『言語交錯』序——「都市」から「言語」へ

ukiyojingu

序——「都市」から「言語」へ

※本記事は『言語交錯』に付録する小冊子のnote版あり、pdf版が音源を買われた方には付録としてついてきます。

作品集『言語交錯』

Bandcamp : https://ukiyojingu.bandcamp.com/

Booth : https://ukiyojingu.booth.pm/items/2856870


アルバムクロスフェード:https://nico.ms/sm38510585


 2021年2月、東京新宿の都会をホテルで見ながら、この文章を書いている。生涯で3度目のこの都市はまだ馴染みないために毎度圧倒的規模に驚愕しているが、人通りは昨年より少なく感じた。朝ラッシュ時間帯で新宿から丸の内線に乗ったが、比較的空いていたように思う。出張のため観光はできず、加えて緊急事態宣言も発令されていたため、基本的にホテルと訪問先の往復だったが、少しだけ時間を作って秋葉原に立ち寄った。15年ぶりに秋葉原に来たが、以前に来た時と比べて、自分が思っていた「アキバ」のイメージからすると何か肩透かしを食らう感覚を覚えた。


 私にとって秋葉原は2ちゃんねる的なオタク文化の拠点というイメージがあり、その秋葉原という都市に対するイメージは今も昔も大して変わってないだろう。当時小学生の私は2ちゃんねるなどで書き込みすることはなく、いわゆるオタク文化にどっぷりつかった人間ではなかった。それでも、それでも『電車男』や『恋のマイアヒ』をリアルタイムで経験し、秋葉原とインターネットが中心となってこれから大きく世の中が変わるという漠然とした期待を持っていた。15年前、オタク文化に詳しくない自分はただ漠然と秋葉原を楽しんだだけだったのだが、私が降り立った2021年の秋葉原には歩行者天国はなく、一見すると何かオタク文化を代表するような特徴的な何かがあるとも思えないような、小綺麗なビル街でしかなかったのだ 。


 2000年の文化拠点としての「アキバ」はどうして、小綺麗な都市「秋葉原」となったのだろう。想定されうる理由として、昔の「アキバ」ならではのオタク文化が15年を通して全国各地で展開されたことが関係していると思う。私が今住んでいる京都に目を向ければ、古くから寺町通りに面し小さな電気街があり、その近くにはいわゆるオタク向けのチェーン店が複数あった。より視野を大きくとれば、大阪日本橋近辺が急速にオタク文化の西の拠点のようになっていったのは、丁度私が秋葉原初めて立った時期くらいだったと思う。かつての「アキバ」名物のメイド喫茶は全国に拡大し、また秋葉原でのみ買えた精密な電子部品なども、今やAmazonを利用すれば、最速2日で届くようになってしまった。歩行者天国なく、少し綺麗になった「秋葉原」は、路上でハルヒのコスプレ集団がゲリラ的に「ハレ晴レユカイ」を踊ったかつての「アキバ」から大きく変わってしまったのだろうか。


 しかし、私はその中でもある点を通して、かすかに「アキバ」を感じることができた。秋葉原に向かう山手線の中で、私は2008年に起きた秋葉原連続殺傷事件を調べていた。数多くの事件や震災に埋もれてしまったことによって過去の事件のように見なされることも多くなったこの事件だが、私にとっては『電車男』的な文化拠点的イメージであった「アキバ」が音を立てて崩壊するような感覚を覚え、それゆえにかなり大きな印象を私に残していった。私は決して慰霊のために秋葉原に向かったわけではなかったが、ある種の「聖地巡礼」を通して、「秋葉原」ではなく「アキバ」に触れることができたのだった。だが、当時大型トラックが突っ込んだ場所を調べてそこに向かってみたものの、特に石碑や慰霊碑などが大きく立っているわけでなく、ただの一角であった。当時大きく報道され書籍も発表されたほどの影響を与えたのだが[2]、13年前の事件であるという社会的事実だけでなく、私も幼かったゆえに深く印象に残っていただけだったのだろうか。かつてトラックが突っ込んだその場は今では多くの人が行き交うだけの空間になっていたが、それでも、その一角は私にとって綺麗な「秋葉原」ではなく、ゼロ年代のネット文化とともに育った「アキバ」を連想させるものであったのも事実だ。繰り返しになるが、2008年の事件という私が目にした衝撃とその痕跡を求めながら、私は「秋葉原」で「アキバ」に遭遇することができたのだ。


