独立するLove 1

風よ、吹け、吹け、吹き飛ばしてくれ!眼前に続く道、私はこの道をあと60年、いや場合によっては80年ほど歩かなくてはいけないだろう。急な登坂や下坂、石ころやくぼみだってあるかもしれない。しかしそのどれもが私の歩みを止めるほどの妨げにはなりはしない。彼女は足枷となって私を苦しめる。しかし私は歩けてしまう、渾身の力で引く必要もない、それではすぐに力尽きてしまう。歩き続けられる限界の重り、それが彼女だった。ただ、今の私にはこの足枷がなければ生きて行けそうにない。心地よい風に散る花のように、私も散らしてほしい。吹け、風よ!彼女に初めて会ったのもこんな風の吹く日だった。


九月の末の、校舎の裏には季節ごとに花をつける様々な植物が植えられている。この学園の所有する土地は広大であり、校舎裏といっても充分に日光を確保できるのだ。じっさいの開花は夏ごろではあるが、夏休みに学校に来ていない人からすれば、名の通り、秋といえば、秋桜である。かなりの面積が花壇として使われており、そこからあふれんばかりの柔らかな緑を、パステルカラーの花弁が彩っている。そよ風が吹くたび、まるで合唱しているかのようにその身を揺らすのをみると、夢見心地な気分になるものだ。そして千秋もまたその一人であった。早朝の廊下には彼女以外の姿はない。彼女の教室は三階に位置していたが、ここからの眺めはまたひとしおである。そんな景色に耽溺していると後ろから声がかかった。

「あら、谷崎さん、少しお時間いーい?」

千秋はまだ半ば花壇に意識を残したまま、ゆっくりと振り向く。一年の生徒指導であり、生徒会の顧問も受け持っている山下先生であった。お嬢様学校らしい丁寧な言い回し、そして幼児に話かけるかのような緩慢な口調に、いつも千秋はうんざりしていた。はあ、とあいまいにつぶやく。

「後期の生徒会がそろそろ発足するの知ってる?こないだ生徒会長と副会長の信任投票が行われたと思うんだけどー」

「ええ、知ってますよ」

「そうよねー。率直に言うと生徒会は今、深刻な人員不足でー、誰か加入してくれそうな子を探しているの」

どこが率直なんだ、と千秋は思う。もちろん口には出さないが。

「生徒会のメンバーは前任者の指名によって決まると聞いてますよ」

「うーん、まあ表向きには肯定しづらいけどね。ただ今年から外部性が入ってきたでしょう?その分生徒会の仕事も増えて、前期はとっても苦労したから、新しい人を入れようって話になったのよ。そこでなんだけど、実質今の生徒会は、上の学年の人が来期に自分のポストに一つ下の後輩を指名する、いわば持ち上がり式なのね。つまり一年の頃生徒会に入ると、そのまま3年までやることが普通なんだけどー、そうだとすると、あなたたちが卒業するまで、外部の人は一度も生徒会活動に参加する機会があたえられないことになるじゃない。それは問題だってことになってー、もう一人加えるなら絶対外部性がいいってことになったのよ」

「であったら参加希望を募ればいいじゃないんですか?」

「外部生だけを募集なんてしたらそれこそ反感をかうわよー。そもそも生徒会は前期課程から続けてやる人が多いから、この時期からやりたがる子はそういないのよね

「そこでなんだけどー、谷崎さん、あなた部活にも入ってないわよね?それに成績も素晴らしいし、私は適任だと思うんだけどなー」

はあ、と生返事をする。別にやりたいわけではなかった。が、断る理由もなかった。生徒会のメンバーに外部生を入れる、というのはおそらく体面上の理由であって、内部と外部の橋渡し役として期待されて、というわけではないだろう。ただこの話をされたとき、ほんの少しだけ楓の顔を思い浮かべた。私と彼女の間にある確執は、内部生と外部生であることから生じたものだろうか。もしそうだとしたら...

