子供だからって


「そういえば、漫画化……コミカライズが決まってから、なんで進展が無かったんだ? 編集さんもいるだろ?」


「あ、はは……、全然連絡無いんだよね……」


 話を聞くと水戸部さんはコミカライズが決まってから、編集さんと一度だけ電話で打ち合わせをしたらしい。そのあと、数人の漫画家さんを候補に挙げられ、そこから放置されて今に至るわけであった。


「そういうものなのか?」


「うーん、一度だけ連絡あった時は漫画家さんがなかなか見つからないって言ってて……、連絡しても返信ないし……、あ、昨日、編集さんに神楽坂君の事を連絡したから、流石に連絡来ると思うよ」


 俺たちは今日も体育倉庫裏で昼食を食べている。

 まだ汗ばむ気候だから、日差しが当たらなくてちょうど良い。


「そうか、良い返事を貰えるといいな」


「うん……、放課後まで連絡なかったら電話してみるよ」


 水戸部さんはそう言いながらおにぎりを頬張った。







 俺たちが教室に戻ると、ヒソヒソ話が聞こえてきた。


「……水戸部を暴漢から守ったんだって」

「なんか付き合ってるって噂だぜ」

「あいつって京子と付き合ってると思ってたのにな」

「でもよ、あいつなんだっていきなり無愛想になったんだ」

「怖いな」

「あ、美鈴さん……」


 クラス委員長である美鈴が俺の元へやって来た。

 水戸部さんは気まずそうな顔をしている。


「い、いない方がいいのかな? いた方がいいのかな? 神楽坂君……」

「いてくれると助かる。その方が美鈴さんに気持ちがわかるかも知れない」


 美鈴は俺たちのやり取りを見て一瞬だけ怪訝な顔をしたが、咳払いを一つして喋り始めた。


「――えっと、隼人、そ、その、お金……、受け取ってくれてありがとう。……あ、あと、色々……ごめん」


 いつも元気な美鈴さんなのに声が暗かった。

 何に対して謝ってくれたのかわからないけど、きっと悪い事ではない。

 そういえば、今度一緒に帰る約束をしていたけど、それは無理そうだ。


「ああ、特に問題ない」


「あっ、待って、そ、その、前みたいに隼人と仲良くしたいんだけど……、もう駄目なのかな?」


 俺は首を傾げた。


「前みたいに? すまない、お母さんが悲しむから馬鹿にされるのはもう辞めにしたい」


「そ、そんな馬鹿にするだなんて――」


 京子と哲也は特に口を挟んで来なかった。

 俺は話を続ける。


「それに、俺は漫画家を目指すから忙しくなる――」


「ま、漫画? は、隼人何言ってるのよ。……ま、漫画家なんてなれないよ。――なれるはず無いんだよ……」


 なんだか美鈴さんが更に暗くなったが、俺には理由がわからなかった。


「なんにせよ、以前の俺とは違う。無理して俺に話しかける必要ない。美鈴さんには哲也と京子がいるだろ。なら大丈夫だ。それでは――」


「あっ――」


 俺と水戸部さんは自分の席へと向かった。

 水戸部さんは本を開く。

 俺は今の会話に問題が無かったか、頭の中で考えていた――












「えぇ!? な、なにこれ!」


 水戸部さんは俺と一緒に帰る時、スマホを見ながら何故か叫んでいた。


「どうした?」


「うん、とね、編集さんから返事あったんだけど……」


 スマホを俺に見せてきた。

 そこには――


 今まで水戸部さんを担当してくれた編集が突然辞めてしまった事。

 コミカライズの件は編集会議で決まった事だからなくならないが、新しい担当が付いてまたイチから漫画家を探す事。

 漫画家は新担当が探すから、口を挟まないで欲しい、との事だ。


「……ずっと待たされた挙げ句、編集が辞めてしまったのか……、だが、新しい担当さんが付いて良かった」


「あ、ははっ……、な、なんか新しい担当さんがメールをくれたんだけど、文面がすごく冷たい感じで……それに、漫画家さんを勝手に決めるなんて。うぅ……、――ひぃ!? で、電話が来た!?」


 水戸部さんは恐る恐る電話に出た。


「――は、はい、水戸部です……。――は、はい、よろしくお願いします。……え、アニメ経験者の漫画家さんが原作に興味を……、え、ちょ、ちょっと待ってください! か、確認もせずに、勝手にそ、そんな――」


 水戸部さんはその後、電話を切り、肩を落としていた。

 涙目で俺の制服の裾を引っ張る。


「うぅぅ……、神楽坂くん、どうしよう……、へ、編集さんが……」


 大丈夫だ、悪いと思ったが会話内容はすべて聞こえていた。


「これから編集さんに会いにいくんだろ? ――一緒に行こう」


「え? か、神楽坂君!?」


 俺の胸が何故かモヤモヤしていた。

 正直、俺が水戸部さんの漫画を描かなくても、それ以上に素晴らしい漫画家さんが描いてくれればそれでいいと思っている。


『あなたは原作だけ書いていればいいのよ。こっちも忙しいの……。はぁ、なんだって編集会議でこんな子通したのよ……。あいつ無駄な仕事残して辞めて……。いい? あの先生が描いてくれるだけで売れるから文句言わないで頂戴』