 世代的に「アキバ」を肌感覚で知らない私にとって、13年前の連続殺傷事件は小綺麗な「秋葉原」から「アキバ」の文化的痕跡を見いだしてくれた。だが多くの人にとって13年前の事件は過去の話だ。無論、私の肌感覚でしかないのだが、それでも「アキバ」的な文化が全国的に広まり社会から認められていくことによって、かつての「アキバ」という都市の特徴的な文化は失われ、残ったのは小綺麗な「秋葉原」だけなのではないだろうか。独自文化が輸出され、独自性を失い、それに伴い多くの要素が均一化され、異質なもの、特徴的なものが無くなってしまった都市、綺麗な「秋葉原」。そこには、何が残っているのだろう。無論、そこで「アキバに戻れ」という回顧主義的な主張は全く生産的ではない。だが、かつての「アキバ」のような独自文化を今の「秋葉原」から見いだすためには、何か別の手法を用いた都市の切り取り方、別の都市の語られ方、文法との衝突が必要なのではないだろうか。秋葉原連続殺傷事件という私なりの記憶をもとにした秋葉原の語り方、文法を用いて、私はかつての「アキバ」を夢想した。ここで私たちは決して「アキバ」にいたる必要はないが、私たちが都市に対して何等かの語り方、文法を維持しなければ、私たちの都市は完全に無機質になってしまう。それはまさに、無機質かつ小綺麗な「秋葉原」である。環境によって制御されつくされた都市の中で、私たちはどのようにして新しい文化を生み出すことができるだろうか。


 都市の文化を維持するため、その記述方法、文法を変えること。その方法はあるいは、従来の語り方を逸脱する点で疎外を受けるだろう。2008年の事件が完全に忘れ去られたとき、私の文法は完全に孤独なものになるのかもしれない。しかし、あるいは私が今回行ったような忘れ去られた聖地巡礼は、都市の記憶と文化を維持するために必要なことではないだろうか。「アキバ」の個性が消失し「秋葉原」という量産化された街になっていく過程が仮にあるのなら、この孤独はきっと均一化と無機質化に抵抗するものとして、そして過去の想起と現代を衝突させる形で「新しい文化」を生み出すために、必要なことではないだろうか。


 疎外された文法、孤独な言語によって新しい語られ方、コミュニケーションを生成する。「言語交錯」は外部に位置する存在、別様の視点によって、私たちの在り方の輪郭を作り上げるための思想であった。だが一方で、そのような「孤独」には限界がある。なぜなら、言語の外側の世界、言語で表現しようのないようなものを言語で表現しようとしている行為それ自体が、矛盾を抱えるからだ。


 ここで私は視点を変え、言語と文法の限界についての議論を哲学史より見出してみたい。20世紀の文学者ロラン・バルトは『零度のエクリチュール』という著作を通し、新しいエクリチュール(書かれたもの)が本質的に孤独であり、かつその孤独はたちまち失われてしまうといった[3]。バルトは今日の消費社会が貪欲な消費活動を続けるさまを批判しながら、パターン化された消費とは異なる「新しいもの」である「零度のエクリチュール」を求めた。バルトは『零度のエクリチュール』においてカミュの『異邦人』を取り上げ、それが「ニュートラル」、「無活性」、そして「零度」であると評価した。『異邦人』の文章はエクリチュールの中に望まれない意味、支配的イデオロギーが含まれず、それゆえに嘘を拒否するものとして「正直」なものとして語られているとバルトは主張する。それはエクリチュールが含んでしまう「歴史」——文章が含んでしまうある種のイデオロギー——に意味が拘束されることを免れながら、全面的に責任応答的であり続けるもの——「文学」的解釈を生じさせることが無いもの——として、「文学」を却下するのだ。


 こうして、文学的解釈の拒否により消費社会の支配的言語に抵抗する「零度」は、今日の消費社会上における消費のされ方に対し、それをある意味で批判するものとして読める。このようなバルトの姿勢は今日、全国に量産・複製化された「アキバ」の消費が続く現代社会に内面化された「文学」を乗り越える「零度」として、今まさしく必要とされているのではないだろうか。彼は21世紀のインターネットを見ることなく交通事故で亡くなった。だが、資本主義の有する巨大なイデオロギーからだれ一人逃げることの出来なかった現代の私たちを前に、バルトは何を思うだろう。インターネットを通して無意識的に情報を吸い取られる私たちは、自身が希望するかしないかにかかわらず強制的にフィードバックを受け、過去の経験に類似したものを経験させようとする。その作用はスマートフォンの予測変換や、動画投稿サイトのおすすめなどに登場し、そしてかつて「ユビキタス」と言われ、今では「モノのインターネット(Internet of Things)」という概念を通し、もはや各人におけるインターネットの利用状況に関係なく、私たちは目に見えない巨大な力によって、無意識下で自分が快適になるように自動的な選択が行われている。それはまるで、バルトが「文学」と称した巨大かつ支配的なイデオロギーが、私たちの生活の微細にまで浸透しているようではないだろうか。「零度のエクリチュール」はこうした批判として、私たちにさまざまな新しさを提供しうるものとして、注目されるべきだろう。


