燃える心


 俺たちはカフェで漫画や小説談義に花を咲かせた。

 元々水戸部さんと花園さんは知り合い同士だから好きなものが似ている。


 空のフラペチーノを弄びながら花園さんは俺たちに言った。


「……ていうか、そろそろ時間じゃん。ふー、今日は会えて良かったよ……、気持ちの整理が出来たじゃん。――あ、私も新人だけど困った事があったらいつでも連絡してね! ――そろそろお兄ちゃんが……」


 時間が過ぎるのが早かった。

 花園さんは迎えに来てくれる人がいるらしく、辺りをキョロキョロ見渡していた――


「あっ、ここだよ! おーい、竜也お兄ちゃんーー!!」


 UDXの前で大きな紙袋を下げた……強面の男が花園さんを見つけると、満面の笑顔で近寄ってきた。

 花園さんは飲んでいたお水を吹き出した。


「え……、なんで……」


 お兄ちゃんは花園さんにしか目が行っていなかった。

 非常にデレデレとした表情だ。


「はぁはぁ、仕事を速攻終わらせてすぐに漫画買いに行ったよ! いやー、メグルちゃんはすごいね! 俺の聖地であるアニメートに置かれているなんて――。あっ、前の物販で買えなかった戦利品もあるよ! 見る? うん、メグルちゃんは可愛い!」


「お、お兄ちゃん、恥ずかしいじゃん! ほ、ほら、友達もいるんだから!」


 ようやく俺たちの存在に気がついたお兄ちゃんこと鬼龍院竜也先生。まさか……、花園さんのお兄ちゃんだとは……。


 鬼龍院先生は俺たちを見て、青ざめた顔で紙袋を床に落として固まってしまった。

 先生の思考が高速で動く様が手にとるようにわかる。


「……ごほんっ、あー、その、なんだ、花園は俺の従姉妹だ。お、お前らはなんでここに……」


「元同級生だ」


「えっと、SNS友達で今日初めて会いました」


「そ、そうか……、お、俺は、し、知り合いに頼まれて、買い物を……、花園を送るために……」


 花園さんはお兄ちゃんの言葉を遮って、俺たちに言った。


「そもそも私が漫画を描くようになったのは、竜也お兄ちゃんがオタクだったからよ。学校行きたくない時も、お兄ちゃんの家に遊びに行って漫画見てたんだから」


 水戸部さんは少し引き気味でつぶやく。


「……と、年下が好きなんですね」


「ち、違う!! 俺はメグルを愛でているだけだ! こんな可愛い従姉妹を溺愛しなくて何が教師だ! あっ……、わ、忘れてくれ……」


「今日は忘れられない出来事が多い。鬼龍院先生、せっかくだから俺の漫画も見るか?」


「ば、馬鹿野郎!! この問題児が! なんで俺が素人の漫画を――」


 そう言いながらも、先程まで花園さんが読んでいた漫画を横目で見ていた。

 鬼龍院先生の言葉が止まる。

 俺の横の席に座って漫画を読み始めた。


 花園さんは俺に耳打ちをする。


「お兄ちゃんの学校は私立でしょ? 規定で副業オッケーじゃん。実はね、漫画を描いてるのよ。私の師匠であり、大好きな従兄弟のお兄ちゃん――」


 鬼龍院先生は俺の漫画を読みながら口を挟む。


「ああ、俺のメグルちゃんを愛してるぞ」


「うん、それはキモいからやめて」


 鬼龍院先生は読み終えた漫画を綺麗に整えて俺に返してくれた。

 そして――


「……ツイッターで上げたら打診がすぐくるレベルだ。見た目的なうまさは正直俺よりもうまい。だが――」


 水戸部さんが息を飲む。普段寡黙な鬼龍院先生がこれほど喋っているだけで珍しい事だ。

 続いた言葉は――


「編集に手を加えられてないな? 絵がストーリーを最大限まで引き出していない。……キャラが輝いていない。萌が不足している。機械的な処理をしているような漫画だ。情熱が足りない。もっと心を燃やせ。自分の性癖を全面に押し出せ。このままじゃあ面白くない」