 水戸部さんがその言葉を聞いた時、悲しそうな顔をしていた。

 俺はそんな水戸部さんの顔を見たくなかった。


 水戸部さんは笑ってくれた方が素敵なんだ。






 **************





 俺たちの高校から一駅の場所にある飯田橋。

 出版関係の会社が多い場所である。


 その街の一角にある小洒落た喫茶店のテーブル席に俺たちは座っていた。


 縮こまっている水戸部さん。何故か高圧的な編集のお姉さん、平塚ひらつかすみれさん。

 平塚さんは眉間にシワを寄せて水戸部さんに言った。


「――はぁ、なんで同級生が来てるのよ? これだから学生作家は嫌なのよ……。いい、あなたはこれから漫画を出版するの。遊びじゃないの? 部活じゃないのよ? 私はあなたの先生じゃない。あなたが私達の先生なの」


 水戸部さんは縮こまっているけど、目には強い光を帯びていた。


「あ、遊びなんかじゃないです。か、彼は、漫画家候補のです。……前の編集の人が言ってましたが、作家に漫画家さんを選ぶ権利はあるって――」


「だから、ガキの遊びじゃないのよ。少し絵がうまいくらいで漫画なんて描けないのよ? わかる? プロに任せれば丸く収まるわけ。はぁ……、私は今までヒット作をたくさん作ったの。だから――」


 俺の作品をまとめた封筒は机の上に置かれたままであった。


「待ってください、平塚さん! ……見てもいないのにそんな事――」


「いやいや、あなた、まだ出版したことないのに偉そうに言わないで、嫌ならコミカライズを辞めてももらっても――」


 その言葉が水戸部さんの表情を変えてしまった。

 悔しそうで、悲しそうで――


 俺はそんな顔を見たくない。


「失礼、少し口を挟む――、俺は水戸部さんと友達だ。そして、水戸部さんとは創作仲間である」


「……そう、大人の話に子供が首を突っ込まないで。あなたは部外者よ。私は水戸部さんと大人の話をしているの」


 この人の肩書に興味はない。

 俺は水戸部さんの手を握った。


「なっ、いちゃいちゃするなら違うところで――」


 俺は平塚さんの言葉を無視して、水戸部さんに言った。


「……水戸部さん、出版社は一つではない。幸い、編集さんから辞めてもいいと言われた。契約書は交わしていないだろ?」


「う、うん……、まだだけど……」


「なら、一度俺のお父さんに相談して他の出版社に持ち込みをしてみよう。俺は……水戸部さんが悲しそうにしている姿を見たくない」


「わ、私は神楽坂君に描いて貰えれば、どこでも――」


 平塚さんは俺たちを見ながらため息を吐きながら言った。

 そして、水戸部さんに頼まれて俺が描いた漫画が入った分厚い封筒を手に取る。







「ふぅ、はいはい、私も忙しいから辞めてもらっても構わ――、――――――――えっ、な、な、な……、これは――」


 すごい勢いで俺の漫画を見始めた。


「ま、まって、これって、本当にあなたが?」


「それは小学校の時のだ。あっ、今見ているのが中学で、その次が最近描いたものだ」


「う、嘘でしょ? が、画力が高い絵描きは沢山いるけど……、これは漫画がすごくうまい。コマ割り、構成……、こ、これってどのくらいの時間でネームとペン入れしてるの?」


「む? ネーム? それは一体なんだ? よくわからないが、それを仕上げるのには大体一週間でできる」


「はっ? ネームを知らないの!? ちょ、直接ペン入れしてるの!? それに……この分量、クオリティを一週間……ば、化け物だわ……」



 水戸部さんが俺の肩を叩いてきた。

 顔色がさっきよりも幾分落ち着いている。


「あ、あの、は、恥ずかしいから、手、離していいかな? も、もう元気になったから大丈夫! あ、ありがとう。それじゃあ、神楽坂君、行こ。あっ、私のお父さんの店がこの近くだから寄ってこ!」


「ああ、そこで今後の相談をしよう。……お父さんに連絡しておくか。……お、飯田橋にいるのか?」


 俺たちが立ち上がろうとすると、平塚さんが金切り声を上げた。


「ちょ、ま、待って! いえ、待ってください! ごめんなさい、新卒で出版社に入って、ちょっと調子乗ってました!! こ、こんなすごい才能が他社へ行ったら――、私、編集長に殺され――」



