フリじゃない普通を


 大型新人現れる――


 俺たちの漫画が連載を開始すると、思った以上の反響が読者から得られた。

 痛ましい人間関係だったり、人の嫌な部分も隠さずに書かれたその漫画は読者の心に刺さった。


 ニュースサイトなどでも取り上げてくれて、衝撃の一話として話題を呼んだ。

 俺と水戸部さんは次の話の執筆に追われている。


 漫画の小説化の依頼も舞い込んで来たからだ。






「おう、隼人、今回の話見たぞ。超面白いな。なあ、こっそり続きを教えてくれよ――」


「哲也のバカ! 無理言わないの! 来週まで待ちなさいって!」


 あの事件以来、クラスの雰囲気が変わった。

 みんな少し大人になった気がする。

 不思議な感覚であった。

 俺が京子に冷たい言葉を放った時は、もう二度と話す機会がないと思っていた。


 少しずつ話す事によって、みんなの気持ちが前よりも更に分かってくる。


「あっ、そうだ、水戸部さん、今度の文化祭の脚本大丈夫? もし仕事が忙しいなら哲也にお願いするけど?」


 水戸部さんも徐々にクラスに馴染んで来た。

 女子を中心に話すクラスメイトが増えていった。


「うん、三千文字くらいだから昼休みに書いておくね」


 そう言うと、京子は自然な笑顔で水戸部さんに頷いた。

 二人に険悪なムードはない。仲の良い友達に見える。


「俺は依頼のポスターを描き終わったぞ。後ろにあるから後で確認してくれ」


 俺たちが文化祭について話していると、バタバタと廊下から足音が聞こえてきた。

 息を切らしながら美鈴が教室に入り込む。

 俺たちを見ると、泣きそうな声で叫んだ。


「――オ、オーディション、通ったよ!! 最終選考まで残ったんだ……、ひぐ、初めての最後まで……、あとは……」


 美鈴は休止していた声優志望の活動を再開した。

 レッスンを精力的に受け、都心にあるスパルタ声優養成所に通い詰め、養成所内部で結果を残していった。


「美鈴やったね!!」

「五月雨さん、おめでとう! ……わ、私達も頑張らないと――」


 俺も美鈴に祝福の言葉を贈る。

 他人の事だけど、喜びを分かち合う気持ちがいまはわかる。


「美鈴、おめでとう」


 簡潔な言葉だけど、心を込めると相手に伝わると分かった。

 だから美鈴は俺に笑顔で答えてくれた。


「うん、ありがと……、きっかけ作ってくれて……、本当にありがとう。……あっ、も、もし、最終通ったら……、今度、一緒に登校してくれる?」


「ああ、いいぞ。水戸部さんと三人で登校しよう」


 美鈴は笑いながらため息を吐いた。


「はぁ……、まあいいか……、じゃあよろしくね!」








 俺は学校生活が初めて楽しいものだと思えた。

 人の心がわかるとこんなにも世界が広がるものだと実感できた。


 以前の俺は作り物の俺であった。

 普通のフリをする異物。


 だが、今は違う。



 教室に鬼龍院先生が入ってきた。

 目の下にはクマが出来ている。きっと徹夜で新連載を書いているんだろう。


「……いるな? 欠席してるやつは教えろ。……特に連絡事項は……、ああ、文化祭か……、適当に頑張れ……」


「せんせー!! 昨日、超かわいい女子生徒と楽しそうに歩いてるの見ました!! あれって、やばくないですか!」

「え、マジ? 教師と生徒ってやばくない?」

「いやいや、鬼龍院先生に限ってそんな事は――」


 徹夜明けで頭の回転が鈍っている鬼龍院先生が慌てて弁明をする。


「ち、違う、俺はメグルちゃんに幸せになって欲しいだけだ!! ――おい、神楽坂、何笑ってんだよ!? メグルちゃんはいつもお前の話ばっかなんだよ!! 絶対貴様には嫁にやらん! 俺を倒してからにしろーー!!」


