罪悪感は消えて無くならない


「……隼人が同級生を連れてくるなんて久しぶりね。待っててね、今お茶を入れてくるわ」


「は、はぃ、お、お構いなく……。あ、あれ? と、友達って来たこと無いって……」


 台所に向かったお母さんは何だか少し疲れた顔をしていた。……水戸部さんの事を歓迎していないのか?

 いつもと違う空気を感じる。


「京子さんたちが家に転がり込んだ事があった。あれは招待もしてないし、突然だったし……、友達と認識していなかった」


 そうだ、あの時はわからなかったが、京子たちが帰った時もこんな顔をしていた。

 悲しそうで、どうしていいかわからないような顔で俺を見て――


 水戸部さんは困った顔をしていた。


「そうなんだ……」


「その時、家を散らかして帰ったからな。片付けが大変だったんだ」


 ――今までそう思っていた。だが、あの時の京子たちは俺で遊んでいた。馬鹿にしていた。……お母さんはそれを見て……、嫌な気持ちではなかったのか?


 今まで感じたことのない――お母さんの気持ちが少しだけ分かった気がした――





 お母さんはお茶を持ってリビングへ戻ってきた。

 俺はお母さんを見つめる。


「――あまり嬉しそうではない? ……何故だろう? 俺が……笑っていないからか? 大丈夫だ、馬鹿になんてされてない。水戸部さんは――」


「えっ、隼人……、あなた、敬語……じゃない。それに……、わ、私の気持ちがわかるの?」


 変な質問だと思った。俺はずっと普通のふりをしていたんだ。お母さんの気持ちを推測して行動していた。だから――、大丈夫だったはず――


 水戸部さんが恐る恐る手をあげた。


「……やっぱり、お母さんは気がついていたんだよ、神楽坂君」


「気がついていた? 俺が……普通のフリをしていたことを? それは本当か? ならなんで言ってくれなかったんだ?」


 お母さんは目に涙をためていた。

 また泣かせたと思った。

 だけど、出てくる言葉が違った。


「――っ……、わかってたわよ。あなたは私の大切な息子よ。……いつか、ちゃんと言ってくれるまで待ってたわ。……お友達……、初めて連れてきてくれたね? その子のおかげなのかな? ……私、お母さんなのに、何も出来なくて――、うぅ……うぅぅ……。隼人が……、私の気持ちを分かってくれた……、うぅぅ……」


 水戸部さんは俺に向かって言ってくれた。


「きっと嬉しいんだよ。神楽坂君が本当の事を喋ってくれて――、お母さんを心配してくれて」


「そうか……、なら全部話そう――、お母さん、俺は――」





 俺はお母さんに隠して普通のフリをしていた事を伝えた。

 お母さんは静かに聞いてくれる。なんだろう、水戸部さんが横にいてくれるだけで、話がしやすい。


 友達がいなかった事、中学の時にいじめられていた事、水戸部さんと出会って人の感情が少しだけ理解出来た事――


 お母さんは立ち上がって、水戸部さんを柔らかく抱きしめた。


「ふえ!?」


「……ありがとう……、誰も、隼人を治せなかったのに……あなたが……、本当にありがとう――あなたは恩人よ……」


「わ、私じゃなくて、私の小説のおかげで――」


「あら、小説書くのね。……なら隼人の部屋に行きなさい。きっと驚くわよ」


 お母さんは水戸部さんから離れて俺に向き直った。


「……本当はずっと心配してたのよ。だって、あなた……いつも制服が汚れていて、それなのに笑っていて……、あなたが同級生から馬鹿にされている姿を見て……、悔しくて、悲しくて……。関わっていいか悩んでいたの。どうしていいかわからなかったの。でも、あなたはちゃんと自分と向き合ってくれた。――私、あなた達の事全力で応援するわ」