 俺のスマホに着信があった。

 お父さんからである。


『おう、ははっ、やっぱり俺の息子だな。お前が本気で絵の道へ進んでくれて嬉しいぞ。ちょうど次のイラストの打ち合わせで近くにいるんだ。ちょっと待て……、ここか――』


 電話が切れると同時に、お父さんが喫茶店に入ってきた。

 お父さんの横にはアフロヘアの男の人がいた。


「神楽坂アレス先生!! そ、それに、ひぃ……、へ、編集長!!!!!!」


 水戸部さんが首を傾げていた。


「神楽坂アレス先生……って、ちょ、超人気イラストレーターだよ!? か、神楽坂君、どういう事!!」


 うちのお父さんはデザイナーのハズだ。俺は幼い頃からそう教わった。

 イラストレーター? そうなのか? 家に作品が無いからわからなかった?


「お父さん? 俺に嘘を付いていたのか? これは……」


「あん? イラストレーターだけど、デザイナーの仕事もしてるから、間違ってないだろ? そっちの方が世間的にはローンを組みやすかったんだよ。はんっ、で、この子が噂の水戸部さんか……、なんだ、超カワイイ子じゃねえか、流石俺の息子だ。原作を選ぶセンスといい、嫁選びのセンスといい、俺にそっくりだ」


「はわわ……、きょ、恐縮です……、えへへ」


 水戸部さんは混乱しているのか、どうやら俺のお嫁さんになってくれるらしい。

 想像してみたら悪い気がしなかった。


「そうだ、お父さん、俺の作品を見てくれ。水戸部さんの作品を描いてみたんだ。平塚さんにはいらないと言われたから……これをどこかの出版社に持っていけるか? 俺は基準がわからんから……」


 お父さんはニヤニヤして、アフロの人の背中を押した。

 すごくいかつい人である。

 アフロの人が俺の作品を両手ですごい速度で見る。

 一瞬で読み終わって――、鬼のような形相になった――



「平塚ーーーーっ!!!!!!! てめえ喧嘩売ってんのか! 創作に年齢は関係ねえんだよ!!! 子供だと思って舐めてんじゃねえよ!! 優秀なてめえがこの原稿の凄さをわからねえわけねえ、見ずに判断しやがったな!!!」



「ひ、ひえ……、ご、ごめんなさい」


「馬鹿野郎!! ごめんなさいって友達じゃねえんだぞ!! 神楽坂君と水戸部先生はうち以外と契約したいって言ってんだろ? この損害はどうしてくれるぅ!!!」


「すみません!! すみません!!  水戸部先生……それに神楽坂君……、さっきの非礼は謝ります……、本当に申し訳ございませんでした。……な、なんなら土下座でも何でもします……、だ、だから――」



 水戸部さんは恐る恐る手を上げた。


「あ、あの〜、わ、私、神楽坂君が描いてくれるなら、どこでも大丈夫です。ど、土下座はされる方が嫌な気持ちになるので止めてください。そ、その、ひ、平塚さんの言い分もわかるところもあるので……、それに、コミカライズを進めてくれようとしていたし――」


「――俺は水戸部さんの作品を描けるならどこでもいい」


 平塚さんが泣きながら水戸部さんにすがりついた。


「あ、ありがとう……、本当にありがとう……、わ、私、首になるところだったわ……」


 お父さんが笑いながら俺たちを見ていた。


「ははっ、俺たちは打ち合わせするが、お前たちはデートでもして帰れよ」


「ふん、平塚にはもう一度研修が必要だ。……打ち合わせのあとで編集長室へ来い」


「はひぃーー!! わ、わかりました……、ご、合コン……間に合わな……」


 水戸部さんは柔らかい笑みを浮かべていた。

 俺が作画として水戸部さんの作品を描く事ができる。

 水戸部さんの気持ちが俺に伝わってきた。


 安堵と、喜びと、少しの不安。

 俺は水戸部さんの手を握ってみた。


 驚いた顔をしたけど、嫌そうな顔ではなかった。

 そして、水戸部さんから不安が見えなくなっていた。


 俺に笑顔を向けてくれる――

 そうか、俺はこの笑顔を見たかったんだ。


 その笑顔を見ているだけで――俺はふわふわした気分に……、これは……し、あわせ、という感情か?


「あっ、神楽坂君も笑ってる。えへへ、良かったね、一緒に漫画を作れる事になって――」


「ああ、よろしく頼む、水戸部さん――」



 俺たちが店を出る時、お父さんが声をかけてきた――



「お前ら最強の漫画家コンビになれよ! ――隼人、漫画デビューおめでとう!!」


 俺は振り返って、お父さんに喜びを伝えるために、笑いながら手を振った。

 何故かお父さんは俺のその姿を見て――


「……マジか……母さん、本当だったんだ……、水戸部ちゃん……ありがとう……、隼人、頑張ったな……、うぅぅぅおぉぉぉぉぉ……」



 号泣していた――



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