5月10日(火)曇り 後輩との日常・岸元日葵の場合その2
さすがにまだ体が慣れない火曜日。それは授業を受けることだけではなく、岸……路ちゃんの呼び方もだった。ただ、文芸部も今日から再開されるので、そこでも積極的に言っていくしかない。
「み……部長的にはどう思う?」
「わたしはこうだけれど……副部長の意見もわかります」
駄目だった。文芸部という空間においてはお互い役職に就いているので、その呼び方という逃げ道があった。そちらに関しても呼び慣れていないはずなのに、何故か口は滑らかに動くので、名前という部分が大きく引っかかっているがよくわかる。
「はい! 部長!」
「どうしたの、日葵ちゃん?」
一方、岸元さんの方については今のところ呼ぶタイミングがないので僕はだんまりを決め込んでいた。路ちゃんは普通に名前で呼んでいるようで、それに対して岸元さんは話し合いの場だと部長、それ以外の時は路センパイと呼んでいた。
意外に言っては失礼だけど、ちゃんと使い分けができる子なのだ。
「なんか副部長とぎこちない感じがするんですけど、何かあったんですか!」
「ええっ!? ぎ、ぎこちないことなんてないわ。そ、それに今、創作に関係ない質問は止めてくれると嬉しいのだけれど……」
「あっ、すみませんでした! 後で聞きます!」
岸元さんは素直にそう言ったので、本当に邪魔するつもりはなかったのだろう。この短い期間でも岸元さんの言動に悪気がないことは何となくわかっている。
「それで何があったんですか? 産賀センパイ」
「本当に後で聞くんだ……しかも僕の方に」
勉強会を終えると岸元さんは真っ先に僕のところへやって来た。ある意味そこも素直だと思う。
「何もないよ。そんなにぎこちなく見えた?」
「はい。何でそうかと言われたらひまりもわかんないですけど」
「そ、それなら気のせいじゃないかな」
「そうなんですかねぇ……あっ、ところでひまりのことなんて呼ぶか決まりましたか? めちゃくちゃいいニックネーム思い付きました?」
「そのことについてだけど……日葵さんで勘弁してくれませんか」
「えー……結構時間あったのにそれなんですか」
日葵さんは露骨に嫌そうな顔をする。
「逆に聞きたいけど、なんでさん付けだと駄目なの……?」
「ダメってわけじゃないですけどぉ……なんかセンパイから言われるとむずがゆいっていうか、もっとフランクな感じがいいっていうかぁ……」
「じゃあ……ひまさん」
「うわぁ。サイアクです。二度と呼ばないでください」
自分で言っておきながら駄目そうだと思ったけど、そこまで拒否されると思わなかった。さん付けも考えようによってはフランク感が出そうな気がするけど、日葵さん的にはアウトらしい。
「逆の逆で聞きたいんですけど、なんでさん付けにしなきゃダメなんですか? 産賀センパイってちゃん付けアレルギーにかかってます?」
「そんなことはない……はず」
「小さい頃に女の子と遊ぶ時、○○ちゃんあーそーぼーとか言ってませんでした?」
「言われてみると、小さい頃なら普通に名前にちゃん付けできてたかも」
「じゃあ、今呼んでも問題ないですよね?」
「いや、それはちょっと……」
「なんでそうなるですかぁ!? 男子……っていうか、産賀センパイよくわからないです!」
「だ、だって、小さい頃とは距離の詰め方が違うから、会ってそんなに時間が経ってないのにいきなり名前呼びでしかも砕けた呼び方にするのは難しいというか」
「つまり……特別仲良くなるまでは呼べないってことです?」
「そういう感じだと思う。無理に呼ぼうとしてもそれこそぎこちなくなるだろうし……」
「……わかりました。じゃあ、暫くは日葵さんで許してあげます。でも、距離を詰めたくなったらいつでも変えていいですからね?」
「ありがとう、岸……日葵さん」
そう言った僕に対して日葵さんはちょっとため息をついた。
結局、後輩に折れて貰う形になったのは先輩としてかなり情けない。でも、ここを有耶無耶にしてしまうと、今後の活動に支障が出るかもしれないから決められて良かった。
「お疲れ様……良助くん。ごめんね、わたしの代わりに話を聞いて貰ったみたいで」
「いやいや。半分は僕のせいでもあるから。路ちゃんは気にしないで――」
「あー!? 産賀センパイ今、路センパイのことちゃん付けで呼んでましたよね!?」
「あっ。いや、これは……」
「これって……二人は特別な関係ってことです!?」
「「違う違う!」」
「うわぁ。息合ってるぅ!」
今日一楽しそうな表情を見せる日葵さんに今度は僕と路ちゃんが深くため息をついた。
こうして、二人のきしもとさんの暫定の呼び方は決まったけど、日葵さんにはまだまだ振り回されそうな予感がした。
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