 しかし、「零度のエクリチュール」をこのように読み解くのならば、それは20世紀のフランクフルト学派の思想と大して変わらないものとなってしまうだろう。『啓蒙の弁証法』を執筆したテオドーア・アドルノは「文化産業」という言葉によって、20世紀初期から開始した産業社会における芸術の消費に対して避難的な態度を示した[4] 。彼の態度は、本稿が見てきた『零度のエクリチュール』における態度と大きく変わらないだろう。バルトはアドルノ的思想を文学というフィールドで実践した人であるということはできるだろうが、バルトは文化産業批判として作られるエクリチュールがやがて、大衆の娯楽として、つまり「文学」として消費されていくことになることを指摘している点で、より独創的だと思われる。バルトはカミュによって作成されたエクリチュールを肯定的に論じつつも、それがやがては明晰な古典作品として、フランス文学史を形成する一つの要素となってしまうことに自覚的である。


 不幸にも白いエクリチュールほど不実なものはない。自律的な運動がはじめに自由があった場所事態で練り上げられ、硬化した形式の網がますます語りの最初の新鮮さを圧迫し、あるエクリチュールが不定の言語にとってかわって再生する。作家はついに古典派となり、自らの始原的な創造活動のエピゴーネンと化し、社会はかれのエクリチュールをひとつの流儀に変え、それをもまた自らの形式的神話のとりこにしてしまう[5]。

 いくら当時に新しいと評価されても、それがいつまでも新しいままではいられない。だからこそ流行は常に更新され、零度のエクリチュールはその冷たさを保つことはできない。この前提が生涯にわたって展開され続けたバルトの哲学は一貫して悲観的であるように見える。あらゆる文学は単に自由であることはできず、そして文学的伝統から己を逃避することはできない。それでもなお、バルトはあらゆる意味における作家の自由な言語活動が止まらないことを指摘している。


 文学的エクリチュールは歴史の疎外と歴史の夢とを同時に担っている。つまり、文学的エクリチュールは、必然として、階級分裂と不可分の言語の分裂を証しているが、自由として、その分裂の意識であり、その分裂をこえようとする努力であるということにほかならないからである[6]。

 言語の限界を理解しておきながらも、それでも言語の限界を超えようとするバルトの姿勢は、肯定的に見られるべきだろう。


 零度は瞬間でしか保てないことを理解しながらも、新しい表現を求めて実践を積み重ねていく。そのような姿勢は後述のように、現代アートにおける「アートとは何か」という問題と重なってくるだろう。現代アートは常にこれまでの制度批判の上で成り立ち、そして現代アートの美的判断はその批判意識を自らに取り入れながら成長してきた。その中で、私たちはやがて従来の文法に回収されてしまうとしても、その状況を打破するために自らの言葉を作り上げていく必要がある。その作業は人類未踏の領域であるゆえに、孤独な作業になるのだろう。しかし、そのような孤独こそ、私たちが「アキバ」にいたる方法であり、零度のエクリチュールにいたる方法であり、そして全く新しいアートに出会う方法ではないだろうか。


 当初の予定通りに10曲を公開した今、思えば「言語交錯」とはこのような新しい孤独を求めすための作業だったのかもしれないと思っている。その作業は均質化される「秋葉原」、支配的イデオロギーをもつ文学、あるいは私たちの文化産業に抵抗し、新しいものと遭遇する可能性を追求するために行われる。それは一方で、受容者側にとって快楽を提供しない点から、聞き手に不快な印象を与えることもあるかもしれない。そして、そのようなエクリチュールは常に透明なものであるゆえに、多様な解釈の可能性を含む。この曲たちに強い意味があるかといわれればそうとは言い切れない。また、解釈を作者が強制するようなことは、再度バルトによってみればまさしく「作家の死」的な問題で否定されるべきことだろう[7]。「作家の死」という小論の中で、彼は「作家」という存在が近代以降に生まれた独特の存在であることを主張し、その脱構築を通して言語そのものに迫っていった。彼の思想を継承するならば、この曲たちは1曲目から聞き始める必要もないし、そもそも各トラック分けて収録されている以上は、どのトラックを聞き始めるかを巡る自由は受容者たる聞き手にある。その前提の上で、本稿は一つの補助線として書かれた。


 これから続く長い実践の前でも、その後でも、この文章が読まれるタイミングはどちらでも構わないと思う。だが、本稿がどこかで読まれ、そしてこの補助線が何等かの意味で貢献されることを祈りたい。


[1] 2021年1月時点では新型コロナウイルスに伴う緊急事態宣言に応じる形で、歩行者天国は一時的に休止されていた。

[2]中島岳志『秋葉原事件——加藤智大の軌跡』朝日文庫,2013年.

[3]ロラン・バルト『零度のエクリチュール 新装版』石川美子訳,みすず書房,2008年.

[4]テオドーア・アドルノ、マックス・ホルクハイマー『啓蒙の弁証法——哲学的断章』徳永恂訳,岩波文庫,2007年.

[5]バルト,前掲書.

[6]バルト,前掲書.

[7]ロラン・バルト「作家の死」(『物語の構造分析』収録)花輪光訳,みすず書房,1979年.

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