第74話 おちてく
「っ……は……」
イニアの唇が離れていく。私の口を塞いでた唇が離れて、唾液が糸を引く。深く息を吐いて、絡まれていた舌が見える。
「な、んで……」
思わず疑問が漏れる。
なんで……私を嫌いになったのに、離れないの。なんでまだ私を求めてるの。私が悪いってわかったでしょ……? 私が、酷い人だって……矛盾だらけで、自分勝手で、イニアと一緒にいて良い人じゃないって、わかったよね……?
それなのに……なんで。
なんで、なんでまだ、私を、好き、なの……
「好きだよ。メドリ……大好きだよ」
「……っ!」
イニアの言葉が私の身体を心を震わせる。
私の目を見つめて言ってくれるその言葉が嘘なわけがなくて。でも、疑わずにいられない。
それでも喜びが心を満たしていく。喜んじゃだめなのに……これ以上イニアを好きになっちゃだめなのに……私の心は留まってくれない。
「だめ……! だ、だって、わ、私……」
「私を傷つけるから? 私を引き留めてるから?」
確認するように問うイニアの言葉に首を縦に振る。
「それがどうしてだめなの? 私はそれでも良いんだよ? メドリと一緒にいれるなら……」
「だめだよ……だって、だって私」
頭が絞られて、涙で熱くなった思考はうまく動かない。どうしても私の心をうまく言葉にできない。それでもなんとかして言葉を紡ぐ。
「イニアに傷ついて欲しくないよ……! イニアの可能性を奪いたくない……! わ、私が、イニアの翼を折っちゃうよ……飛べなくなっちゃう……ううん。も、もうそうしちゃってる……私、イニアを傷つけて、ここに縛りつけてるよ……だ、だから……私はそんな悪い人だから……一緒にいちゃ、だめだよ……」
一気に言葉を吐く。
ついに言ってしまった。私が酷い人だって。
言って良かったのかわからない。けれどつい言ってしまった。言わずにはいられなかった。
イニアのためじゃない。私自身が苦しいから、私自身のために言ってしまった。本当に……いつまで経っても変わらない。
「メドリ……悪い人なんだ」
「ぅ、うん……こんなことを言っちゃうのも、イニアを信じれてないからなんだよ? 私はずるくて酷くて自己中で……イニアの……イニアは私を好きって言ってくれるけど……だめだよ……私なんかを好きなっちゃだめ……私なんかと一緒にいちゃだめ……私みたいな、人を信じれなくて、傷つけてばかりで……」
一度決壊した心は止まることなく溢れ出す。そんなことしたらイニアに嫌われるのに……ううん、嫌われて良いんだった……嫌われないと、いけないんだった。でも……でも、やだぁ……やだよぉ……どうしたらいいの……どうしたら……どうしたいの……?
わからない。わからないよ……私、わからないよ。どうなって欲しいのかわからない。自分のことなのにわからないよ……自分ことなんて、自分のことだからわからないよ……
「悪い人、なんだね」
イニアは確かめるように呟く。
私はそれに無言で頷くことしかできない。
俯いて、イニアの顔が見れない。
「じゃあ、私も悪い人だよ」
「…………ぇ?」
ぐちゃぐちゃに混ざり合って何色かわからなくなった思考はイニアの言葉で無色になって消えていく。思考が空っぽになって、小さな疑問の音だけが口から溢れる。
イニアは微笑みながら、私と額をくっつける。
息が耳にかかって、イニアの言葉が直接頭に入ってくる気がする。
「私も悪い人だよ。私だってメドリのことを縛りつけてるもの」
「そんなこと……」
「あるよ。私は病気で動けないもの。メドリがいてくれないと、動けないよ。そう言って優しいメドリが一緒にいてくれるように縛っちゃったんだよ……同じだよ」
「ち、ちがっ……わたし、私はだって……」
「ううん。同じ」
とっさに否定しようとするけれど、イニアの挟んだ言葉が私の口を噤ませる。
「同じなの。私は……メドリと一緒にいたいから……一緒にいたくて、いたくてたまらなくて、私……メドリにお願いして、求めて……私が病気っていうのを脅しに使って、ずるいやり方で、一緒にいてって言ったんだよ?」
そんな……そんなんじゃ……ない。
だって私が……私がだって……