 水戸部さんが反射的に言葉を放った。


「なんでですか? 神楽坂君は私の小説を想像どおりそのまま描いていますよ! これ以上良くなるなんて……」


「そうか、水戸部の小説が原作か。……なるほど、そのままか……、小説を見せろ」


 水戸部さんは先生にWEBサイトのURLを送る。

 先生はすごい速さで小説を見始めた。


「……ふぅ、確かに小説通りだ。良い小説だ、面白い。……だがな、漫画は小説じゃない。小説と漫画を一緒にするな。……漫画の良さを殺している」


 俺は首を傾げた。

 水戸部さんの小説通り漫画を描いたはずだ。

 それなのに彼は面白くないと言った。あんなに面白い小説を?


 彼の考えている事がわからない。

 だけど……、なんだこの気持ちは?

 腹のそこからムカムカと湧き上がる感情。


 ――俺は面白くないと言われて……悔しがっている。


 花園さんは鬼龍院さんの肩をパンチする。


「い、痛いぞ、メグルちゃん。こ、これは、こいつらのレベルが――」


「はぁ、私は分かってるからいいけど、二人とも落ち込んじゃったじゃん。……あのね、お兄ちゃんは見込みがある人にしかアドバイスしないの。正直そのままでも出版できるレベルだけど……」


「編集者は誰だ? まさかついてないはずないだろ?」


「KADOTANの平塚すみれ女史だ」


「あっ、神楽坂君、駄目だよ! 知らない人に教えちゃ!」


「なに? そうか守秘義務か。先生の勢いにつられて……」


「ふん、あいつか。最近調子乗ってるな。……まあいい、今日は遅いからもう帰れ。俺はメグルちゃんと家族で夕食会があるから急いでいるんだ」


 鬼龍院先生は花園さんを連れて去ってしまった……。

 この場には俺と水戸部さんだけになった。








「……初めて人を殴りたいと思った」


 自分の声がこんなにも低くなるとは思わなかった。


「ふえ!? だ、駄目だよ! ……で、でも、正直……すごくむかつく……」


 悔しいという気持ちはこんなにも心を揺さぶるのか?

