第103話 けつれつ

 激情が私の心を、身体を動かす。動かした。

 気づいたら立っていて、メドリの母の言葉に反論にもならない、ただの強い言葉をぶつけ……ようとした。けれど、私はその場で立っただけで、何も言えなかった。


「……どうしたのイニアさん」


 私を止めたのはメドリ。メドリが私の手を少し引っ張った。それが静止の意志を示していたのがわかっていたから、私の中を支配していた激情は消えた。


「……いいの」


 メドリの声がさらに私を落ち着かせる。メドリは笑っていた。笑っていたけれど、その中にある悲しみや苦しみが見えない私じゃないし、それを生み出した目の前の彼らに何も思わないわけじゃない。でも、私はもう動けない。メドリの言葉を思い出したから。


 私は大丈夫だから、無茶はしないで。

 一緒にいてくれたらいいから、私の、私達のために怒らないで。

 私と一緒にいてさえくれば、いいの。


 その言葉が私を止める。激情は消えた。でも、嫌悪感や不快感が、気持ちが消えたわけじゃない。ただ、攻撃性が消えただけ。


「その……ごめんなさい。帰ります」

「え? え? いきなりどうしたのイニアさん?」

「メドリ、行こ」


 もう無理だった。もうこの場にいたくなかった。

 メドリの意見も、彼らの声も聞かずに、メドリの手を引っ張る。


「ちょっと待って、待ちなさい!」

「……もういいじゃないか。お母さん」

「なにがいいの!? あの子にはまだ……!」

「なにもないよ。私たちにできることは。メドリはもう、決めたんだ」


 彼らの音が聞こえる。けれど、私の思考には何も入ってこなかった。きっとメドリを引き留めてるんだろうけれど、私はメドリとここを離れたかった。


「イニア」

「ぅ……ぁ、ぇあ……メドリ……」


 気づいたら遠くにいた。彼らは追いかけてくるかと思ったけれど、近くにそれっぽい人影はない。

 あたりは街灯があるとはいえ、冬の夜はかなり暗く、雪もまばらにふっている。つっかえながら出した息は白く、私の思考をさらに一段と冷やす。


「メドリ……ごめん」


 メドリの言葉で思考が晴れた私から最初に出たのは、メドリへの謝罪だった。あんな強引に出てきて、メドリと彼らの関係がこじれないわけないのに。それはメドリの望んでいたことじゃないはずなのに。


「……謝らないで。私もあんなこと言われて嬉しかったわけじゃないし……それに、一緒にいるから……一緒にいるならなんでもいい……そういったでしょ?」

「……で、でも……あんな……」


 あんなことしなくても、もっと穏便な方法があったはずなのに。あの時の私にはあれ以外できなくて。それがメドリの望みを絶ってしまった。

 それが本当に嫌。私が原因でメドリの望みを、幸せを奪ってしまったかもしれない。それが苦しい。私は、メドリを幸せにしたいのに……私が、壊してしまった……そんなの、そんなのやだ……!


「ぅぁんあぅう……」


 目じりが熱くなっていた。視界がぼやけて、頬が、首が濡れてて、自分が泣いてしまったことを走る。

 泣きたいのは私じゃなくてメドリじゃないの。泣いてる場合じゃない。メドリを幸せにしたい。メドリが今まで積み上げたものを壊してしまった。いろんな感情が私の中を渦巻く。渦巻いて、わからなくなって。


「メドリ……メドリ……」


 苦しい。胸が苦しい。

 息をするのが難しい。動機が止まらない。

 視界が揺れて、道端に私は跪く。


「イニア……ありがとう。大丈夫……大丈夫だよ」


 私は、私は正解を選べなかった。間違ってるかはわからないし、私はそうするしかなかった……そうするしかなかったけれど、正解を選べなかった。メドリを幸せにする正解を。

 それなのにメドリは私を抱きしめてくれる。腕を回して、背をさすってくれる。


「だ、だって……私……」

「ううん。よかったの。これで」


 そうなのかな。

 本当に。でも。私は。メドリを。メドリが。


「イニアは嫌だったんだよね……あんなこと言われて」

「そ、そうだけど……」


 嫌で嫌で仕方なかった。あんな……私達の関係を、私達が作り上げ、確かめ合った関係を否定されてる気がして。

 けれど、あんなの無視しておけばよかった。あんな言葉で、私達の関係が壊れることなんてないのに。あんな言葉に否定されたって、世界のすべてが私達を否定したって、私はメドリのそばにいるって決めたのに。


「私も嫌だった。ごめんね。私が会いたいなんて言ったから」

「ち、ちがっ……めどぃのせ、じゃ……な、い」

「でも、お母さんと会ったのは私がいたからだよ。でも……私といてよ。私といてくれるよね……?」


 もう声は出なかったけれど、首を縦に振る。

 それで伝わったようで、メドリは優しく微笑む。さっき彼らの家で見た悲しみにまみれた笑みとは違う、暖かくて安心してることがわかる微笑み。


「イニアが嫌なら、これで正解だよ。嫌な思いしてほしくないから」

「ぅん……っ」

「これまでの私ならきっと、あんなこと言われても何もできなかったよ。ううん……今もできない。だから、イニアが助けてくれたの。また、助けられちゃったね」


 そんなことない。私がいなくてもメドリならきっと、立ち直っていたと思う。けれど、メドリが私の身勝手な行動に助けられたというなら……すごく嬉しい。


「……何度でも、助けるよ……一緒にいるために。ずっと一緒に」

「うん……ありがと……」

「うまくできるかはわからないけれど、私一緒にいたい」

「いいよ。失敗したって、私のそばにいてくれるならそれで」


 メドリの言葉が混ざり合って、ねじ曲がった私の思考を解くことなく、纏めて溶かしていく。それがすごく安心できて、私の安心を作ってくれるのはメドリだけだって、また確信する。


「あ、でも」

「ん?」

「お母さん……もしかしたら、また人づてとかで私たちを探そうとするかも……それは困る」

「そうだね……」


 ゲバニルの人に迷惑をかけることになるし、家に押しかけられても困る。

 けれど、どうしよう。


「メッセージだけ送っとこうか……私、お母さんを前にしたら、きっと怖くて何も言えない……だから、これで終わりにする……って、言うには少し締まらないかもだけど」

「ううん。そんなことないよ。でも、いいの……? その、仲悪いわけじゃないでしょ?」


 私の言葉にメドリは少し俯いて、再度私に向き直る。その中には、ほんの少しの恐怖と、もっと多くの覚悟が見えた気がした。

 メドリはやっぱり恐怖が多い。それでも、今、メドリは決断した。それはとてもすごいこと。失敗するかもしれない。後悔するかもしれない。けれど、そうなっても、そうなったときにこそ、私はメドリのそばにいて、メドリを幸せにしたい。


「うん……イニアがいてくれるから平気。私やっぱり……イニアだけでいい」

「……嬉しい。私も、メドリだけいてくれたら……」


 少しの間、抱き合う。

 もう涙は止まっていた。

 雪がメドリの紫髪に、私の青髪につもり、白く染める。


「……息白いね。風邪ひかないうちに、帰ろう」

「うん……あったかいうちにね」


 私達が熱を共有しているうちに。

 あたりはうっすらと白くなっていて、真冬の夜だというのに、私は少しも寒くなかった。メドリが熱をくれるから。それが、私の熱を生み出して、私の熱をメドリに上げる。そうすればまたメドリが熱をくれる。

 そうやって、私達はいつまでも熱を持っていられる


 すべてを溶かし、私達を1つにしてくれる熱を。

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