「ああ、水戸部さんは可愛らしくて素敵な女性だ。……む? 俺が女性に対して可愛いと思うのは初めてではないか?」


「あら、幼馴染の京子ちゃんは?」


 お母さんは顔をしかめながら言った。あまり京子の事が好きじゃないと感じる。


「――興味ない」


 お母さんはなぜか笑っていた。正直何が面白かったかわからないけど、笑っているお母さんを見ると……、心拍数が安定していく。


「ね、ねえ、恥ずかしいから早く神楽坂君の部屋に行こ!」


「ああ、二階にある。お母さんも来るか?」


 お母さんは笑いながら首を横に振って、俺たちに早く行くように促した。









「うわーー!! すごいっ! 漫画が一杯だ!!」


 水戸部さんは俺の部屋に着くと、大きな目をキラキラと輝かせていた。

 俺の部屋は本棚と画材で埋め尽くされている。最近はお父さんのお古のペンタブレットで絵を描くことが多い。

 壁には所狭しと俺が描いた絵が貼られてある。


「ああ、お父さんがデザイナーという仕事をしているから、子供の頃から漫画やイラスト集が家に沢山あった」


「す、すごい、わ、私のお父さんなんて、お菓子しか作れない……。あっ、お菓子屋さんやっているんだ」


 水戸部さんはそう言いながら俺が描いた絵を真剣に見ていた。


「……これって、模写だよね? ……すごい、そっくりそのまま描かれているよ。えっ、このノートって……」


 俺は漫画を模写するのが好きだった。

 水戸部さんは俺が漫画を模写したノートの一冊を手に取った。

 パラパラとページを捲る。


「……あ、あの、なんて言えばいいのかな? これ全部、漫画を模写したの?」


「ああ、子供の頃からのルーティーンだ。漫画を写しながらその場面の感情を勉強していた」


 俺が模写した漫画は多分数千冊にも及ぶ。

 丸々一冊分を模写する時もあるし、気に入ったシーンを模写する時もある。


「そこにあるのは小学生の時のものだ。……俺はオリジナルの絵が描けなかった。水戸部さんの小説に出会うまでは――、これを見てくれ」


 俺はパソコンを起動させて描きかけのイラストを水戸部さんに見せた。

 それは、俺が初めてオリジナルの漫画として描いたものであった。

 まだ数ページしかないが、本能の赴くまま描いたものだ。


 水戸部さんはそれを見て固まってしまった。


「あ……、なにこれ……、すごい、私のキャラが生きている……、あはっ、ヒロインが想像通りの姿だよ。……このキャラは全然描写してないのに――」


「……正直にいうと、物語の面白さを理解できた漫画や小説はなかったんだ。――だが、水戸部さんの小説だけは、俺の心に何か響くものがあったんだ。すまない――」


 水戸部さんは鼻をすすりながら俺に言った。


「ぐすっ……、ううん、すごく嬉しいよ……、あっ、私の最新話、もう更新できるから……、い、一緒に推敲しながら、み、見ない?」


「ああ、もちろんだ」


 不思議な時間であった。

 共感性が無いはずの俺が、水戸部さんが楽しんでいると感覚でわかる。

 きっと、俺も楽しんでいるように見えるのか?


 水戸部さんはよく喋り、よく笑い、凄まじい速度のタイピングで小説の書き方を教えてくれた。

 普通だと思っていた今までの俺の世界は違っていたんだ。

 俺は今日、世界が色づいた気がした――








「あら……、隼人が笑ってるなんて……もしかしたら初めて見たかもね」


 夕飯の時間になり、お母さんが俺の部屋にやって来た。


「水戸部さん、夕飯はどう? そろそろお父さんも帰って来るし、大歓迎よ」


「い、いえ、そんな、わ、悪いです……、もう時間も遅いですしそろそろ帰ります」



 水戸部さんは帰り支度を始めて、俺は水戸部さんの家まで送るようにお母さんから言われた。

 お母さんは笑顔で水戸部さんに何度も手を振って見送る。

 水戸部さんの家までは歩いて十分程度だが、夜道は危険だ。カケルみたいな男が現れたら警察に突き出さなきゃな。


 俺たちは夜道を二人で歩く。

 水戸部さんが無言であった。何かを考えている様子である。

 なんだろう? 聞いたほうがいいのか?


