第67話 きらいに

 薄暗い世界の片隅でうずくまっている。上も前も見れなくて、下の穴だけ見ていた。いつか落ちる深い底を見ている。暗闇の中には何もなくて、落ちればどうすることもできない。落ちないためにどうすればいいかなんて知ってる。


 ただ歩けばいい。ただ立って、動き出せばいい。通路に沿って走ればいい。全身に力を込めて、動き出せばいい。足を動かして一歩を踏み出せばいい。この場所から離れれば、広がる穴からは逃れられる。


 それはわかってる。わかってるのに、手足に力が入らない。動けない。歩くのが怖い。一歩を踏み出すのが怖い。通路に落とし穴があるんじゃないかって怯えてるうちに、通路は見えなくなってどこにも見えなくなっていた。

 それでもここいても状況が良くなることはないから、すぐにでも、当てずっぽうでも、そこが通路って信じて歩き出さなきゃいけない。


 けれど私の足は動かない。いや……足なんて最初からなかったのかもしれない。地べたを這う私には最初から動くなんて選択肢なんてなかったのかもしれない。

 結局それも歩こうとしなくちゃわからないことだけれど、ともかく私の全身は恐怖で動けなくなってしまった。もう諦めて、底に落ちるまで蹲っていることにした。


 そうして拗ねたようにいじけていると、はるか先の上空、綺麗な空から誰かが落ちてきた。翼を怪我してしまったようで、女の子が落ちてきた。たまたま私の隣に落ちてきた。


 どうしよう。

 空にいたような綺麗な心に触れていいのかな……? 私のような落ちていくだけの、暗闇に包まれた醜い心が触れていいのかな。


 そう悩んでるうちに、その子は泣き出してしまう。寂しい、痛い、苦しい、寒いって泣いている。それが見ていられなくて、恐る恐る手を伸ばして、頭を撫でる。すると、不思議なことに泣き止んでくれた。


 ほっとすると同時に、何故だか無性にいけないことをしている気がしてくる。けれどそんな気がかりはすぐに思考の端に追いやられる。彼女が私に抱きついてきたから。

 甘えるように頬をすり寄せてくれる。それが可愛くて、優しく頭を撫でてあげる。するとさらに喜ぶものだから、私まで嬉しくなってくる。


 彼女は私に甘えて、私はそれに答える。

 その時間は私の思考から恐怖を追い出してくれて、本当に心地が良い。ずっとこの時が続けばいいのに……彼女もそう思ってくれたのか、ずっと一緒にいようよって誓うように、手を重ねる。

 でも、きっと、最初からわかってた。


 彼女には翼があって、私にはない。

 大空を飛ぶ彼女と、一歩も動けない私

 一瞬にいれるわけがなかった。


 でも……一緒にいたいのと同じぐらい、私は彼女に空へと行って欲しい。ここに未来はない。ただ落ちていくだけのこの場所にいちゃいけない。彼女は綺麗な心に大きな翼があるんだから、未来へと自由に飛んでいったほうがいい。私と一緒に落ちていくより何倍も。

 だから……これでいい……いいよ。


 翼の傷が癒え始めると、翼を広げ始めた。

 順調に空へと向かう準備をしていく。少しずつ身体を浮かせられるようになっていく。それをただ眺めているだけの私。彼女は私の手を握って引っ張ってくれるけれど、私の身体が浮くことはない。


 力なく笑う。

 早く行って。早く飛んで。

 そう思っていたのに、彼女が翼を畳んで、隣にまた降り立った時、そんな気持ちは消えてしまう。


 彼女を抱きしめる。

 どこかに行って欲しくない。その思いが溢れ出て、私の心を染めていく。それが彼女を縛り付けるってわかってるのに。


 どこにいけない私に誰かを求める資格はないのに。彼女の優しさに甘えてしまう。私はこの場所から飛び立てない。彼女は優しいから、私が求める限り一緒にいてくれる。

 だから……きっと拒絶するべきなんだとは思う。拒絶しないと……彼女まで深い底に……ううん。もっと酷いことになってしまうのに。

 

 なのに私は彼女の手を離せない。

 だから私も飛ぶしかない。一緒にいながら、彼女の心を保つにはそれしかない。

 歩いたこともないのに飛ぶなんてできるの? 翼もないのに……今までなにかを為したことなんてなかったのに。


 翼を準備する。借り物の模造品。

 その翼は思ったより立派で意外といけそうな気がしてくる。彼女と少し笑い合って、意を決して翼を羽ばたかせる。


 身体が少し浮かぶ。少しずつ浮かんで、地面が小さくなっていく。そして、落ちていく。

 翼は悪くなかった。けれど、ずっと動いてこなかった私だから。私は私のせいで落ちていく。


 そんな私を助けたのは彼女だった。

 彼女は必死に私を助けてくれた。力一杯翼をはためかせて。私はもういいって伝えるけれど、彼女はそれを無視して無茶をする。無茶をして、また怪我をしてしまう。

 翼が折れて、血が流れて、彼女が痛みで顔を歪める。けれど、何で……何でそんなに満足そうな顔をしているの……?

 だって私のせいで。私の、私が。




「っはぁ……はぁ……」


 目を開けると、そこは白い部屋だった。寝床の上で身体を起こして、少しを息を整える。

 病室のような場所で、腕には魔力を供給するための管が刺されている。


「イニア……?」


 隣を見ればイニアが寝ている。

 それを見ていると少しずつ記憶が戻ってくる。

 イニアがたくさん無茶して、私達を助けてくれたこと……たくさん傷つきながら、それでも動き続けていたことを。


「イニア……」


 怪我もなさそうだし……寝息も安定している。魔力量もほとんど正常域に戻ってるし……ひとまず大丈夫そうに見える。

 思わず触れようとする手を引っ込める。なんだか触れてはいけない気がして。


 それと同時にさっきの薄暗い世界のことを思い出す。


「なに……?」


 あれは……? 夢……だよね。

 でも……きっと、あれは私の……


 今も目を閉じれば最後の光景を思い出す。

 血の中で顔を歪めながら、私に笑いかけるイニアを。


 あれはきっと、私の話。

 私の今までと罪。イニアを、綺麗な心のイニアを、私と同じ場所に縛り付けて、挙句傷つけた罪。でもイニアは優しいから、それを責めない……それどころか喜んでさえいる。


 もし、責めてくれたら……素直に拒絶できたのに。素直に嫌いになれたのに。なんで……ずっと好きなの……? なんで、こんな私を……嫌いにならないの?

 イニア……イニアをこれ以上傷つけたくないよ……でも、一緒にいたら傷つけちゃう……でもでも、私は弱いから、好きな人から離れるなんて無理だよ……


 2つの心が衝突する。

 どちらもイニアを好きな心。


 イニアが好きだから、一緒にいたいって思う心。私を溺れさせて、イニアを縛り付ける心。私の後悔を生み出して、イニアの傷を生み出す心。


 イニアが好きだから、私と一緒にいちゃいけないって思う心。イニアを守りたいって心。私はイニアを傷つけるから、離れないとって思う心。


 その2つが混ざり合って、どんどん分からなくなっていく。胸が苦しい。どうすればいいかわからない。

 たまらず胸を抑える。けれどなにも変わらない。怪我の痛みはもうないし、魔力欠乏症もほぼ完治してる。なのに、目が開けられないぐらい苦しい。


 どうしたらいいの……?

 ねぇ……私どうしたらいいの……?

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