第63話 きもちが

 騒がしい足音と話し声が少しずつ遠ざかっていく。

 いつのまにか止めていた息を大きく吐き出す。

 隠れてるのはいいけれど、問題はナナちゃんの場所がわからないこと。この場所はこの部屋だけでも複雑に入り組んでいて、しらみつぶしに探すのは流石に難しい。


「……どうしよう」


 思わず心の内が漏れてしまう。

 こうしてる間にもナナちゃんがどうなってるかわからない。急がないといけないのに……手がかりがない。


「……脅す」

「ぇ……」


 不意にイチちゃんの口から物騒な言葉が飛び出す。

 それに困惑してるうちに、イチちゃんは走り出して、魔法を起動する。


「え、だれ……あぁぃ……っ!」


 困惑する声の後に苦痛を堪える悲鳴のような声が辺りに響く。どうやらイチちゃんは1人でいる研究員っぽい人に向けて魔法を放ったらしい。幸い周辺に人はいないみたいで、声を聞き見つけて誰かが来る気配はない。 

 その人の脚が大きく切れて、血が出ている。もう回復魔法をかけないと立つのも難しそう。


「答えて。ナナはどこ」


 倒れて動けない男の近くにイチちゃんが歩いていく。

 間髪入れずに、イチちゃんはあからさまに魔力を高めて、その男に問いかける。私も魔導機を起動して、小さめの魔法領域を展開する。


「いっ……しらねぇよ! お前、こんなことして、」


 脚を抑えながら喚き始めた男の頬をかすめるように高速で石が通過する。廊下に勢い良く衝突して、甲高い音を立てる。


「へ……」

「どこ。次は頭に当てる」


 イチちゃんは淡々と問いかける。

 傍目から見ていても、その様子は恐ろしい。でも……その中に焦りが見えるのは、きっと気のせいじゃない。普段の様子を知らないとわからないぐらいの小さな焦燥だけれど。


「……もういい。別の人にする。殺そ」

「あっ、あ、あ! わかった! ナナってあれだろ? ボージアさんが持っていたあれだろ!? どうせボージアさんの研究室だって!」


 少し顔をしかめる。ナナちゃんを物みたいに言うから。

 それには気づかないイチちゃんじゃない。さらに魔力が高まっていく。


「本当だって! 向こうの方だから!」


 怒りによる魔力変化をどう解釈したのか、男はさらに情報を落とす。真偽はわからないけれど。


「そう」

「わかったか……くそっ……とりあえず見逃して」


 私は素早く魔力を練って、電撃を放ち、男の意識を刈り取る。男は一瞬びくっと震えて、主導権を失った身体は鈍い音を立てて、倒れる。


「ありがとう……私じゃ、こううまくはできないから……」


 うまくできないならどうするつもりだったのかな、とは思わない。イチちゃんの目には様々な感情が渦巻いてるけれど、今のイチちゃんならナナちゃんのためだと思えば、人を殺すぐらいきっとやってしまう。


 でも……さっき人を殺してしまった私が言えることじゃないかもしれないけれど……イチちゃんにはそんなことして欲しくない。


「……ううん。この人はここら辺に隠しておこうか」


 イチちゃんは私の言葉に素直に頷いて、魔法を起動する。男の身体が動いて、貯水機の隙間へと置かれる。

 しっかり隠したわけじゃないし、血痕とかはそのままだけれど、やらないよりマシだろうし。


 イチちゃんが再度魔法を使い、イニアを背負ってもらう。

 イニアはまだ起きる様子はない。呼吸は安定していて、服が血で染まってなければ、何もなかったみたいに見える。


 でもさっきからイニアの魔力は弱いまま。きっと魔力回復した先から、体内維持に回してるってことだとは思うんだけれど……不安は消えない。

 イニアは元々身体が強い方じゃない。病気のこともあるし、体内維持がうまく機能しなかったからどうしよう……怖い。怖いよ……イニア……早く起きてよ……


 イニアのことを考えるだけで、不安と恐怖でおかしくなりそうになる。だからかな……私の口はまた自己愛に塗れたことを言ってしまう。


「……イチちゃん。その、私達、運ぶのが難しいなら置いて行ってもいいよ」


 動き出そうとしたイチちゃんを言葉で止める。

 イチちゃんは振り向いて、理由を問うような目を向ける。それが少し責めているようにも感じて、焦ったように言葉を紡ぐ。


「いや、その、負担になってるかもって……イニアは戦えないし……その、私もイチちゃんより強くないから……」

 

