第66話 きえてく

「ふ……ふははは! これが研究成果か!」

「どうです!? 素晴らしいでしょう!?」


 静寂を破ったのは、ボージアとボスと呼ばれていた男の笑い声だった。


「まだ未完成なんですがね。あとはそいつの魔法情報を引き出せれば……それをあいつらが邪魔して……!」

「そうかそうか……じゃあ早く本拠地に行くぞ。ゴミ掃除をしてからな」


 男の視線が私を、イニアを、イチちゃんを捉える。

 急いで魔力を練る。でも、私の中の魔力はもうない。強烈な吐き気と、全身の震え、攻撃された時の痛み。その全てが身体を蝕んでるのがわかる。かろうじて目だけ開けれてる。


 薄れゆく視界の中で、イニアが魔力を練るのを感じる。イニアの魔力が身体強化魔法を起動しようと動くけれど、それが魔法になることはない。術式がそのまま霧散してしまう。


「な……んで……」


 イニアの魔力は少ないながらも、身体強化魔法を使う分ぐらいはあるはずなのに。魔法が起動しない。


 感覚を強めれば、周囲に魔法領域が広がってるのがわかる。薄く、繊細な術式で組まれた領域。

 私みたいに構築中の魔法に魔力をぶつけることで、魔法を打ち消してるのかと思ったけれど、そうじゃない。さっきのそんなんじゃなかった。


 身体強化魔法は体内で完結する術式。外部に魔力を出す必要はなくて、その術式に媒介なしで干渉するのはほぼ不可能。でも……さっきのは……どこかで……


「ぅ、うぁあうぁぁあ!!」

「ナナ!」


 思考が纏まりそうになった時、ナナちゃんの叫びが広い部屋の中をこだまする。苦しさと痛みが込められた叫びが。


 聞いてられない。聞きたくない。ナナちゃんも綺麗な心を持ってるんだから、幸せになって欲しい。助けたい。けれど、私にはもう魔力はない。できることはない。この叫びをただ聞くことしかできない。


「ナナ! 何したの! やめてよ!」

「ぁ? うるせぇな。このガキも……黙れよ!」

「ぁあああ! ぶぇぅあ、ぁはぅ……ぅ……ぁ……」


 叫び声が途切れる。

 喉に男の足があるのがわかる。ナナちゃんはさらに苦しそうに顔を歪めていく。抵抗しようにも、腕と足は拘束されたままで、力を入れても少しずつ自分を痛めつけていくだけ。


「その辺にしといてください。壊れちまう」

「……そうだな。先にあっちのガキからにするか……でもいいのか? あれも実験動物だろ?」

「あー、あれは特化魔法にした時の影響を見る意味が強かっただけですし、いいですよ。この7番さえいれば」


 7番……ここまでくればわかる。ナナちゃんのことを指してるんだ。ナナちゃん……

 

 目を凝らす。ナナちゃんの頭に小さく何かがついてるのが見える。赤く光ってる。さらに感覚を凝らせば、それが男の持つ小さな箱型魔導機と繋がってるのがわかる。


 やっぱり……さっきの現象は、巨木の魔物と戦ったときに、ナナちゃんが魔法を消した時と同じ魔力の流れ。この薄い魔法領域は、ナナちゃんの魔法演算領域を無理やり拡大して、起動してるんだ。

 その苦痛は想像もしたくもない。ナナちゃんの魔法は明らかに一点で発動するタイプの魔法。そんな重たい魔法を領域にして、全体発動したら演算領域がおかしくなる。


「ナナちゃん!」

「ぁ……ぇ」


 イニアが走り出す。身体強化魔法もなしで。血を垂らしながら。静止しようとした私の声は音にはならず、空気だけが口から流れる。


「ん? お前からがいいのか?」


 男の中の魔力が高まる。その魔力は魔法となって現れる。

 魔力弾が手の中で、発射態勢に入る。さっき私に放った凄まじい魔力密度の魔力弾。


 さっきイニアはあれを弾いていたけれど、今のイニアは身体強化魔法が使えない。それにもし魔法が使えても、あれを弾くぐらいの強さの身体強化魔法を使うのには魔力が足らない。