「――では、次の単行本の売上で勝負だ」


 俺たちの単行本が来週発売される。同じ時期に鬼龍院先生や他の先生の単行本も発売される。非常に激戦区の時期に当たってしまった。


「くっ、調子のってんじゃねえぞ。ひよっこにはまだ負けねえぞ!」


 クラスメイトの笑い声が聞こえる。

 それは馬鹿にした笑い声ではなかった。

 自然な笑い声であった。

 俺はそれが嫌いではない。






 いつの間にか飯田橋の喫茶店の常連となっていた。

 今日も俺と水戸部さんは平塚女史と打ち合わせをする。


「――うん、次の原稿も問題ないわね。……ていうか、本当に筆が早いわね。マジでそれだけで神扱いできるわよ。あっ、単行本……、なんと――重版出来かかったわよ!! 販売前ってマジで珍しいから! ふふふっ、これで私も編集部ででかい顔できるわ」


 俺と水戸部さんは顔を見合わせる。


「神楽坂君! やったね!」

「水戸部さん、て、手を握っていいか? 嬉しくて感情が抑えられない。……これでロリコンに勝てる……のか?」


 水戸部さんは恥ずかしがりながらも机の下でこっそりと手を握ってくれた。


「甘々かよ……!? はぁ、鬼龍院先生にはまず無理っしょ? 初回部数が違う過ぎるわよ」


「……そうか」


 残念な気持ちにはならなかった。

 俺たちの本が重版にかかる。それだけで嬉しさがこみ上げて来た。


「……ていうか、あんたたちまだ名前で呼び合ってないの? ていうか、まだ付き合ってないの? マジ青春してるよねー。はぁ、私も今日の合コン行こうかな……」


 そういえばお父さんから平塚さんの合コンについて聞いたことがある。


「お父さんから聞いたが、合コンとは部屋でPCの前で一人で飲む事を言ってるのか? ……それを聞いて少し可哀想な気分になった」


「は、はっ!? あ、あのクソ親父!! バラしやがって!! ええ、そうよ! 私はこんな性格だから合コンなんて行けないのよ! 彼氏だって出来たことないのよ! 仕事一筋で何が悪いのよーー!!」


