ノーバディ

八田部壱乃介

ノーバディ

〈ガイド〉


 ようこそシティへ。初めてお越しになった皆様には、『プログラム:ガイド』を講習して頂きます。

 まず前提として、統治単位が国から街へと切り替わったと同時に、地域毎に様々な特色のある規則ルールが設けられました。こちらではただひとつ、一人称を使ってはいけない、と言うルールがございます。それ以外には以前同様に憲法・法律を遵守して頂くのみで、他と変わるところはありません。

 何故、一人称を廃止するのか? 疑問に思う方も居ることでしょう。説明のためには、まず、この街における理念を聞いて頂かなければなりません。

 人類の発展と共に社会の在り方は変わりました。人間は平等ですが、境遇は不平等のままです。その理由として、ひとつに人間が管理される立場に居たため。ふたつに、自意識はすべてを問題視してしまう可能性があるため、と定義されました。

 シティではこの問題を解決するために、社会と人間の関係を再定義しました。つまり、人間は“管理されるもの”から“管理するもの”へと認識が改められたのです。人間が社会に管理されるのではなく、人間が人間を管理する。その体系を社会と見做しました。

 ここで特別なのは、人間が人間を管理することを“自律”とする点にあります。例えば本人が本人を管理する場合には、それが主観的であっては物事を正しく認識できるとは限りません。主観性は寧ろ、問題を正しく生産するばかりです。

 また、人間が社会的な存在である限り、彼らの客観的視点を必要としています。例えば他人からであれば、鏡を見るまでもなく服についた埃に気が付けるでしょう。しかし、もしも客観性を身につけているならば、他人に見られずとも、鏡を見るまでもなく埃が付いていることに気が付けるはずなのです。

 ここでは飽くまでも人間の肉体に主軸を置いています。主観性のある精神は積極的に排除され、代わりに客観性のみに人権が付与されるのです。これら能力は生後四年の児童から養成所にて育まれ、卒業する二十歳になって漸く、人権が与えられることになります。

 さて、客観能力テストを突破した皆様には、移住の許可が出されていますから、ご安心ください。人権はすべからく用意しております。後は先程言いましたように、一人称を使わないこと。これさえ約束して頂ければ宜しいのです。

 それでは楽しい人生を。


〈ガイド終了〉


 この街では鏡に映る者を“彼”と呼ぶらしい。移住して二日が経ったが、一人称を使わないことに未だ慣れない。外出時には、ガイドの際に渡されたマスクを着用しなければならないと言う。

 このマスクは移住者に配布されるもので、身につけることでそれと知らせる役割があった。謂わば入館証のようなものだ。

 しかしマスクには別に、特定消音ノイズキャンセリング機能が付いており、誤って一人称を使ってしまったとしても、それが表音されないようになっている。これが一番の存在意義であろう。頭の中までは弄られていないから、ほんの少しでも油断すると、すぐに口をついて出てしまうのだ。

 例えば昨日、買い物に出かけた先で、店員から会員証を作るかと聞かれた。

「買い物するたびにポイントが付きますよ」

「いえ、──は良いです」

 こう答えたつもりだった。

 いえ、私は良いです──と。

 しかしマスクによって一人称はかき消されたのだ。そのため、奇妙に穴の空いた台詞となった。店員も不思議そうな顔をしてこちらを見ている。すぐさま要らないことを伝えると、そそくさと店を飛び出した。

 顔が真っ赤になるくらい熱くなり、冷や汗が流れた。それからもこのような体験は続いた。ただ一人称を使わなければ良いだけなのに、不思議なものだ。駄目と言われると使いたくなる。或いは日常的に使う言葉だから、癖になっていたのか。

 それにしても、一人称を使ってはいけないと言うのは変なルールだ。ガイドの際に聞かされた理念という奴も、なんだかピンとこない。一人称を無くしただけで、本当に客観性が高くなるのだろうか。

 この街では世間の煩わしいことから離れられると聞いた。曰く、客観的な思考から導き出された合理性は、曖昧な苦悩を無くす──のだと。だからここへ移住したのだ。だと言うのに、この規則のお陰で混乱してしまうばかりで、悩みが減るどころか苦労が増えている。