 きっと躱すこともできない。イニアが死んでしまう。助けたいのに。私には何もできない。


「一つ目」


 魔力弾が発射される。

 その瞬間、魔力弾が魔力爆発を起こし、爆音が辺りを包む。明らかに何者かの干渉を受けていた。


「なんだ……?」


 その部屋にいた全員が飛んできた方向に視線を向ける。


「間に合ったね」


 そこには女の子が立っていた。

 見知ったってほどじゃないけれど、何度か見た姿。ゲバニルで魔導機の使い方を訓練したときに見た。イニアと一緒に何度か挑んで勝てたことはない人。


 メムナさん。

 私達より大きな身体とはいえ、まだ少女のように見える身体の持ち主。でも最初期からゲバニルにいて、たくさんの魔法を使えるすごい人。

 でも……それでも、この魔法領域がある限り魔法は使えない。


「これ以上ゴミが増えるのかよ……しゃあねぇな」

「ぅぁ……!」


 ナナちゃんがもう声も枯れ始めたのか、声にならない叫びを上げ始める。

 この魔法領域の攻略法はさっきみたいに範囲外から魔法攻撃をするしかない。なのにメムナさんはどんどん近づいていってしまう。

 もしかして気付いてないの……? いや、この魔法領域の効果がわからないのかな……それはまずい。


「だめ……!」


 イニアも同じ思考に至ったのか、メムナさんに声をかける。けれど、メムナさんの歩みは止まらない。


「大丈夫。あとは任せて」


 そういうとイニアを守るように、ボージアと男の前に立つ。

 お互いの魔力が少しずつ高まっていく。そのたびに、ナナちゃんの叫び声もどんどん悲痛なものになっていく。


「……悪趣味だね」

「はっ……発展のためだろ。第一、これは俺たちが作ったんだぞ? どう使おうが勝手だろが」

「相容れないね」

「知るかよ」


 男の魔法が起動する。

 魔力弾が発射され、魔法領域が完全に起動する。この状態になったらどうしようもない。どんな優れた魔法も発動しなければ意味がない。


 メムナさんは後ろのイニアごと魔力弾に呑まれて、衝撃で吹き飛んで死んじゃう。

 その光景を幻視した。けれど、そうはならない。


「シア……お願い」


 メムナさんが何かを呟くと、場の空気が変わる。

 冷たい。寒い。大気がおかしい。待機中の魔力が少なくなってる。何が……?


「ぁぇ……」


 思わず音が漏れる。

 そこには黒い霧があった。メムナさんを中心に広がって、周囲を包む。


「ぁああ……ぅ……ぇ」


 ナナちゃんの叫び声がやむ。

 黒い霧で覆われて、何も見えなくなっていく。どんどん周囲から魔力が消えていくのがわかる。まるであの霧が魔力を吸い込むように。


「は? 接続が切れた? てめぇ、何をした!」

「私は何も。シアのおかげだよ。その魔導機の効果が何であれ、シアに触れた時点で意味がないよ。なんでも魔力に変換できるんだから」


 メムナさんと男の話す声がする。けれど、痛みで鈍くなった感覚はそれをうまく捉えられない。目も開けてられない。意識も弱くなってきている。


 代わりに魔力に感覚を集中させる。展開されていた魔法領域はもうなくなっていた。代わりに黒い霧が悠々と存在してる。実験のためと思われる器具や測定器が一瞬、魔力となって消えていく。いや……きっとあの霧に取り込まれてる。


 私はこれを知ってる。この黒い霧を。

 昔見た。紙の、教科書の中で。

 旧マドル国で突如発生した黒い霧。全てを飲み込んだと言われてる歴史上最大級の災害。

 

「どういうことだよ……! 何でこれがここに……!」

「ぼ、ボスどうすれば!」

「落ち着いて? シアは優しいから触れたぐらいじゃ何ともないよ。え? ……ありがと。でも大丈夫。私にも背負わせて?」

「何をごちゃごちゃと」


 大きな魔力が消える。

 さっき私達に魔力弾を放った、強大な魔力が消える。


「ひっいい! 許して! 許してください! 命令されただけで……! 私はわるく」


 急に静かになった気がした。

 全てが終わったような気がした。私の望む結果かはわからないけれど、もう私にできることはない。

 そう思うとさらに意識が弱くなっていく。


 弱りゆく思考の中で思ったのはイニアのことだった。イニアは無事かな。イニアの怪我は? あんな無茶をして。大丈夫……大丈夫だよね……?


 そんな思考を最後に私の意識が消える。思考が静止していく。痛みと吐き気の混沌した感覚から逃げるように、深い闇の中へ落ちていく。

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