幕間 

猛暑は過ぎ去り、吹く風は遅いおとずれとなった秋のものである。学園はどこか浮ついており、生徒は教室に出たり入ったりを繰り返しながら、ひっきりになしにしゃべる相手を変えている。誰もが誰かの陽気さを伝播させようとするかのように、明るさを振りまいているようだが、よく観察することができれば、それなりの人数の笑顔には影が落ちていることに気が付くだろう。

「ねー千秋、順位表みた?張り出されてるみたいよ」景は椅子に浅く座り廊下側へと足を投げ出したまま、千秋のほうへと身体を乗り出し、聞いた。

「まだみてないな」すでに癖となっている、頬杖をつき足を組んだ姿勢の千秋が答える。

「みにいかない?」

「渚は?来てないのか?」千秋は教室内を見渡したが、渚の姿はなかった。

「あいつはいてもいなくても一緒よ。50位までしか発表されないんだから」

「君は渚のことになると冷たいね」

「そうかなぁ」

不服そうに感じながらも、どこか思い当たる節のあるようで積極的に反対できないでいる景をみると、千秋は微笑み、立ち上がる。

「少しばかりうらやましく思うときもあるけれど」

と言うなり千秋は、景に先立って廊下へ向かって歩いていった。

残された景は考える。千秋との仲にはどうしても踏み込めないところがある。私も、千秋も、お互いもっと仲良くなることを望んでいるにもかかわらず。私たちは見つめあって歩み寄ろうとするけど、ガラスの壁に阻まれてしまう。なんとか近づこうとガラスに沿って歩いてみても、壁は彼女を中心に取り囲んでいるから決して出会うことはない、みたいな。そしてその壁を築いているのは、彼女自身だ。ただ何が彼女をそうさせるのかはわからない。


「すごい混んでるな」廊下は大勢の生徒でにぎわっていた。テストの順位表を囲むように人だかりができており、祭り事でも行われているかのように、押しのけあったり、背伸びをしてみたり、もみくちゃにされたりしていた。

「あ、ほら一番上!」とてもこの乱痴気騒ぎには入って行けそうになかったが、千秋の順位を知るだけならば、少しばかり離れたところからでも事足りるのであった。

「私だね」

「私だねって」

「そしてその下に、私、三島楓の名前が」

二人が振り向くと、そこにはシニカルな表情を浮かべた楓の姿があった。

「ああ君、残念だったね」

「太宰風に言わせてもらうと、殴るわよ」

「まあ、二位ならすごいじゃないか」

「あなたって本当にむかつく人ですわね」

「たった4点差だよ。運勢が私に味方したみたいだね」

「ふん、次はどうなることかしら。時の流れが運命の水車を廻しますわ。最上位は下がり、下位は上がる」

「ははは、シェイクスピアかな」

「それに科目別成績をごらんなさい。11教科それぞれで勝敗をつけるなら私の6勝5敗ですわ」

「なるほどねえ。どうやら君は数学が苦手なようだ。大きく足を引っ張っている」

「重々承知ですわ。逆に数学さえ伸ばせれば、あなたなんて、お話になりませんわ」

「そのころには私は他教科を伸ばすんじゃないかな。あと数時間、勉強すればもう少しとれたと思うけど」

「数時間?あなた一体どれくらい勉強してたんですの?」

「各教科2,3時間くらいじゃない。授業はわりかし真面目に聞いてるから」

楓には顔に浮かんだ衝撃を、多少なりとも隠す余裕すらなかった。ただ呆然と立ち尽くし、そして自意識を取り戻すと、取り乱した自分を深く恥じ入るようであった。


「どうしてああいう意地悪を言うわけ?」景が厳しい表情で問い詰める。すでに楓は去った後である。

「いじわる?」

「二位でよかったとか、数時間しか勉強してないとか」

「ああ、うんそうだね」

千秋は呆けているようにもみえた。ただ罪悪感は感じているらしく、落ち込みがちであって、霧散してしまった思考を必死に取り戻そうと苦心しているようであった。

「自分でもわからない。傷つくかもと思ってもいうのをやめられないんだ。人というのは理性こそがその人たらしめているかのように考えがちだけど、むしろ逆であって、潜在的欲求や生まれ持った特性を抑圧する後天的に身に着けた社会規範や集団性こそが理性なんだと思うよ。ただ彼女のことになると、私の理性は全く働かなくなって、いや働かないというより、なんというんだろうか、対岸から呼びかけられてはいるが、距離が遠いのか、川音が激しいのか、呼びかけられているのはわかるが、まるで何を言っているのか聞き取れない。だからなんだろうね、私が彼女を苦手なのは。彼女もどうしようもなく私が憎いんだと思う」

千秋は、しどろもどろに浮かんでいる言葉を、糸の通った針で一つにまとめようと苦心していた。順序を間違えたり、間違った表現を用いてしまったようにも感じた。ただ適切な理由を組み立てられる気はしなかった。明らかに言葉が足りない、それに見合う表現が存在しているのか、それすらも定かではない。そこにあるのはカオス、あらゆる感情の複合体にもみえるし、全く新しい感情のようでもあった。パレットの上の、様々な色が混ぜ合わさってつくられた黒と、チューブから出したての黒とが見分けられないように。そしてその感情の解析には恐怖が付きまとう。目を向けるだけでも恐ろしい。古来から闇には魔物や幽霊が住み着くのだ。

「私には三島さんがあなたを嫌ってるようには見えないわよ」

「え?君は人を見る目がないんだねえ」景の発言に千秋は身を引っ張られた思いで、はっとしてこたえる。

「そしてあなたもね」景の、小鳥のため息のようなつぶやき、これは誰の耳にも届くことはなかっただろう。

















































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