「水戸部さ――」

「神楽――」


 二人の言葉が重なってしまった。

 水戸部さんが再び無言になる。


「どうしたんだ? なにか嫌な事を思い出したのか? 京子の事か?」


「あ、い、いえ、あ、違うんだ。……すごく葛藤があって……、わ、私、せっかく神楽坂君と友達になれたのに……、り、り、利用するような事を考えて――」


 俺は首を傾げた。


「利用? 俺を? 何にだ?」


 水戸部さんが深呼吸をする。

 何かを決意した表情であった。そんな水戸部さんの顔がすごく……なんだろう? キレイに――、違う、可愛らしい、違う――、よくわからないけど、目が離せなかった。


「わ、わ、わ、私の小説の……漫画を描いてもらえませんか……?」


「なんだ、そんな事か。お安いご用だ。とりあえず100ページほど好きに描いていいか? 一ヶ月あれば――」


 水戸部さんは首を振った。


「ううん、違うの。私、中学卒業の時期に出版社さんから連絡をもらって……、コ、コミカライズ……、小説の漫画化を依頼されたの」


 それはすごい事だ。

 出版社から依頼が来るなんてプロみたいだ。だが、中学ということは半年前ほどだ。

 半年間も漫画家さんがまだ決まっていないのか?

 それに俺は素人だ。そんな俺に?


「え、えっと、か、神楽坂君と、一緒に漫画を作りたい。……すごくわがままかも知れないけど、あの絵を見たら、神楽坂君しか――」


「……水戸部さん、なんでそれが利用になるんだ? 俺に説明を――」


「だ、だって、せっかく友達になれたのに、まるで神楽坂君の絵が目当てみたいに思えるし……、わ、私は、神楽坂君が……とてもいい人で、そんなの抜きで友達として付き合いたいし……、考えたらわからなくなって……」


 俺は即答した。


「――よし、流れはいまいちわからないが、これからは俺たちは友達であり、創作仲間だ。だから遠慮はするな。俺は水戸部さんの絵を描きたい。そんな申し出は願ったり叶ったりだ」


「神楽坂君……、あ、ありがとう……、へへ」


 やっと水戸部さんが笑顔になってくれた。

 俺は胸をなでおろす……? 安心したのか? 不思議な感覚だ――



 そんな事を話していると、すぐに水戸部さんの家の前に着いた。

 予め連絡しておいたのか、水戸部さんに似ている小さな女の子が玄関前に立っていた。


「あっ! お姉ちゃん遅いよ! 今日のご飯はお姉ちゃんが大好きなすき焼きだよ! ――はわわっ!? お父さん! お姉ちゃんが男の人と! 警察呼んで!」


「なに! 楓につきまとう男か! ぶち殺してやるぞ!!!」


 水戸部さんは「ち、違うよ! か、神楽坂君は――大事な友だちだよ!! お父さんのバカ!!」と言いながら説明を始めた。


 水戸部さんのご家族は俺に何度も謝りながら、俺を食卓に引きずり込もうとした……。

 流石にお母さんがご飯を用意している。次回の約束を取り付けて、苦笑いしている水戸部さんと別れた。







 一人で歩く帰り道、俺はまた胸にぽっかりと穴が空いた気分になった。

 ……不思議な感覚だ。みんなこれが普通なのか?