 身体から熱が湧き出る気持ちである。


 水戸部さんも歯を食いしばって悔しがっている。

 俺は自分の漫画を否定されたよりも、水戸部さんの小説をつまらなくした、と言われた事が悔しい。


 水戸部さんの声に熱が籠もっていた。


「――神楽坂君、わたし、すごく小説を書きたい気分だよ」

「そうか、水戸部さん、俺も水戸部さんの小説をいますぐ描きたい」


 俺たちは同時に立ち上がった。


 そして、平塚女史に電話を一本して、秋葉原を出ることにした――








 俺たちの熱は秋葉原を出ても冷めなかった。


 水戸部さんの家に向かっている時、哲也や京子たちと出会ったが、それどころではなかった。

 この熱は創作にぶつけないと消えない。




「あ、隼人、ね、ねえ、今からカラオケに行くんだけど……」

「あー、京子、もう少し時間置こうぜ……」

「また二人一緒だ。……水戸部さん? あんな感じだったっけ?」


 何度もいうがそれどころではない。

 俺は三人におざなりな返事をして通り過ぎる

 そのままの勢いで水戸部さんの家に上がり込んだ。




「おかーさーん!! お姉ちゃんがこの前の人を連れてきたよ!!」

「あらあら、あの素敵な子ね? 夕飯一杯作らなきゃね!」

「か、楓……、お父さんは……うぅ……」


 俺のお母さんには、電話で水戸部さんの家で打ち合わせをする旨を伝えた。

 お父さんには、鬼龍院なる漫画家の詳細を教えてもらった。


 そして、平塚女史には、ズームで打ち合わせに参加してもらう事にした。





 平塚女史いわく、本来はメールでダメ出しをしようとしていたらしい。

 ちゃんとキャラデザから始まり、一話目の構成と、全体の構成を考えて、ネームという下書きをする予定だったらしい。


『あちゃー、鬼龍院先生か……。あの人他人にも自分にも厳しいからね』


 コミカライズの件を伝えてしまった事や、俺の原稿を見せた事についてはそこまで怒られなかった。

 むしろ、ちゃんと一話出来たら、また見せればいいと言ってくれた。

 そして、俺と水戸部さんと平塚女史の打ち合わせは数時間にも及んだ。





 その日から嵐のような日々が続いた――



「お母さん!! お姉ちゃんがまた隼人君を連れてきたよ! わーい、今日はごちそうだ!」

「あらあら、今日も一杯食べていってね? 今日はカレーとナポリタンとエビフライよ」

「……いやー、なかなか今どきいない好青年だ。……神楽坂君、その筋肉はどうやって鍛えたんだ? わたしはゴールドジムに……」


 家でも学校でも俺たちは一話の構成と全体構成の話し合いをして、夜には平塚女史にダメ出ししてもらう。並行して俺はキャラデザを提出する。


 クラスメイトは俺たちの様子がおかしい事に気がついていたが、誰からも話しかけられないから気にしなかった。


「あ、あいつらなんかすごい勢いだな」

「……なんかイベントあるっけ? なんだっけ? 冬コミは締め切ってるし――」

「ん? なんで美鈴がオタクのイベント知ってんだ」

「ていうか、なんか水戸部さん、少し痩せてね? ……なんか、その……可愛くね?」

「ばかっ、あいつはオタクでデブ……、じゃねえか? そ、そうだな、す、少し可愛いかな?」

「はっ、ていうか、超可愛くない?」


 クラスメイトの戯言は聞き流す。

 俺たちは作品作りに心を注いだ――




 平塚女史のダメ出しも中々激しかった。


「はっ? 可愛いけど魅力的じゃないのよ! 私がキュンとするキャラを描きなさいよ!」

「ハムスケさんの四話を一話に組み込まないと盛り上がりにかけるから調整するわよ」

「この回想シーンは小説では素晴らしいけど、長いから1ページで心に刺さる絵を描きなさい!!」

「私の合コンの時間潰したんだから、最高のものを作りなさいよぉぉ!!」




 俺は一つの壁にぶち当たっていた。

 それは、物語のキャラの感情を心の底から理解できるわけではない事だ。共感性の希薄ゆえの問題点だ。

 その差異がキャラを描く際にほんの少し現れてしまう。


 本来は、原作者である水戸部さんが一緒にネームを作り上げる事はない。

 最終チェックをして終わりだ。


 だが――


「うん、この時の主人公は……、そうだね……あ、花園さんがいじめられるかもって思った時の気持ちわかる? ……うん、その時の嫌な気持ちと一緒だよ」


「えっとね、この時のヒロインはね……、うーん、あっ、猪俣さんが神楽坂君に固執してたでしょ? 好意を感じなかった? うん、そう、独占欲がありつつ、好意を見せて他者に牽制して――」


 細部までわからなかったキャラの感情が水戸部さんを通して俺に染み渡る。

 そして、俺はその感情を身体で覚える。

 何度も何度も繰り返しネームを描いて、キャラの性格を筆に乗せる。




 家ではお父さんが楽しそうに喋りかけてきた。


「隼人! お前、鬼龍院のやつにダメ出し出されたんだろ? ははっ、ロリコンひよっ子が偉くなりやがってよ。ていうか、ネーム出来たか? ん? 見せたくないって? 本が完成したら見せる、か。いいじゃねえか! 楽しみにしてるぜ!」


