだよ」


 ノクスさんは深い雪の中を何もないように歩きだす。私なら歩きにくいどころか、動くこともできないような雪の中を軽々と歩く。しかも、濡れているようにも見えない。どういうからくりなのかな。


「ついていきます」


 耳に小さくついた魔導機からエスさん声がする。

 後ろを見ると、車もゆっくりと雪上を動いて追いかけてきていた。


「これで、よかったのかな」

「わかりません。しかし、戦いになれれば勝てないと思われる上に、情報が欲しいこの状況を考えれば、失策ではないと思いますが」


 そうだといいけれど。


 そうして雪原を進んでいく。時折、ノクスさんは後ろを振り返って私たちがついてきてるのか確かめていた。

 雪がないこの山は不自然なほどに見晴らしがいい。いつもは雪で何も見えない。


 多分綺麗な景色なんだと思う。

 日の光が雪に反射したり、広大な景色が広がっていたり、遠方には強大な魔力が光となって揺らめいている。近くで見れば恐ろしいものなんだろうけれど、遠くで見れば綺麗。


 綺麗なはずなんだけれど……あまりそう思えない。そう感じない。

 イニアと見ていればそう思えたのかな。

 すごく灰色に見える。もちろんそんなことはない。ないけれど、そんな風に感じる。視界が濁っている。


「あそこが僕の家さ。今はまだ陰に隠れているけれどね」


 指指す先には一見何もなかった。

 けれど、近づいていくにつれて、そこがへこんでいるのがわかる。遠くからだと気づけない。そこには雪の中に埋まった小さな扉があった。一面雪の場所の中では似合わない石造りの扉。


「さ、どうぞ」


 扉が開く。

 今ならまだ引き返せる。

 中が罠としても。

 でも、一歩を踏み出す。


「お、お邪魔します……」


 家の中は、暗い。雪の中に埋まっているのだから当たり前なんだけれど。


「夏ならもっと明るいんだけれど」


 そういって、彼が腕を振ると、小さな魔力が壁に飛んでいき、明かりを灯す。

 さっきと似ている。さっきの、光からノクスさんが出てくるときに離れていった光と。


「ここに座ってて。今、お茶でも出すよ」

「あ、ありがとう」


 家の中は思ったより広い。

 多分かなり快適だと思う。食料や水のことを考えなかったら。

 けれど、ここに住んでいるということは何とかなるのかもしれない。

 さっきもお茶をいれてくれるといっていたし……いや、それは今気にすることじゃないのか。今、多分考えないといけないのは、何を聞くか。答えてくれるかはわからないけれど、なるべく情報が欲しい。


 ほしい情報は、なぜ魔物がいないのか、どこにいけば帰れるか……あとは、どうしてこんなところに住んでいるのかとかも聞いたほうがいいのかな。それは踏み込みすぎかな。


 わからない。頭が痛い。

 複数のことを考えれるほど、私の思考はよくできてない。

 なんだか久しぶりの感覚。

 いつか、どこかで……似たような感覚になっていた気がする。

 どこだか忘れてしまったけれど……いったい、どこだったっけ……


 きっと思い出さなくてもいい場所。思い出す必要もない場所。

 これもイニアにいるときは感じなかったのに。

 イニアがいない。それだけで、しんどいことがたくさん増える。悲しいことが、苦しいことが、私を締め付ける。涙が溢れそう。


「大丈夫ですか?」

「う、うん。大丈夫……」


 泣いてる場合じゃない。

 ノクスさんが味方かもわからない。

 そんな状況なのに泣いてる場合じゃない。

 私は必ずイニアのところに行かないといけないんだから。

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