 この感覚をどう処理していいかわからない。だけど、悪い気持ちではなかった。

 別れ際の水戸部さんの笑顔を思い出すと、胸の穴が少しだけ埋まる。

 ――やはり俺にとって重要な人だ。


 水戸部さん俺を利用していると言ったが、俺の方こそ利用しているだろう。

 水戸部さんのおかげでお母さんの本心が聞けた。

 今日はゆっくり家族と話してみよう。




 人影が見えた。

 俺には関係ない人だから気にせず通ろうと思ったが、声をかけられた。


「おう、隼人、お前あのブスと付き合ってんのか? マジ笑えるんだけど――」


「哲也……」


 この近くには京子の家がある。きっと遊んだ帰りで哲也が家まで送ったんだろう。


 哲也はなぜか苛ついた顔をしていた。


「はっ? 哲也君だろ? ……ていうか、マジむかつくぜ。京子はお前の話しばっかりだしよ。……美鈴もお前と話したいって泣いてるしよ。くそっ」


「哲也、陰口はやめろ。自分が小さく見えるぞ」


「へっ、てめえは今まで嘘ついてたんだろ? 普通のふりをした異常者がよ……。京子の事傷つけやがって……」


 俺は理解が出来なかった。

 何故哲也が怒っているんだ? 京子の話は今はしていない。

 というよりも……、俺は哲也とどんな話をしたことがあるんだろうか?

 教室にいたときは他愛もない話しかしたことがない。


 ――教室の出来事は、俺と京子の諍い。……哲也が入り込む余地は……。


 頭の本棚が一冊の本を選択した。


「――ああ、そうか、君は京子の事が好きなんだな? だから……これは嫉妬という感情か?」


「はっ!! ち、ちげえよっ!! 俺は別に京子の事なんて……好きじゃ……。くそ、何なんだよ、お前はよ……、俺より下の人間じゃなかったのかよ!! なんで俺はお前と目が合わせられねえんだよ! お前が怖えんだよ……、なんでお前は平気な顔してんだよ。お前に文句言おうとしても出来ねえんだよ……」


「……今、文句をいってるではないか? それに、撤回してもらいたい言葉がつ二つある。――俺は少しだけ人の感覚が分かってきた。まだまだ勉強中だが、異常者と呼ばれたら……お母さんが悲しむ。――あと、水戸部さんはブスではない。とても可愛らしくて人間味が溢れる人だ」


 哲也が引きつった顔をした。何故怯えるんだ?


「ひぃ……、し、知れねえよ……。――お前、怖くねえのかよ、学校でクラスメイトにいじめられるかも知れねえんだぞ? 嫌がらせを受けるかも知れねえんだぞ? なんでそんな達観してんだよ!! 一人だけ大人ぶってんじゃねえよ!! はぁはぁ……くそ」


 俺は夕飯に遅れたくないから、家に向かおうとした。


「……おい、待てよ。……これ受け取ってくれ。……お、俺じゃねえぞ、美鈴がどうしてもっていうから……」


 俺は哲也から封筒を受け取った。感触的にお金が入っている。

 今まで立て替えた支払いだろう。


「――確かに受け取った。じゃあ、またあした――」


「な、なんで怒らねえんだよ……、俺たちは金をせびってお前の事を馬鹿にして――」


 俺はなぜか水戸部さんの笑顔を思い出した。そうすると心が落ち着ける。

 今までの哲也を分析して、俺の率直な意見を伝えるために口を開いた。



「――俺が観察した哲也は――、お調子者で女の子が好きで、好きな子に意地悪をして、明るくて、自分を強く見せたくて、普通のフリをしてもどこかおかしかった俺と話してくれたり、カラオケや遊びに連れて行ってくれた人だ。――だから確信している、哲也は本当に人が嫌がる事はしない、口だけだ――」



 哲也は固まってしまった。

 手に持っていたカバンを地面に落とした。


「――な、なんでだよ……、お、俺と京子が悪いのに……、謝りたくても……謝れねえ馬鹿な俺なのに……、あ、う、うぅぅ…………」



 なんで泣いているかわからないが、哲也から少しだけ人間味を感じられた。

 俺は咽び泣く哲也を置いて、家族が待っている家へと向かった――


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る