「な、なにか悪いことを言ったようだな。す、すまない」


 荒ぶっている平塚女史をなだめていると、花園さんが喫茶店にやって来た。

 平塚女史は次の仕事の打ち合わせがあると言って、入れ替わりに喫茶店を出ていった。






「えへへ、隼人、この前はありがとう。すごく助かったじゃん!」


 先日、花園さんが出版社の本社で変な漫画家に絡まれていた。

 俺がその時たまたま居合わせたので、助けに入った次第である。


『ぼ、僕はアニメ化を果たした有名漫画家なんだよ! は、花吉先生と一緒に飲みに行くんだよ!! どうせ漫画家になれたのだって鬼龍院のコネを使って――』


 と言いながら迫られていた。

 俺はその時、初めて怒りという感情に身を任せてしまった。


『メグルに触るな……。漫画家の前に社会人だろ? なら大人が子供に嫌がる事をするんじゃない!!』


 俺はメグルを抱き寄せて、そう言い放ったんだ。

 タイミングよく、変な漫画家はアフロ編集長に連れて行かれて、その場は収まった。




 俺は軽く手を挙げる。


「あの時は……、つい名前で呼んでしまって……、その、何事も無くて良かった」


 水戸部さんが俺の腹を肘で突く。


「……呼び捨てしてる。……ね、ねえ、わ、私たちも名前で呼び合わない? よ、友達だし……」


 口を少し尖らせている水戸部さんが可愛かった。

 俺は戸惑いながらも水戸部さんを呼んで見た。


「か、楓……さん――」


「は、隼人く、ん……、あ、こ、これ、恥ずかしいかも……」


 下の名前で呼んだだけなのに、胸が温かい気持ちで一杯になった。


 花園さんはそんな俺達を見て――


「……ていうか、今更!? あんたたち手を繋いでるじゃん! はぁ……、楓ちゃん、うかうかしてると、私が隼人を奪っちゃうよ!」


 水戸部さん……、あらため、楓さんがすごい勢いで立ち上がった。


「だ、駄目! は、隼人君はわたしの相棒なんだから!! ま、漫画の……ね……」


「はいはい、ん、ところで来週、単行本発売でしょ? どうせ二人は一緒に買いに行くんでしょ? その後でお茶でもしようよ!」


「メグルちゃんは一緒に行かないの?」


「あははっ、流石にそれは遠慮しておくよ。お兄ちゃんと違う書店に行って買うね!」



 花園さんは笑顔だった。

 俺が初めてあった時の花園さんは暗い顔をしていた。

 全てを信じられず、自分の殻に閉じこもっていた。


 俺はあの時花園さんに話しかけて良かった。

 それが今に繋がっているんだ。

 たとえ、うまく話せなかったとして、わかり合える日が来るんだ。


 楓さんと話している花園さんが、何故か中学の時の姿に重なって見えた。

 ――漫画、見せてもらえて良かった。


 懐かしい気持ちが胸に広がるのを感じながら、俺たちは喋り続けた――









「ほ、本当に私達の本が書店にあるよ……」

「……これは中々感慨深いものがあるな」


 俺たちは発売日当日、あのアニメショップに来たていた。

 本が平積みされているのを見るまで、本当に発売されているか信用できなかった。


 俺たちが遠目で平積みされている棚を見ていると、お客さんが本を手にとってくれた。

 それを見たら、全ての努力が報われた気分であった。


「ひぐ……ひぐ……、隼人君……、わ、私……」


 半べそをかきながらお客さんを見つめる楓さん。

 楓さんの身体を抱き寄せながら感動に打ち震える俺。


 傍から見たら変な二人だと思う。

 だけど、いまだけは変な人でも構わない。


 俺たちはその場に一時間ほど突っ立ったままであった。

 お客さんが俺たちの本を手に取るたびに感動が生まれる。

 そして、笑顔で本を抱えているお客さんを見ると、喜びが生まれた。



 ふと、俺は思った。

 ――いつからだろう? 俺は他人の喜びを感じる事ができるようになった。


 楓さんと出会ってから徐々に共感性が分かってきたけど、完璧では無かった。

 だけど、二人で嵐のような創作に日々を続けているうちに、そんな事を意識しなくなっていた。


 色々な感情が胸の奥から湧き出るようであった。


 もしかして、俺は――普通というものになれたのか?


