第16話 きかせて

「私はね……怖いの」


 そう切り出したのは、布団に一緒に入ってからだった。

 さっき夜道で聞いたのと同じ……


 メドリと手を握る。

 布団の中で見つめ合いながら、メドリが話す。


「さっきもいなくなるのが怖いって言ったけど……今も怖いよ。これから話すことも怖い……話したらイニアがいなくなりそうで……」

「そんなこと……」


 そんなことない。

 メドリといられないなんて、もう考えられない。


 けど、メドリは少し首を振る。

 悲しそうな表情をする。


「私は……孤児だって言ったでしょ?でも、元の親を知らないわけじゃないの。もう、ほとんど覚えてないけど……」


 メドリの目が遠くを見る。

 遠い昔の、もう届かない場所を見る。


「私の元の家族はね……きっと仲良かった……そんな気がする。けど……いつからかな。両親の仲が悪くなって、離婚したの。

 でも、まだお母さんがいた。お父さんは、いなくなったけど、お母さんがいたから、平気だった……けど」

「大丈夫……?」


 メドリの顔が青ざめてる。

 私は手を強く握る。頭を撫でる。

 私の存在を示すように。


 呼吸が荒い。静かな、暗い部屋の中でメドリの呼吸音だけがなる。


「無理しないでいいから……」

「ありがと……でも、今言わないと……私……」


 背に手を回してゆっくり撫でる。

 次第に呼吸が安定してくる。


「それで、お母さんは私のためにたくさん働いてくれてた。忙しかったんだと思う……疲れてたんだと思う……けど、私はそれをわかってなかった」


 メドリが少し自嘲気味に笑う。


「今まで通り仲良くして欲しかった。お父さんとも会いたかった。そう伝え続けた。最初は、優しく諭されたよ。でも、それでも私は分からなくて……

 そのうち、私が何を言っても何も答えてくれなくなった。当然だよね……物わかりの悪い子供だったし……


 それである日起きたら、孤児院の前にいた。私はそこで……泣いて、泣き続けて、泣き疲れた時に、おいていかれた……捨てられたってわかったの。


 この時からかな……私は怖かったの。1人でいるのが。仲の良い人が私を嫌うのが怖い……今でもそう」


 声が震えてる。

 目からは恐怖が見える。


 そんな顔をして欲しくなくて、手を握って頭を撫でる。

 紫髪に沿って、ゆっくりと。


「それで……3ヶ月ぐらいかな……それぐらいしたら、引き取り手ができたとかで、お母さんとお父さん……今の家族のところに行くことになったの。

 それから、今度はいい子にしよう……いなくなって欲しくないから、いい子にしようって考えて、なるべく心配かけないようにしてきた……つもり。


 友達を作ったのも、ダメな子って思われたくなかったし、嫌われるのが怖かったから……イニアとも、そんな気持ちだった気がする。

 でも、友達とも別の学校になって、なんだか急に人がいなくなった。連絡も取らなくなっていったし、きっと相手から見れば、私なんてそこまで大切じゃなかったんだと思う。


 けど、イニア……イニアはいた。イニアの家に行けば、イニアはいつでも私を家にいれてくれた。イニアはいつだって、いてくれた……


 私みたいな……目標もなくて、特技もなくて……ただ怖がりなだけの私とずっといてくれた……」


 私はメドリの話をただ聞いていた。

 口を挟むことなく、メドリの頭を撫でて、聞いていた。


「私ね……怖くて、怖くて何もできないの。決断も、挑戦も、できない。だから失敗した後の立ち直り方も知らない……この状態を維持したくて……考えないようにしてたけど、いろんなことが勝手に変わっていくから……


 歳は無駄に重ねて、将来のこととか聞かれたりね……それで、お母さんにも言われたよ……今まで何してたんだってね……本当にその通りだよ……私……今まで何してたんだろ……


 そのあと、イニアも病気がひどくなって、その苦しみに気づけなくて……イニアも、私を拒絶するかもって思ったよ……」


 うるさいって言ったことを、思い出す。


「あれは……ごめん……」

「ううん。いいの。その後に家に来てくれたでしょ? それで、私……まだイニアといてもいいんだって思ったもの。

 みんないなくなったけど、イニアはいてくれた。だから、イニアのために何かしたいって思ったの。そうすれば、失わないって思ったから。


 それで……イニアは今でも私と、一緒にいてくれる。私は……イニアのことが……好き……なんだと思う。そうじゃなきゃ、ここまでしないよ」

「ちょ、ちょっと待って」


 好き……確かにこれは不意打ちでくると、すごい。

 少し恥ずかしげに、好きって伝えるメドリは可愛くて。


 悶える。心がざわめく。心地いいざわめき。

 深呼吸して、呼吸を整える。


「……ごめん。もう大丈夫」

「もう……そんなに恥ずかしがらなくても……」


 そう言われても。

 好きな人が……好きって言ってくれたら、嬉しいもの。

 触れる手が熱い。


「うんっと……イニアも……その、私のこと好きって言ってくれたよね?」

「う、うん……大好き……」


 顔が見れない。つい、視線を逸らしてしまう。

 そこには私の手と、メドリの手がある。手を繋いでるから、当然なんだけど。指が見える。

 これを舐めていた……甘いし……美味しかった。


 余計、顔が発熱してる気がする。

 メドリの顔を覗くと、メドリの顔も真っ赤になっている。


「……そ、それでね。好きだから……一緒にいたいって……」

「うん……恥ずかしい……!」


 さっき風呂場で私が言ったことなんだけど……改めて言われると、すごい恥ずかしい。メドリも恥ずかしそう……


 だけど、メドリの目は不安そうに揺れていた。

 恐怖が見える。けれど、少しの決意も。


「で、でもね……私は違うの……私はイニアが好きだから、一緒にいたんじゃないの……!」


 そこで言葉が区切られる。

 メドリの呼吸が荒くなる。


 メドリの言葉は気になるけれど、それよりメドリに落ち着いて欲しくて、頭を撫でる。優しく、私のことを伝えるように。


「一緒にいたのがイニアだったから……イニアがいてくれたから、好きになった……だから……だから……!イニアじゃなくても……良かったの……!」


 気づけばメドリは泣いていた。

 涙が顔を伝って、枕を濡らす。


「ごめんね……こんな話して、嫌いになったよね……ごめんね……!なんで……私……こんな何もできない私に、泣く資格なんてないのに……!」

「ううん。そんなことない……何もできないなんてそんなことない。私といてくれたでしょ……大丈夫……嫌いにならないから」


 泣きじゃくるメドリにささやく。

 私の声が届いてるかは分からない。

 私の言葉でメドリが安心してくれるかは分からない。


 けど、私にできることはこれぐらいだから。

 メドリの手を握って、頭を撫でて、言葉を紡ぐ。


「それに……何もできなくてもいいの。メドリはメドリなんだから……」

「なんで……なんでなの……? どうして、そんなに私を……私を……」


 なんで、嫌いにならないの。

 言葉にならない言葉が聞こえる。

 けれど、それの答えはもう言ってる。いつも言ってる。


「メドリが好きだから。大好きだから、嫌いにならないよ」

「ぅ……ぁ……!」


 掠れた声が聞こえる。

 泣いてる声が聞こえる。


 そんなメドリの手を取って、目を見る。


「メドリの隣にいるから……いたいから……」

「イニア……!」


 メドリが私の胸の中に飛び込んでくる。

 それをただ抱きしめる。頭を撫でる。泣いているメドリの頭をただ撫でている。

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