第65話 どうして

 目の前に魔法が出現した時、あんまり死ぬと言う実感はなかった。突如として現れた男の手の中で、具現していく魔力弾を眺めながら、私はなんとなく当たったら死んでしまうとは思っていた。


 本能は私を生かそうと身体を動かそうとするけれど、理性ではわかっていた。痛みで軋み、魔力欠乏症も近いこの身体では攻撃を躱せない。


 それにここで死んでしまっても構わないかなと、ぼやけ始める思考の中で思う。ここで死んでしまっても、仕方ない。私のせいじゃないから。私のせいじゃないなら、きっと許される。


 良い人生だったかはわからない。ずっと嫌われるのに怯えて、誰かを傷つけて、何も為せない人生だったけれど……イニアとずっと一緒にいたこの1年は……少しはよかったような気もする。イニアが恐怖を忘れさせてくれたのも一度や二度じゃない。


 イニアは私が死んじゃったら、悲しんでくれるのかな。悲しんでほしいけど……でも……悲しまないといいな。私のなんかと関わったことは忘れて、幸せになって欲しい。イニアは綺麗な心を持ってるんだから。私の醜い歪みきった心とは違う。


 綺麗で優しくて美しくてかっこよくて強くて……私を好きって言ってくれる……そんなイニアとも、もう会えない。でも……うん。死んでしまえば嫌いになっても、その光景を私は見なくて済む。

 けど……やっぱり、やっぱり、もう少し、もっと、ずっと一緒にいたかったな……


 そんなことを迫りくる魔力弾を見ながら見ていた。魔力弾は誰だって作れるのような初心者向けの魔法だけれど、見ただけでこの魔力弾が通常の数倍の魔力密度ということがわかる。

 着弾すれば、魔力は力に、力は衝撃に変わり、衝撃は私の身体をぐちゃぐちゃに破壊し尽くすと思う。


 目を閉じる。現実から目を背けるように。意外と……意外にも助かったり。そんなことはないのに、よくわからない期待をしたりして。

 私はこの状況になっても、現実を受け入れられない。私はいつだって、周囲の現実を受け入れられない。見れてない。


 魔力弾が空気を割いて、鈍い音を立てる。今にも私は死ぬ。死ぬ……はずなんだけれど……


 痛みがこない。恐る恐る目を開ける。

 そこにはもう一つ影が増えていた。

 私の前に脚と、影が見える。少しの青髪も。

 それだけでわかる。それだけあればわかる。


「イニア……」


 イニアが立っていた。

 薄らと立ち昇る魔力光と共に、私に魔力弾を放った男と対峙している。


 感覚を集中させて、イニアの魔力を確かめる。

 一時期よりは遥かに回復したけれど、普段に比べれば、まだ少ない。それにさっきの魔力弾を弾くために、身体強化魔法をかなり無理して使ってるはず。


 なのに……なのに、なんで。


「メドリ、ごめん」


 どうして。


「でも……もう大丈夫だよ」


 どうして、強がるの……?

 手足も震えてるし、顔色も悪い。それに呼吸だって弱い。魔力だって……

 一緒に過ごしてきた私が気づかないわけない……なのに、なのにどうして……


 やっぱり私は守られるだけの……イニアにとって重りでしかないんだね……私もイニアを守りたいのに。本当は一緒に進んでいきたいのに。

 ……私がうずくまってるから。私が起き上がれないから。イニアは飛び立っていってしまう。そしてどんどん先に行って、私から離れていってしまう。


「あ……? だれだてめぇ……」

「だめっ……!」


 私の静止の声も虚しく、イニアの姿が掻き消える。

 衝撃が空気を伝い、音となって未だ動けない私の身体に振動を伝える。ときおり魔法が眩しくひかる。


「っ……はぁ……はぁ……ぅ、あ……!」


 けれどそれもほんの数秒で終わる。

 またイニアが私の前に立っていた。弱い呼吸を荒くして。震える足を地面について。右手は力なくうなだれていて、血も垂らしている。


 その血が私にイニアの惨状を思い出させる。

 さっき通路でイニアが血塗れになっていた情景を。


「いにぁ……!」


 全身に力を込めて、イニアの元へ動こうとしても、私の身体はまだ痛みと衝撃で動けない。そうしているうちに、イニアはまた立ち上がる。


「お、まだやるか……面倒だな」

「ボス!」

「ぁあ? なんだ?」

「これ……どうですか? 研究成果です」


 いつのまにかボージアの近くに立っていた、ボスと呼ばれる男はボージアから小さな箱を受け取る。少し感覚を凝らせば、術式の気配がして、それが魔導機であることを理解する。


「あぁ、特化魔法実験の……試すか。どこまででもできるのか?」

「へへ、そうです。7番の頭が焼き切れるまでですけどね」


 言葉の意味はほとんどわからないけれど、2人の下卑た笑いから、ろくでもないことが起きるのはわかる。特に7番って言葉。きっとナナちゃんのこと……ナナちゃんに何かするつもりなんだ。


「ナナ……!」


 イチちゃんもそれを察したのか、遠くの地面から起き上がろうとしてるのが見える。さらに魔力が動くのがわかる。


「っはぁ……!」


 私の中のさらに奥、イニアの魔力も動き始める。

 その魔力は、身体強化魔法の術式の形をとる。イニアも動こうとしてる。でも……だめだよ。イニアはもう動いちゃだめだよ。これ以上無茶したら、私の前からだけじゃなくて、イニア自身がいなくなっちゃう。


 でもいくら私が止めても、イニアは聞いてくれない。地面から顔を上げれない私の声は、空を飛ぶイニアには届かない。でも、イニアはこのままじゃ、翼が破れて落ちて、深い底へと沈んでいってしまう。


 イニアの姿が消える。

 だめなのに。


 それはだめ……イニアは、イニアは生きて、いろんなことを為せる人なんだから。イニアはいろんな人を助けて、いろんな人を幸せにして、いろんな人に与えて、いろんなことをするんだから。イニアは幸せになるんだから。

 まだ飛んでいないとだめ。まだ飛んでいないと……飛んで、私以外の……もっと別の、自由と幸せの地に着地するんだから。


「……ぅ」


 痛みを堪えて、なけなしの魔力を振り絞って魔法領域を展開する。

 私がイニアを助けるんだ。私を好きって言ってくれた人。そんなイニアがいなくなるなんて、耐えられない。私より、私なんかを好きって言ってくれる人の方が、ずっともっと大切だから。


 私の感覚はもう魔力切れを告げて、吐き気がして、感覚があやふやになって、自分がどこにいるかわからなくなってくる。けれど、それでも魔力の捻出を止めない。魔法領域の中に全感覚を集中させる。


 あの魔導機がどういう効果を持つのかは知らないけれど、私が魔法を放てるのはあと一回。きっと絞り出した魔力はそれで切れる。

 イニアが攻撃を受ける前に、あの2人を倒す。


 私の魔法領域内で、私の今の全魔力を込めた電撃が術式に沿って具現化していく。

 イニアは走って、イチちゃんは魔法を行使する。


「ぇ……」


 それは誰の声だったかはわからない。

 けれど、困惑の声が炎と暗闇のこの部屋の中でこだまする。


 私の魔法は魔力から、電撃に変わる前に霧散した。

 私だけじゃない。イチちゃんの魔法も。イニアの身体強化魔法も。全てが消えてしまっていた。


 静寂が包む空間の中で、小さな箱型魔導機だけが鋭く赤い光を放っていた。

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