ヒロト29

「ハッピーバースデー、トゥーユー」

 暗闇の中、研修生の女の子二人の声が響く。

「ハッピーバースデー、トゥーユー」

 続いて、バイヤー達も唱和する。

「ハッピーバースデー、ディア麻衣さーん。ハッピーバースデー、トゥーユー」

 スポットライトが点灯し、暗幕の中から麻衣が飛び出して来た。

 くす玉が割れ、紙吹雪が舞う中、メンバーも次々と現れ、「ハート@シンデレラ」のイントロが流れる。

 麻衣の生誕祭が始まった。

 いつものようにオリジナル曲のメドレーが始まったが、フォーメーションはいつもと違っていて、どの曲も麻衣がセンターポジョンにいた。


 ヒロトは夢中でコールし、ミックスし、叫び、踊った。

 これがライブの一番の醍醐味だ。この瞬間は嫌なこと、辛いこと、悩み、何もかも忘れられる。

 

 5曲ほど歌い終わり、トークになった。

 若いメンバーから年齢のことをいじられ、バイヤーもヤジって麻衣が拗ねるが、その後、研修生がワゴンに乗せてケーキを運んで来て、彼女は一転笑顔になる。しかし、またロウソクの数をいじられて、麻衣が拗ねる、というお約束の寸劇があった。

 それから、まい姐クイズコーナーといって、彼女に関するクイズにバイヤーが答えるというコーナーになった。

 普段見かけないバイヤーが何人かいて、秋の大感謝祭で、水着を競り落としたおじさんもいた。

 一番の人には、麻衣からハグのプレゼントがあるということで、ヒロトも色めきたったが、

クイズの内容が「まい姐が研修生になったのは何月何日?」とか「正式メンバーになり、デビューしたのはどのライブ?」「ネームがサファイアに決まったのはなぜ?」とかマニアックなものばかりで、昔からの推しでなければ到底分からないようなものがほとんどであった。

 例のおじさんが優勝し、前に呼ばれて麻衣にハグされて、皆にヤジられながらも満面の笑みを浮かべていた。ヒロトは羨しく思いながらも、すごいなと感心し、笑って拍手した。

 

 それから、また照明が消され、暗闇の中、スポットライトが彼女1人を浮かび上がらせた。

「今日は皆様、私の誕生祭に来て頂き、誠にありがとうございました」と彼女は礼を述べた。

「今日は私の誕生祭ということで、ソロで好きな歌を歌ってもいいということなので、私の一番好きな歌を今から歌わさせて頂きます」

「待ってました」と声が上がる。

 彼女はクスッと笑い、

「では、聞いてください。ハナミズキ」

 深く頭を下げて歌い始めた。

 

 ヒロトは麻衣が歌が上手いとの評判を聞いていたし、歌には自信があるということを彼女自身も言っていたが、こういうしみじみと聴かせる歌唱力が必要な歌を歌うのを聞いたのは初めてだった。彼女の声には伸びがあり、その中に芯の強さもあり、アイドルらしからぬ見事な歌唱であった。

 観客は静まり返り、彼女の歌声だけがホールに流れる。

 ヒロトは聞いているうちに、心が震え、涙が出そうになってきた。

 歌い終わると、照明が点き、客は一斉に立ち上がり、拍手した。「ブラボー」とあちこちから叫び声が上がった。メンバーの皆も拍手しながら、袖から出てきた。支配人や鑑定さん達も皆拍手喝采していた。

 素晴らしい歌唱であった。アイドルよりソロ歌手になった方がいいのでないかと思うほどだった。

 それから再びメンバー全員で歌い踊り、ライブは終わった。

 

 今日はいつものように物品販売はなく、麻衣にプレゼントを渡すイベントが催された。

 ヒロトは若い女性に人気のブランド物のルームウェアの上下を渡した。

 唯さんから「喜ぶよ」と聞いていたのだが、値段が予想外に高くて躊躇った。

 上着だけでもと思って、そのルームウェアのショップに行ったら、ちょうど店の奥でバーゲンセールをしていて、ワゴンに乗った服の前で、たくさん女の人が集まっていた。

 後から思うと、よくあんなことが出来たなと冷や汗ものだったが、その時は無我夢中で、女性の間に割り込み、麻衣に似合いそうな上下を懸命に探した。

「わあー、ステキ!これ欲しかったものです。高かったでしょ?」

 麻衣はすごく喜んでくれた。バーゲンでも確かに高かったし、職を失った今、多額の出費は痛かったが、彼女が喜んでくれる以上に幸せなことはなかった。


 タクは就職してからは仕事の都合で、以前のように必ず毎週ライブに来るということはなくなっていたが、今日は顔を出していた。それで、コンビニの仕事を首になった事情を話し、この前言っていた家電量販店がまだバイトを募集していたら、紹介してくれないかと頼んだ。


 

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