 早口で言ってから、イチちゃんは別に責めてないかもって思い直す。またやってしまった。また不安になって、勝手に変なことを考えてしまった。

 私をお姉ちゃんと慕ってくれるイチちゃん達にはこんなこと言いたくなかったのに。


 でも、仕方ないって思ってる私もいる。イニアが隣にいてくれたらまだマシだったけれど、元々私はこんな人なんだから……嫌われるのが怖くて、自信がなくて……


「……大丈夫。補助してるだけでほとんど魔力は消費してないし、メドリお姉ちゃんもいてくれたほうがいいよ……イニアお姉ちゃんが心配で帰るなら、置いていくしかないけど……」

「そんなこと……しないよ。そっか……ならいいんだけど……うん。じゃあ行こっか」


 その言葉を聞いてイチちゃんが走り出す。それをまだ少し重い身体を軋ませながら動かして、追いかける。


 ……さっきの言葉も、イニアに不安をぶつけた時も、何もかも言わなくていいことだった。イチちゃんもイニアもなんて返せばわからなかったと思う。私もなんて言って欲しかったのかな。


 私は私の心がわからない。

 それがたまらなく不安になる。自分の気持ちが分からないから、人の気持ちもわからない。

 自分のことなら、表層だけはわかる。怖がってるとか、不安とか、安心とか……でも少し潜って複雑になってしまうともう分からない。


 けれどわかってることもある。

 私の行動の全ては私のためでしかない。誰かのために行動することはできない。というかしない。

 私は自分が好きな私が嫌い。自分を嫌って、自信がなくて、人を頼り続けて、自己判断が弱くて、思考はぐちゃぐちゃな私。でも……それでも私はきっと自己愛が強いから、嫌われることを怖がって、好きでいて欲しいって願ってる。


 イニア。イチちゃんとナナちゃん。パドレアさんとアマムさん。お母さんとお父さん。今までの会ってきた人達。実親。

 みんなに嫌われたくない。


 でも……イニアはやっぱり特別。他の人に嫌われても、イニアには好きでいて欲しい。イニアより長く私を嫌わないでくれて、好きでいてくれて、1番にしてくれた人はいないから。

 けれど……だからこそ、このままでいいのかわからなくなる。イニアはきっと私とずっと一緒にいるよって言ってくれるけれど……結局私が足手纏いなことは変わらない。


 どんどんわからなくなる。

 イニアのために離れた方がいいのかな……そっち方がイニアは羽ばたける? でもイニアは離れたくないって言ってくれる。私も離れたくない。でも……イニアを縛るぐらいなら……


「ナナ……!」


 イチちゃんの喜んでいるような、ほっとしたような、緊張しているような、怒ってるような声で思考の渦から現実に戻ってくる。


 最初に入った保管庫のような場所から何個か部屋を抜けた。

 奇形の怪物の入った檻のある部屋。さっきの貯水機の中身から考えるに、元は人間なのかもしれないけれど……

 妙に綺麗な部屋。拘束具付きの椅子や、たくさんの管、スイッチやガラス張りの部屋があって、実験施設なんだということを示している。どんな実験が行われるのかは、あんまり考えたくない。


 時々人もいたけれど、隠れたり、魔法で奇襲したりして、なんとか進んできた。そして今、一際広い部屋に出る。


 そこにはナナちゃんがいた。

 椅子の上で、拘束具で縛り付けられている。

 近くには少し太った男がいる。あれが多分ボージア、だっけ。ナナちゃんを拐って行ったやつだと思う。


「イチちゃん……!」

「うん……!」


 イチちゃんと目を合わせて、もう一度私は私に問う。

 ナナちゃんを助けたい?

 私はイチちゃん、ナナちゃん……そしてイニアに嫌われたくない。だから……助ける。


 助ける。

 その一心で、恐怖に呑まれそうな心を抑えて、魔力を練って魔法領域を展開した。

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