第101話 ふくざつ
メドリが玄関の戸に手をかけ、開ける。
あのメッセージを見てから3日。3日で、生まれ育ったこの街に帰ってきた。アミカから、そこまで遠くないのはよかったのか、良くなかったのか。
……正直、もう少し時間が欲しかった。まぁ、時間があっても結局同じくらい緊張したと思うけれど。
ここには私たち2人だけで来た。イチちゃんとナナちゃんはパドレアさんのところで遊んでるはず。
2人のことは伏せることにした。話したら、それこそ説明しないといけないことが増えるし、そうなるとゲバニルの機密事項や、2人の秘密に触れることになりそうだから。
「お、お邪魔しま、す……」
後ろでドアが鈍い音とともに閉まる音がする。
前の大襲撃で家を失ったはずだけれど、再建したようで床や壁はまだ明るい。
それより驚いたのは、写真や置物、家具や装飾品……そのたくさんものだった。
どこの家も、こんなに賑やかなものなのかな。ここに比べたら、私が目に住んでいた家なんて何もないに等しい。今の家はイチちゃんとナナちゃんのものが少しあるけれど、ここまでいろいろあるわけじゃない。
もっと……いろいろおいたほうがいいのかな。
「イニア、大丈夫?」
「ぅ、うん……ちょっと、緊張しちゃって」
こんなに緊張しているのいつ以来かわからない。なぜか、すごく緊張する。メドリは不安そうにしていたから、私まで緊張してるわけにはいかないのに。
そんな私の手をメドリが両手で包んでくれる。
「大丈夫だよ。一緒にいてね」
「ぅ……ふぅ……ん。もう、大丈夫。一緒にいるよ」
大きく息を吐いて、心を落ち着かせる。
緊張が完全に解けたわけじゃないけれど、何があってもメドリがいるんだし大丈夫。それに、もし、メドリの両親がメドリを傷つけるようなことがないように、私が守りたいし……緊張してる場合じゃない。
そう思うと、あれだけ動きづらかった思考や身体はある程度動くようになる。いや、緊張しているけれど、それを感じない……どちらかといえば戦闘の時の思考に似ている。そんなことにはならないと思うけれど。
そうこうしているうちに、奥の部屋のほうからか足音が響いて、メドリの母が現れる。
母はいろいろな感情が入り混じった顔を見せ、小走りで駆け寄り、メドリに抱き着く。
「メドリ……無事だったのね……!」
「う、うん……そう、だね」
メドリも流石にいきなり抱きつかれるとは思ってなかったのか、ぎこちなく頷く。メドリに抱きつくことを許されている母に嫉妬しそうになるけれど、抱きつかれている間もメドリの手は私の手と繋がっていた。
ずっと私の手を握っててくれる。それが母より私を見てくれている気がして、嬉しくなって、感じていた嫉妬は消えていく。
そうして、私は……すごく冷めきってしまっていた。メドリに対してじゃない。メドリの母に。
心配していたのは本当なんだろうけれど……なんというか、結局、この人はメドリに何もできてない。
私だって、なにかをできてるとは思わないけれど……メドリのためにいろんなことをしようと思って、一緒にいたり、抱きしめたり……いろんなことをしたのに。
それなのに今更抱きしめて、心配してただなんて……なんというか、都合が良いというか……よくわからない。自分でもよくわからないこじつけような理由で……もっと単純なのかもしれない。ただ嫉妬しているだけ……かもしれない。
もちろんメドリが私を選んでくれたから、私のそばにいてくれたっていうのはわかってる。わかってるけれど……ううん。わかってるからこそ、今になってメドリを抱きしめているこの人に敵意に似た感情を持ってしまう。それは、こう……もっと、メドリに寄り添ってから、許されて欲しい行動で……
同時に私だけを見てくれないメドリにすごく不安定で歪な感情を持ってしまう。その感情が暴れだしそうになるのを必死に抑える。
「……ずっと立ち話もあれだし……とりあえず、上がったらどうかしら?」
「うん……ほら、いこ」
「……お邪魔します」
母に促されて、廊下へと足を踏みいれる。
流石に慣れているのかメドリに引っ張られるような形で。