 お母さんはそれを見て、優しい顔で微笑んでくれる。



 不思議だった、漫画を通して俺の心が成長している。

 過去の俺の漫画が不完全だと理解できる領域まで達することが出来た――









 俺たちは平塚女史に呼ばれて、あのオシャレ喫茶店の扉を叩いた。

 出口が沢山ありすぎて迷いやすい飯田橋駅から歩いて数分。

 そこにいたのは、縮こまっている平塚女史と、アフロ編集長、そして――鬼龍院竜也であった。


「おう! 今日は完成したネームを平塚に見せるんだろ? 俺たちにも見せろよ」


「……アフロさん、俺はメグルちゃんのお迎えに……」


 鬼龍院竜也先生。

 ペンネーム【桐生青龍】。

 超人気漫画家であり、異世界ファンタジーとラブコメでアニメ化を果たした先生である。異世界的に言うとSSSクラスの化け物作家だ。

 教師と従姉妹が趣味という奇特な先生。


 水戸部さんは編集長と鬼龍院先生の鋭い眼光を正面から受け止める。

 意志の強い眼で睨み返した。


 俺は軽く歯を噛みしめる。あのときの悔しさを思い出す――

 水戸部さんが俺の手を握ってきた。

 何故か心臓の鼓動が早くなった気がしたが、気にしない事にした。


「神楽坂君が隣にいるから絶対負けない――」


 俺は手を強く握り返した。俺は水戸部さんに伝えたい言葉が沢山ありすぎて選べなかった。だから、俺は頷きながら言った――


「――出会えて良かった」





 喫茶店に緊迫感が増す。


「なんだ? あいつら付き合ってんのか? おい、平塚、ちゃんと面倒見ろよ」

「い、いえ、そういう感じでは……、でも、いつもいちゃついて……見てるこっちが胸焼けしそうで……」


 俺たちは手を繋いだまま、書き上げた原稿を机の上に置いた。

 平塚女史が両手でそれを見る。そして、何も言わずに編集長に渡す。

 編集長が高速で見終わって、鬼龍院先生に手渡した――



 鬼龍院先生は他の二人とは違い、じっくりと俺たちの原稿を見る。

 そうだ、これは俺たち二人で作り上げた渾身の原稿だ。



 原稿をめくる音だけが喫茶店に響く。

 鬼龍院先生に変化が起こった。あのページは俺が1ページで心を壊すほどの感情を込めた回想シーン。


 ――その手が震える。


 そして、徐々に一話のクライマックスに迫り、鬼龍院先生の身体が震えだした――

 最後のページを見ている先生は、


 立ち上がって静かに泣いていた――

 涙を我慢せずに流しながら、言葉を放つ。



「…………これ、は、なんてもの、描いたんだ。……俺を廃業に、したいのか? ……おい、涙が止まらんぞ? ここまで、成長しろ、なんて、俺は――言ってない」



 先生は嗚咽を抑えながら大きく息を吸い込んで俺たちに言った。





「――漫画として、最高に面白い」





 シンプルな言葉だけど、俺の胸に染み渡る。

 鬼龍院先生が本気で言ってる言葉だと理解出来た。


「ひぐ……、ひっぐ、神楽坂君っ!」


 水戸部さんが倒れるように俺に寄りかかってきた。

 俺は痩せてしまった水戸部さんを両手で支える。

 水戸部さんの重みが柔らかくて心地よかった。


「ああ、ロリコンを納得させたぞ……、ふ、ふふ、これが、達成感だというのか? ……無性に水戸部さんを抱きしめたい気分だ――」


 俺は笑っているんだろう。水戸部さんを優しく抱きしめながら喜びを二人で分かち合った――

 初めて喜びを叫びたい気分になった。



「まあ、売れるのと名作なのは違うからな。本は出版するまでわからねえからな」

「もう、編集長! 若者を労って下さいよ!」


 俺たちはそんな言葉を聞いていなかった。

 本当に意味で初めて二人で作り上げた作品、まるで二人の子供が褒められた気分だ。

 その喜びは計り知れない。


 俺たちは花園さんが喫茶店に来るまでずっと抱きしあって、喜びを共有した――


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