 試しに聞いてみたことがある。

「この街では、住人は客観的であるからこそ合理的に考えられ、悩みが少ないと聞きました。貴方は実際に悩みが少ないと思いますか?」

「さあ……。悩み自体はあると思います。夕食はパスタとパンのどちらにしようかな、と迷ったりね。貴方には何か悩み事でもあるの?」

「ええ、まあ……。例えば──は将来……」

 ノイズキャンセルが入った。

「何です?」名も知らぬ住人は首を傾げる。

「いえ、すみません」どう質問したら良いものか迷った。「ええとですね、つまり、彼は将来どうするべきだろうとか、そんなところですかね」

「ああ、何だ。そんなことですか」住人は人の良い笑顔で、「それは彼女にもありましたよ」

 彼女と言うのは、つまり目の前の女性のことである。

「そうなんですか?」

「ええ。でも、彼女がこれから何を成すべきか、それは一目瞭然ではないですか」

「どういうことですか」

 分からなかったので聞いた。彼女は移住者に優しい人間だった。嫌な顔ひとつ見せず説明してくれた。

「マネジメントですよ。……例えば、貴方は友人を見ていて、『もっとこうすべきなのに』と思う時はありませんか?」

「ありますね」

「それを踏まえて、鏡を見てください。彼には何が出来ますか? 重要なのは、何がしたいかではありません。何が出来るか。この割り切った思考が、もしかしたら悩みを無くす秘訣かもしれませんね」

 一人称を使わないことによる恩恵は、確かにあったらしい。とは言え一人称を使わないことは、使うことに慣れてしまった者には非常に難しいことであった。

 だがそれもこの街に生まれ、育ってきた者たちには何の問題も無いのだろう。これは鏡に映る彼──が、外部の人間であるからで、規則に馴染みのある人間にとっては、こちらの方が常識なのだ。

 となればこの街の住人は一人称を使わないだけでなく、そもそもにおいてその存在を知らないのではないか。ならば、どのような意味を持つのかも分からなければ、どのように使うのかも分からないことだろう。

 一人称を知らず、鏡に映る者を他人事に扱う。ならば、彼らには鏡を見る者と映る者が同一だとは認識出来ないのではないか?

 それともこう考えてしまうのは、次第に彼が何者なのか分からなくなってきた所為だろうか。まるで鏡に向けて「お前は誰だ」と唱えている気分だ。頭がおかしくなりそうだった。そこに居るのは紛れもなくなのに、ああ、違う。一人称を使ってはいけないのだ……。

 鏡に映る彼は、鏡を見る者と同一なのだ。しかしその認識と事実とが乖離していく。そこに立つ者が別人のように思えてくるのだ。彼と言う人間が徐々に鮮明になるにつれ、頭に蠢く意識や思考と言ったものの存在が邪魔になる。

 それはまるで幽体離脱したかのような錯覚だった。肉体と精神が分離するのだ。それは気持ちの悪い感覚で、何者にもなれていないような気がして、拠り所がないために、酷く不安になる。

 それからして、外へ出るのが怖くなった。彼らは一体何者なのだろう? そんな疑問が頭を支配して、聞いてみたい欲求に駆られるのだ。けれどそんな無駄足は踏むべきではない。彼らはきっとこう答えるだろう。

「彼は彼ですよ。貴方にも見えているでしょう?」

 見えているからこそ、怖いのだ。見えている筈なのに、それとは全く別の人間と会話しているように思わされる。貴方は一体誰なんだ。今話している貴方は一体、何処に居るんだ。彼らはまるで人形を操る黒子くろこのように場に溶け込んでいる。だが実は、目に見えていないだけで、ずっと側に居るのではないか。

 彼らは似通った二人でひとりなのだ。そのうちのひとりを目にしていながら、実際に話しているのはもう一方のひとりなのではないか。それは謂わば鏡を見る者と映る者との違いに通ずるだろう。見えている者は虚像で、話している相手こそが実像なのだ。