「いいですよ、やっても」

「ほんとう!ありがとー!」

そういうなり山下先生は足早に立ち去った。そしてふたたび廊下には千秋ひとりだけ。ノーウェアーが彼女の心に侵入してきて、どんどん広がっていく。すでに彼女は引き受けたことを後悔し始めた。


「あなた、生徒会に入るってほんとですの?」

数十分後、千秋、景、渚の三人で談笑していたところに楓が現れる。

はあ、最近はつねにため息をついているような気がする。いったいこうもはやくどこから情報が漏れたのだろうか。

「さっき山下先生とすれ違ったとき、聞きましたわ」

どうしてわざわざ君に言うんだ、と千秋は思ったものの、どうしても喋るのが億劫で黙ったままでいた。

「たしか千秋さんも生徒会入ってるんだろ」と一緒にいた渚が口をはさむ。

え、とおもわず千秋が声を発する。

そうですわよ、と楓が千秋の動揺具合に笑いを漏らしながら答える。

「知らなかったのかよ、てっきりあんたらが親睦を深めたものだと思ってたんだが」

「ちょ、ちょっと待ってくれよ、君が生徒会?全くそんな素振りなかったじゃないか...」

「どうしてあなたにいちいち言わなくちゃいけないのよ。わたしだってあなたがはいるって聞いたときは驚きましたわ」

千秋は頭を抱え込んだ。彼女がいるなんて聞いてないぞ。彼女がいてうまくやっていけるはずないじゃないか。たまにあってほんの少し話し合うだけでも喧嘩になるっていうのに...

「三島さん、嫌なの?」と景は真面目な顔つきで尋ねる。渚が驚きを表して景を見つめる。景が自分から親しくない人に話しかけるのは珍しいことだ。

「嫌ですわよ、もちろん」

座ったままの千秋が、まるで瞼の上になにか不快な塊がこびりついているかのように、じっと視線を集中させる。普段ではとっくに怒りを爆発させているところだろうが、住み着いた自己嫌悪が蛇の形をして、怒りを飲み込んでいるようだ。蛇が大きな体でそこらじゅうをはい回り、千秋の心のうちを滅茶苦茶にしてしまったせいで、どうしようもなく無気力だった。ただ光にだけは敏感で、それで今朝も誘いに乗ってしまったのかもしれない。ただ、いまとなってはすでに光は途絶え、千秋は地面にたたきつけられた心地であった。景は千秋の瞳に悲しみをみてとった。そしておそらく楓はそれに気づかないであろうことも。彼女の純真さはまさにその部分から生じたものだろう。この不感症ともいえる性質が、これまでさらされてきた様々な非難や、その美貌、頭脳に注がれた妬みから子供らしい残酷な純真さを守ってきたのだろう。

「私が千秋さんを嫌っているの知っているでしょう」

千秋は押し寄せる大波に耐えられなくなったかのように、ただ黙ってその場を離れた。激しい猛攻を期待していた楓は、困惑して立ち尽くしていた。


四限前の休み時間に、千秋は再び校舎裏を眺めていた。

「あんまり気を落とさないでね、彼女も本気で言ってるんじゃないと思うの」

と景が声をかける。

きれいねえ、と千秋が肘をついている窓と同じ窓から外をのぞいた景が、おもわずつぶやく。

「そろそろ授業始まるわよ」

ああ、と声を漏らすが千秋は動こうとしない。

「どうしたの」

「あれ、おんなじクラスの山端さんじゃないか」

景は千秋の指さす方向を探すがなかなかみつからない。生垣の向こうだよ、といわれようやく発見できた。山端はまるで校舎からの視線を切るように生垣を背に座り込んでいる。

「おーい、山端さーん、授業始まるよー」

と千秋が呼びかけると、山端は焦りをあらわにして左右を見渡したのち、声の出所を見つけると、腕を大きく交差させ、バツ印をつくってみせた。

「そういえば彼女ときどき授業に出てないときがあるわね。あそこでさぼってたんだわ」

千秋がそっと景の肩に手を廻す。

「な、なに」

「高校生時代、誰もが憧れるのに結局やらずじまいなこと第一位って何だと思う」

景が怪訝そうに肩の上の手をみる。

「授業さぼることだよ」





























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