「お茶とか、いる?」
「ありがとう……お茶はいいや」
案内されて、椅子に座る。メドリは慣れた手つきで、私は辿々しく、隣り合って座る。目の前には机があって、机を挟んでメドリ母は座る。
多分普段からここでご飯とかを食べているのだと思う。味付け用の調味料が置いてある。これが、普通の家庭の食卓というやつなのかもしれない。私には、まったく縁のなかった話だけれど。
「お父さんはちょっと待ってて。今、買い物に出かけてるから」
来る時間を間違えたかなと思ったけれど、時間はほぼ伝えてた通り。意外とそういうところに緩い人なのかもしれない。メドリへのメッセージでも、あまり心配はしていなかったようだし……
「それにしても、よかったわ……メドリが無事で……」
「うん……まぁ。もちろん、大丈夫だったよ」
「でも、危ない仕事だったんでしょう……?」
危ないといえば……うん。すごく危ないと思う。
パドレアさんによれば、私達は親族説明用の架空の会社で街の外に行って生態系を調べる的な仕事をしてたことになってるらしい。結構そのままで驚いたけれど、私達に変な嘘はできないと思うし、ありがたかった。
念を押されたことは、ゲバニルの名前は出さないこと。調査の詳細を話さないこと。未開拓領域に行ったことも話してはいけない。ぐらい。
あとは、イチちゃんとナナちゃんのことも話さない。これはパドレアさんが言ってたわけじゃないけれど、私達2人で決めたこと。
「っぅ」
未だ少し残る緊張を誤魔化すように唾を飲み込む。
何を言われるのかな。そんなに恐れることではないのかもしれないけれど、メドリを不安にさせて、しかも、メドリが会いに行くことを決めた人。さっきの嫉妬心も刺激されて、いろんな感情が渦巻いて、警戒して、緊張してしまう。
メドリを育ててくれたことには感謝したほうがいいのかもしれない。けれど、どうしても、メッセージを見たときのメドリの顔を思い出してしまう。あんな顔をさせてしまう人に感謝なんてできない。
……メドリの母としては、心配のつもりのメッセージだったのかもしれないけれど……なんというか、私はどうしても良い印象を持てなかった。だって、今までメドリの不安に気付いてなかった。
私より長い間メドリといたのに。それなのに、メドリの恐怖や不安に気付いていなかった。それどころか、メドリ母も父も、どちらもメドリの不安になっていた。
だから……メドリが傷ついてしまうんじゃないかって、そう、私が不安になっている。私が怖くなっている。私にはメドリの両親がメドリのことを一番に考えているようには見えない。
でも……メドリが、会いに行くと決めたなら私にそれを止めるという選択肢はなかった。ただ、もしメドリが傷ついても、その痛みを共有して、分け合って、メドリを守りたい。それだけが重要だし、それ以外にきっと私にできることは、ない。
その時、玄関の方から扉の開く音がして男の人が入ってくる。どこかでみたことがある気がするし、多分メドリの父だと思う。
「帰ったぞ……おう。メドリ、久しぶり。元気そうで何よりだ」
「うん……お父さんも」
「あぁ。イニアさんもいらっしゃい」
「は、はい……お邪魔してます」
緊張して、つい変な声が出てしまった。うぅ……帰ってきたってことはついに始まるのかな。
何が始まるのかはわからないけれど……
「お父さんも帰ってきたわね」
「うん……」
何かが始まりそうな予感を感じる。ここから本題に入っていくような。
メドリ母は普通に、メドリは少し俯きがちのまま、ゆったりと、しかし密かに張り詰めながら進んでいく。
そんな少し不安そうなメドリの手を強く握る。メドリの不安を分け合いたくて。どんなことがあっても、メドリと一緒にいるんだから。
もし……これからメドリと親の関係に亀裂が走っても、そしてその原因が私にあっても。私は、メドリと一緒にいる。そんなの気にしない。
そう決めたんだから。
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