第75話 いばしょ

 イニアに唇を強引に奪われる。

 少し抵抗するように身をよじるけれど、首を撫でられて手を掴まれたら、それもやめてしまう。元から抵抗なんてしなくても良かったような気がして。

 けれど何故って気持ちは強くて、同時に安心とか、嬉しさとか、安堵感とか、そういうのも心に混ざってぐちゃぐちゃになって、また涙があふれそうになる。


「……嫌だった?」


 また泣き始めた私を見て、イニアが離れていく。

 思わず手を伸ばしそうになるけれど、手は鉛のように重くて全く動かない。

 喉が痛い。泣きすぎて声も出ない。だから首を振る。首を横に振る。イニアが私の隣に来てくれて嫌だったことなんて一度もない。ただ私が怖がりだから、私が弱いから、私がイニアを傷つけるから、離れたかった。


「よかった……でも嫌って言ってもやめないから……」

「……ぅ……ん……」


 そう言って、イニアは私の髪を加えて食べる。絡ませた指を動かして、私の手の甲を撫でる。求められてる。それがわかる。イニアに強引に求められてる。

 でも……きっと私が本当に嫌って言えば、イニアはやめてくれる。イニアは優しいから。


「ぁ……ぅ……!」


 イニアに求められてるって実感が、掠れた喉を震わせて、自分のものとは思えないほど甘い声が漏れる。それに余計気を良くしたのか、イニアが足も絡ませてくる。

 いつのまにか右手は離されていて、私の身体を優しく撫でていた。ほとんど凹凸のない身体を滑るように撫でられる。服の上からでもイニアの手の感触を全身で感じる。その挙動ひとつひとつが、私の思考をどろどろに溶かしていく。


「かわいい……メドリ……好き……」

「ぅぇ……ぁぅ…………」


 声が出ない。喉が枯れてるから。ううん。それ以上に思考がそこまで纏まってない。それにもう言うこともない。言えることもない。

 きっとイニアは気付いてた。最初から気付いてた。私がどうしたいか。本当はどうして欲しくて、どうなって欲しいか。私のぐちゃぐちゃな思考を包んで、1番強いこの気持ちを抱きしめてくれた。


「一緒にいるから……離れないから……」

「……わぁし……こ、こに、いても……いいの……? イニアと……一緒に……」

「……うん。いていいよ。一緒にいていいよ。一緒にいて欲しい。私と一緒にいて」


 掠れた音が私の心の言葉を紡ぐ。

 結局私はイニアと一緒にいたかった。イニアを傷つけることになったとしても、一緒にいたかった。一緒にいて欲しいって……一緒にいていいよって言って欲しかった。

 イニアはきっとそこまでわかってた。だから私が求めていた言葉を、私すら知らなかった私の求めていた言葉を言ってくれる。


「ぃにぁ……! イニア、イニア……! イニア……!」

「もう絶対離れないから……」

「ぅん……! ん……」


 またキスをする。された。いや、私からしたのかもしれない。わからない。ただ吸い込まれるように繋がって、息を交換する。

 視線が交差する。涙でぼやけた視界でも、イニアの熱い視線が、私を求める視線がかんじられて、思考がまた溶けていく。


 私の思考はもう融解しきって、全部溶け出して、混ざり合って、一つもまともな思考にはなってない。ただイニアに求められたい、一緒にいたい、いても許されたい、そんな価値が私になくても一緒にいて欲しい。


 もしかしたら他の人は、世界は私を許してくれないかもしれない。綺麗なイニアを傷つけた私を許さないかもしれない。でもそれでもいい。きっといい……イニアが私を許してくれるから、きっといい……私が私を許さなくても、イニアが私を許してくれるから。


 イニアが私を許して、求めてくれるから。全部いい。全部これで、これがいい。イニアはきっとどんな私でも許してくれる。どんな私でも好きでいてくれる。どんな悪くて醜くて汚い私でも、許して好きでいてくれる。求めてくれる。頭を撫でてくれる。触れてくれる。


