第76話 このとき

 目が見えない。瞼が開いてない。開け方がわからない。眠い。暗い。なにも考えれない。思考が弱い。感覚が弱い。イニアが感じれない。手を伸ばそうとするけれど、痺れた身体はうまく動かない。

 この時間は……眠ってる時と起きてる時の間のこの時は1番怖い。イニアが感じれなくて、不安が強くなってしんどい。だから早く起きないとと思うけれど、朝に弱いこの身体はそううまく反応してくれない。


「ぅ……ん……メドリ……」


 イニアの声が聞こえる。もっと聞きたい。

 今にも沈んでいきそうな意識を必死に保つ。


「ぁ……起きた?」


 目を開けるとイニアが目を合わせてくれる。

 すごく安心する。まだやっぱりイニアのことが感じれない時は不安がひどい。でも、イニアが目の前にいるだけ心は暖かくなって安心する。

 さっきまで感じていた不安はどこかに消えていく。イニアを見るとここにいてもいいって思える。私、ここにいるって……イニアと一緒にいるって思える。


「イニア……」


 手を伸ばす。手を重ねて体温を感じる。

 柔らかくて小さな手をきゅっと握る。イニアが私の手の中にいる感じがすごく心地がいい。指をころころと動かして、肌を撫でる。

 イニアに触れられる。触れることを許されてる。触れても拒絶されてない。触れられる。好きな人に触れられる。嬉しい。また好きになる。もっとイニアのことが好きになる。


「め、メドリ……」

「なに……?」

「そ、その触り方がえっちで……だから……えっと」


 イニアが恥ずかしそうな声を出すけれど、私が手を撫でるのをやめることはない。イニアはなにをしても許されるってわかってるから。私が触りたいから。

 ……嫌って言われたら止めるけれど……イニアがそう言うことはない。許してくれるもの。私はイニアに許されてる。生きることも。そばにいることも。一緒にいることも。全部イニアが認めてくれるから、私は生きていられる。


「ぅう……朝から変な気分になっちゃうよ……」

「そんなこと言って……元々傷を舐めてたのに」

「え……! ば、ばれてた?」

「……イニアの手、こんなにひんやりしてないよ」


 そう言いながら傷の周辺を撫でる。

 傷は小さな火傷の痕。私の手にも同じようなものがある。


「メドリがつけてくれたのが嬉しくて……自分の手までしなくてよかったのに」

「……お揃いがいいの。私だってイニアに傷なんてつけたくなかったのに……」


 最初イニアに手を火傷させて欲しいって言われた時は何事って思った。綺麗なイニアの手を傷つけるには嫌だったけど、そう言っても引き下がらないから……渋々私の手にも同じものをつけるってことで手を打った。

 そうは言っても身体にお揃いのものを刻むのは少し嬉しかった。ちょっとした回復魔法で治るような小さな傷だけれど。


「お揃い……そっか。そうだね。うん……いいねこれ」

「一緒に過ごしていくんでしょ……? じゃあイニアだけ傷ついてるのはおかしいよ」

「うん……そうだね。一緒だもんね。ずっと一緒」


 イニアが傷つくなら同じだけ傷つきたい。

 一緒に傷つきたい。イニアの痛みも喜びも苦しみも全部共有していたい。一緒に同じものを感じてたい。

 

「でも……傷ばかり舐めてちゃやだ……それなら傷はもう消すよ……? 私を見てよ……ここにいるでしょ……?」


 イニアは私のつけた傷を気に入ってるみたいだけれど、時々それが強くなりすぎてる気がする。恍惚そうな表情で、傷を眺めて撫でたり舐めたりしてるのを知ってる。

 私はここにいるのに。傷なんかで満足して欲しくない。私を撫でたり舐めたりしてくれればいいのに。


「ご、ごめん……でも、メドリを起こしたら悪いかなって」

「……そう、だけど。でも……」


 たしかに無理やり起こされるのはあんまり好きじゃない。たださえ目覚めが悪いのに、無理やり起こされると、頭は働かないし怒りっぽくなるし、良いことはない。

 私がそういう体質ってわかってるからイニアは私が寝てる時にあんまり触れてこないんだろうけど……


「むぅ……」


 そんな理屈と私の感情はうまく繋がらない。

 傷に嫉妬するのもどうかと思うけれど、私の心はそんなことでは留まらない。でも、そんなこと言ったって仕方ないってわかってる。わかってるけど……


「えっと……じゃ、じゃあ起きたら抱きしめるよ。ううん。私が抱きしめたいの。メドリをもっと感じたい」

「それなら……いいけど……」


 イニアの身体が少し動いて、私の身体を抱きしめる。手が背中をなぞって、紫髪をとかしながら頭を撫でてくれる。

 こうしてもらえてるとすごく安心する。不安が生まれる隙なんてないぐらいイニアの暖かさで包まれる。イニアが私を求めて認めて許してくれるから。


「メドリ……」

「んぅ……すき……好き……」


 思わず心がそのまま漏れる。

 イニアの顔がほんのり赤くなってるのがわかる。いつになったら慣れてくれるのかな。そんなに意識されると、私まで恥ずかしくなる。

 恥ずかしくなると好きって言えなくなりそうだから嫌。好きって言っていたい。イニアへの気持ちを我慢したくない。我慢しなくていいって言ってくれたから。好きって伝えたい。


「私も……好きだよ……大好き」


 思わず微笑んでしまうのが自分でもわかる。好きって言ったらイニアは好きって返してくれるから、好きって言いたい。好きって言うたびに、好きって返してくれるから、またわたしの中の好きって気持ちが強くなる。


 きっと……2ヶ月前なら好きって思うたびに、イニアが離れてしまう時のことを考えて不安も強くなっていたと思うけれど、今は不安になることはあんまりない。

 イニアの隣が居場所なんだって感じてるから。ここにいていいって感じれるから。イニアの隣で一生一緒に過ごしたいって思えるし、イニアもそう思ってくれてるから。


「ねぇ……イニア……ずっと一緒だよね……ずぅーと一緒だよ」

「うん……一緒だよ。離れたりしないよ。メドリがどれだけ嫌がっても離れてなんてあげない」

「嬉しい……」


 頭をイニアの身体に擦り付ける。

 わしゃわしゃして、甘えてる。そんな私を優しく撫でてくれる。それが心地良くて安心して、また寝てしまいそうになる。


 でもそろそろ起きないといけない。それはわかってる。

 今日は、というか今日も仕事がある。イニアの身体の調子が戻って、1ヶ月ぐらい。パドレアさんから仕事の通達が来たのが2週間前。

 私としてはもう少し休んで欲しかったけれど、イニアが大丈夫って言うからまた魔物調査に来た。まぁ貯金も少しずつ減っていってるし……仕事しないといけないのはわかってるんだけど……イニアのことが心配なのは変わらない。


 イニアが離れていかないのは感じれるけれど、イニアが死なないわけじゃない。もし急に病気とかでイニアが死んじゃったら、私も死ぬ。すぐに死ぬ。イニアがいない世界で生きていたくないもの。イニアが、イニアの隣だけが私の居場所なんだから。


 だからもう少し抱きしめられていたい。

 イニアといる時間はいつでも宝物だけれど、この朝と夜の2人っきりになれる時間はその中でも特別。イチちゃんとナナちゃんの前では見せてくれないようなイニアが見れる。

 甘えてくれたり、甘やかしてくれたり、キスしてくれたり、キスしたり……もっとお互いを感じたり……


 私の、私だけが見れるイニア。

 好きで好きでたまらない。

 だから……だからね。もう少し……もう少しだけ……

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