イニアが私と同じわけない。イニアは私よりずっとすごくて、綺麗で、かっこよくて……
「うん……私のせいなんだよ。だってね? もし私がいなかったら、メドリはまだ学校にも行ってたよね。友達もたくさんいたよね。こんな風に危ない目にも遭わなかった。全部……私のせい」
そんなことない……ないよ。
けどその気持ちは涙になって、頬を伝うだけ。
イニアがいなかったら……? いなかったら、私は……次第に少なくなっていく友達に苦しくなって、誰にも求められない、どこにも居場所がないまま死んでいくだけだった。
でも……そんな私にイニアは……
「私のせいだけど……でも、でもね。メドリは私と一緒にいたいって言ってくれたよね……私の好きって気持ちに答えてくれた……それに甘えてたよ。私はずるいからそれに甘えて……どう? 悪い人でしょ?」
「そ、んな……こ、と……ない」
呼吸をするのが辛い。泣いてるせいってのはわかってるのに、涙は止まらない。そんな状態だからまともに話せない。嗚咽だらけで、途切れ途切れの言葉を紡いで首を振る。
額をくっつけたままだから、イニアの顔も合わせて動いて青と紫の髪が絡まる。
「ううん。そんなことあるよ。私はメドリが思ってくれるような人じゃないよ。でも……それでも私はメドリと一緒にいたい。一緒にいて欲しい。メドリのこと縛りつけてるかもしれないし……もうメドリは私のこと嫌いになったかもしれないけど、私はメドリのこと好きだから。大好きだから一緒にいたい」
「私も……私だって……」
本当は私も。
「一緒に、いたい……いたいよ……! でも、だって……!」
「良くないことだっていうの?」
「ぅ……うん……!」
良いとは思えない。
私なんかのせいで、イニアの翼を傷つけるわけにはいかない。私みたいななんの価値もないゴミにすらなれない私なんかのせいで。
「じゃあ、もう私も我慢しない……ごめんねメドリ。でもありがと。心の内を話してくれて」
「ぇ……?」
「もうメドリのことを1番に考えない。私の心のままにする」
思考が凍結したように止まって冷える。
やっぱりイニアは我慢してたんだ。私なんかと一緒にいるのは嫌だったんだ。優しくしてくれてただけなんだ。そう理解すると同時に諦めと後悔が襲ってきて、身体が震える。
これでいい……こうしないとって望んだのは私のはずなのに、吐き気がしてきて視界は眩み、景色は歪んでる。イニアが離れていく。飛び立って、空に戻っていく。いつかはこうなるって、こうしないといけないってわかってた。
わかってたはずなのに……心は拒絶を起こして仕方がない。今にもまたイニアに抱きついて、引き止めたい。一緒にいてって好きでいてって言いたい。けど言えない。もう言えない。
「私のしたいようにするから……ずっとメドリと一緒にいる」
「…………ぁ、ぇぅ」
イニアの言葉に口から音が漏れる。
何を言ってるのかわからなかった。理解ができなかった。イニアは私と一緒にいて我慢してたんじゃないの? それで、だから、どこかに行くんじゃないの?
「どこにでも行けるならメドリの隣に行く。メドリが嫌がっても、メドリが私を憎んでも、メドリの隣にいる。メドリのものになる。メドリを縛って一緒にいないといけないようにする。それが私の好きにするってことだから」
「な、なにいっ……」
私の疑問の言葉は最後まで紡がれない。
また私の口をイニアが塞ぐから。訳が分からなくて、どういうことか分からなくて、言葉を使いたくて、抵抗する。けれどイニアは私を離してくれない。
髪を撫でて、首をなぞり、肩に沿って腕を伝い、手を握られる。指の間に指が入ってくる。私を離さないって言われてるようだった。私から離れないって。
もう私が何を言っても無駄なんだ。イニアはもう私のものじゃなくなって、イニアは自分の意思で私のものになってるんだ。だからもう、私の言うことなんか聞いてくれない。私のお願いも何もかも聞いてくれない。
だから、だけど、イニアは落ちていく私の隣にいる。翼を動かして、私の隣にずっといる。そのまま私は、私達は落ちていく。
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