 だけど、一つだけわからない感情がある。

 楓さんと一緒にいると、温かい気持ちになれる。

 楓さんと手を繋ぐと、胸がドキドキしてくる。

 楓さんがご飯を嬉しそうに食べていると、俺も嬉しくなる。


 俺にとって楓さんは大好きな友達であり、大事な創作仲間である。

 でも、それ以上の違う感覚が、心の中に確かにあった――





 俺たちの一巻は予想を超える売上となり、重版を繰り返し、続刊の決定を貰えることになった。


 鬼龍院先生や、アニメ作家や、大御所を抑えて、その月の販売部数ランキングの一位を飾ることが出来た――








「はははっ、隼人、こんなお祝いでいいのか? ったく、もっと贅沢してもいいんだぜ? なにせお前は偉業を成し遂げたんだぜ! 流石俺と母さんの息子だ!」


「ううぅ、隼人がこんなに立派になって……、それに楓ちゃんも本当によく出来た子で……」


 お父さんはお祝いで俺にマンションを買おうとした……。

 流石にそれは頭がおかしいから丁重に断った。


 代わりに、うちのプレハブ倉庫を改装して、俺と楓さんの創作スペースとしての場を作ってくれる事になった。

 それでも改装費にかなりの金額がかかる。


 俺の印税から払うと言っても――


『馬鹿野郎! 子供が余計な心配するんじゃねえよ! 俺は鬼龍院よりも稼いでるんだよ!』



 俺の部屋も、楓さんの部屋も決して狭いわけではない。だけど、創作スペースとしての場があると、やはりモチベーションが違う。


 俺と楓さんはプレハブの前で立ち尽くしていた。

 ボロボロのプレハブが、小さな家のように立派になっている……。


「じゃああとは若い二人で好きにセッティングしろ! あとで俺たちも行くからな!」


「ごちそう用意しておくね。楽しみにしてなさい――」


 俺と楓さんは二人で創作スペースのセッティングを始めた。

 といっても、そんなに物があるわけではない。


 二つ並んだ机と椅子に、作業用PCが置かれている。

 資料置き場としての本棚と――、俺たちの漫画が置かれている本棚がある。


 漫画は一冊しか置かれていなかった。


 楓さんが漫画を手に取る。

 俺たちが魂を込めて創作した漫画だ。

 パラパラとページをめくりながらポツリと呟いた。


「……この本棚一杯埋めたいね。私達の本で――」


 何故だろう? 楓さんの後ろ姿がとても愛おしく見えた。

 俺は自分の感情に心が振り回されそうであった。


 楓さんが振り返って俺に微笑んだ。


「二人ならできる、よね?」


 とても綺麗な笑顔であった。

 俺は口を開けたまま頷く。


 思えば俺はいつも楓さんの事を見ていた。

 初めて水戸部さんと向き合った時に、俺の心がざわついたのを覚えている。


 今ならあの感情の正体がわかっていた――


 創作仲間であり、大事な友だち――

 それでも、俺は自分の気持ちを言わなければいけないと思った。


 だから――、俺は――

 楓さんに向かって、自分の言葉を言い放った。




「――楓さんが必要だ。――俺の、初めての恋人になってくれ」




 言葉に出して俺は理解した。

 俺は楓さんの事が大好きだったんだ。俺の世界は楓さん中心で回っていたんだ。


 笑顔だった楓さんは驚いた顔をして口元を抑えた。


 俺は知っている。

 楓さんは自分に自信がない。それに、創作仲間をそんな関係になることを望んでいない。

 だから、俺は続けて言葉を紡ぐ。



「……ごめん、忘れてくれ。俺は自分の気持ちを抑える。だから、これからも一緒に漫画を――」



 楓さんはつかつかと俺に近づいた。

 そして、ほっぺを膨らませて俺の手を取った。


「隼人君っ! ……駄目だよ、せっかく人の気持ちが分かってきたんでしょ? 勝手に終わらせちゃ駄目……」


 水戸部さんは強く俺の手を握りしめる。



「ふふ、私の気持ち、わかるでしょ? ……ずっと一緒にいたんだから」



 水戸部さんから温かい想いを感じられる。

 それだけで幸せになれる。

 水戸部さんの表情は嬉しそうであーー


 嬉しそう? そうだ、嬉しそうにしている!?




「……私は隼人君のこと大好きだよ。ずっと一緒にいようね」




 感情の波が俺に襲いかかってきた。

 体験したことのない喜び。漫画を描く時とは違う種類の気持ち――


 眼から涙が溢れてくる。

 普通のフリをしていた時の思い出が走馬灯のように駆け巡る――

 声にならない言葉を発していた。



「か、えで、さん、俺は……、必ず、幸せにする……」



 水戸部さんは俺の胸に頭を置いて呟いた。

 重みが心地よく感じられる――



「バカ、もう幸せだよ――」







 ******************





 俺は壊れた男であった。


 人の気持ちがわからない。自分の気持がわからない。

 ただの欠陥品だと思っていた。


 だけど、俺は楓さんに出会えて変わることが出来た。

 あれは恋をしていたんだ。


 俺の心がざわついたんだ。


 人を通して、人と繋がる。


 漫画家になることが最終目的ではなかった。

 俺は楓さんとずっと創作活動をすることが願いであったんだ。


 壊れた男はもうどこにもいない。



 一人の女性を愛する、本当の意味で普通の男がいるだけだ――




 ――――――――――――――――――――




 うん、私も壊れていたかもね。

 このまま暗い人生を送ると思っていた。

 それでも小説だけは馬鹿にされたくなかった。


 隼人君に出会えて……、友達になれて……、期待なんてしていないはずだった。


 ただの創作仲間と自分で言い聞かせていた。

 でもね、純粋で心が綺麗な隼人君を見てたら、自分の気持ちが抑えきれなくなっちゃった。


 ――お前が必要だ。


 あの時の一言が胸に食い込んだから、私は強くなれたの。


 もう壊れた女の子はいないよ……。



 隼人君を愛する普通の女の子だよ――









 これはリア充のフリをした壊れた男が、壊れそうな女の子に出会い、成長し、恋をする物語――





(リア充のフリをしている壊れた俺は、もう壊れたままで構わない。俺の大好きな小説を執筆している同級生が幼馴染に馬鹿にされた。もう幼馴染には無関心だ…… 完)


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リア充のフリをしている壊れた俺は、もう壊れたままで構わない。俺の大好きな小説を執筆している同級生が幼馴染に馬鹿にされた。もう幼馴染には無関心だ…… うさこ @usako09

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