 では、浴室の鏡に映る男は虚像なのだろうか。街中を歩く彼らには、実像が見えるだろうか。

 居ても立っても居られなくなり、部屋を飛び出した。鏡から彼の姿が無くなり、ほっとした。この感情を持ったのは実像だろうか、虚像だろうか。彼の表情を見たくなかった。考えていることのすべてが偽物のような気がしたからだ。いや、偽物と言うのはまた違う。別物──すべて他人になってしまう気がしたのだ……。

 だから実のところ、誰にも実像は見えていないのだろう。皆に見えているものは彼の方であり、彼は実像ではない。それも違う。虚像は実像から生まれるのだ。実像も虚像も同一であることを忘れてはならない。忘れてはならないのだ。

 街を彷徨い、思い切り叫びたくなる衝動に駆られた。

「一体──は誰なんだ!」

 もちろん、一人称は掻き消される。耳に入る間もなく、変な間となって発音された。不意に涙が出そうになった。そこを見られたのか、女性がひとり「大丈夫ですか」と話しかけてくれた。

「いいえ、大丈夫じゃありません」驚くほど疲れた声をしていた。

「どこかに座りましょうか」

 女性は提案し、ベンチを探してくれた。

「何かありましたか」

「──は、ここへ移住してきたばかりで」

「はい」優しい相槌。

「鏡に映る彼が何者か、分からなくなってしまったのです。彼は虚像で、それを見ている者とは別人なのではないか、と」

 それから悩みを打ち明けた。

 話を聞き終えると、女性は暫く考え込む様子で、顎に指を添えた。

「そうですね……。あの、貴方の名前は?」

「名前、ですか?」

 唐突に聞かれたので驚いたが、戸惑いつつも答えた。すると彼女は頷き、

「それが貴方ですよ」

 思わず彼女の目を見た。

「ここでは名前が重要になりますからね。貴方の言うように、移住してきた方の中には、見る者と映る者が別人であると不安になる方も居ます」

「じゃあ、まったくの別物なのですか」

「そうです」彼女は苦笑いして、「見る者と映る者は確かに同一人物かもしれません。しかし実際には別人なのです。何故なら、鏡に映る方には肉体しか映っていませんからね。それを見つめる者──つまり心までは映せません」

「肉体と精神の分離……」

「ええ」

 愕然とした。

「でも、表情は映って見えます」

「表情だって肉体のひとつでしょう? 思考までは鏡に映りません。だから、その点では別物と言っても良いと思います。だけど、見る者と映る者は同じ名前を持った存在です。そう考えると、ふたりは同じ人間だと言うことになりますよね」

「だとしたら、結局どっちなんです? ──には同一人物としか思えない」

 女性ははっきりと言った。

「先ほども言いましたが、ふたりは。貴方の話を聞いてみるに、認識の仕方に問題があると思うんです。よく分かりませんが、貴方は見る者の視点に立って考えていたところを、映る者の視点へと切り替えようとしていたみたいですね」

 一人称から三人称へ変えたのだ。多分、そう言うことなのだろう。

「……そうです」と頷いた。

「貴方の認識を借りて言うなら、ここでは見る者が貴方であっても別の方であっても同一なんですよ。つまり、見る者が誰であろうと、映る者は変わりません。良いですか、貴方は鏡で貴方の姿を見ることができますね。しかし鏡に映った貴方のことは、貴方以外の他人にも見えている訳です。この両者共有できる姿の方を取って、会話をしている。常に手鏡を見ているのだと、そう考えてみてください」

 ややこしい話だ。だが、漸く得心がいった。この街では客観的な事実が尊重されているのだ。だから、見えないものは共有できない。共有できないなら語る必要がない。何故ならここでは、映る者が実像で、見る者が虚像なのだから。認識が逆だったのだ。

 このことはガイドでも言っていたじゃないか。ここでは主観性のある精神を排除する。それがすべてだったのだ。要するに、こう認識するべきなのだろう。ここにあるのは身体なのであって、“私”の居場所はない──と。

 それから彼は、私と分裂した。私は彼へと生まれ変わり、同時に私と言うものは死に、二度と統一されることはなかった。その時初めて、やっとこの街の住人になれた気がした。

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ノーバディ 八田部壱乃介 @aka1chanchanko

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