 だから私も触れていい。

 どんなことでも許されるなら、私はイニアの心に触れたい。心と触れ合いたい。それが私の汚い心とイニアの綺麗な心が混ざり合うことでも。イニアの綺麗な心を汚してしまうことでも、イニアに触れたい。


「ぁ……ぅ……ん……す、き……」

「わた、しも……すき……すきだよ……」


 優しく深いキスの合間に好きを囁く合う。

 その度にどちらのものかもわからなくなった唾液が口から漏れ出て、少し服を濡らす。口の中は舌が絡み合って、唾液塗れで、ぐちょぐちょと音を鳴らす。

 その音が繋がってるってことを言ってくれてるようで、さらに嬉しくなって、イニアが欲しくなってまた舌を絡める。


 舌が当たって、お互いの体温を感じる度に、どんどん快楽が高まって余計何も考えられなくなっていく。いつもの頭を絞られる感覚で思考が止まるのとは違う。優しすぎて、暖かくて、安心できるから、思考が止まる。止まっていいって思える。

 もっとこの感覚に、この思考を味わいたい。もっとここにいたい。だから思考を留める。滞留した甘い思考が絡まってる気がする。イニアの思考と絡まってる気がする。


 もっと絡まりたい。

 イニアを離さないようにしたい。求めたい。支配したい。支配しても許されるんだから……イニアを私のものにしたい。イニアならきっと許してくれる。


「ぁ……!」


 罪が許されたおかげで軽くなった手でイニアの耳を軽く掴む。そのまま少しづつ力を加える。

 イニアが少し驚いたように声を漏らす。けれどそれはキスの隙間から漏れ出た小さな声で、私を止めるほどじゃない。それにその小さな声は弱々しくて、可愛くて、まるで誘ってるみたいだった。


「んぁ……」


 耳を丸めたり撫でたりして遊びながら、少しずつ魔力を動かして、イニアの魔力に触れる。魔力に触れるたびに、イニアの身体が少しピクッと動く。顔も真っ赤になって、たださえとろけていた顔がさらに柔らかくなっていく。

 そのまま耳の円周を沿って、少しずつ指を回す。回しながら、穴に近づいていく。凸凹とした耳は見えないけれど、その感触だけで形がわかる。柔らかくて、触ってて気持ちいい。


 イニアも気持ち良くなってくれてる。それを痙攣するように震える身体が、激しくなるキスが教えてくれる。私の身体を弄っていたイニアの手はもう力が入らなくなったのか、だらんと垂れていた。


 それを見て心の中で少し笑う。

 そんなに弱々しかったら私を離しちゃうかもしれないのに。私が逃げ出したらどうするつもりなの。あんなに一緒にいたいから一緒にいるって断言してくれたのに。しっかり掴んでて欲しい。

 でも、きっともう大丈夫。イニアの力が抜けたって、私が力を込めるから。2人で求め合って、繋がりあって、一緒にいるんだから。


 ……好きだよ……好き……イニア。好きだよ。大好き。一緒にいたい。一緒にいたいよ。私は悪くて酷くて醜くて汚い、何者にもなれない人だけれど……こんな私でもいいよね。いいって言ってくれたよね。一緒に落ちてくれるよね。

 きっと……私は空へは行けない。それどころか今にも深い穴に落ちていきそう。だからイニアは私といちゃいけないって思ってたのに……今はイニアを引き摺り込みたくて仕方がない。


 イニアが私の心を暴いて、私を許して、一緒に落ちていってくれるって言ってくれたから。地下のその下はどんな場所かな。苦痛に塗れた場所かな。絶望が蔓延る場所かな。

 でもきっと……どんな場所でも幸せで、満たされていられる。イニアが隣にいてくれるから。私が一緒にいることを望めるから。イニアもそれに応えてくれてるし、自ら私に呑まれてくれる。それならきっと、私はどこでも満たされていられる。


 イニアと一緒ならどんな場所だって……私の居場所になる。イニアが私の居場所になってくれる。

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