5月9日(月)晴れ時々曇り 夢想する岸本路子その2
GW明けの月曜日。僕を含めていきなり通常通りに戻るのは難しい生徒たちは、ひとまずこの一週間で体を慣らしていくことになる。
そんな今日の授業のいくつかは宿題を提出することになっているけど、僕個人としてはもう1つ追加の宿題が残っていた。
「おはよう、岸……本さん」
「お、おはよう?」
朝やって来た岸本さんに対して、僕は不自然な挨拶をしてしまう。松永たちに相談したにもかかわらず、文芸部内の岸本さんと岸元さんの呼び方問題について、僕はまだ腹をくくれていなかった。
こういう時、いきなり呼び方を変えていいもかわからないし、かといって今から呼び方を変えますと宣言するのも何か違う気がする。
「ど、どっちのパターンもあると思うけど……そもそも現実だと最初呼んでた呼び方あんまり変わらないよね」
それを大倉くんに伝えたところ、元も子もない返答されてしまった。でも、現実で起こってしまったし、変える方向で進んでいるのだから、そろそろ踏ん切りを付けなければならない。
「それで華凛を仲介役にしよう……ということですか」
そう考えた僕は花園さんを頼ることにした。いや、これだと踏ん切りが付いていないように思われるかもしれないが、一人で挑むのと誰かいてくれるのでは全然違う。それに誰かを頼るなんて僕にとっては成長しているとも考えられる。
「それくらいビシッと一人で行って欲しいものですが」
「そ、そうですよね……面目ない」
「まぁ、いいでしょう。それで結局なんて呼ぶつもりなんですか?」
「それは……路子さんで」
「そうだと思いました。がっかりです」
「な、なんで!? 別に問題ないでしょ!?」
「問題はないですけれど、呼び捨てなり気の利いたニックネームなり考えたから呼ぶのを悩んでいるんだと思っていました」
「そんな期待されても……」
「あと、ミチちゃん自身も言っていたのを聞いたことがあるとは思いますが、呼ばれたいのは”ミチ”ということを忘れていませんか?」
花園さんは少し険しい顔で指摘する。確かにそう言われたのは何となく覚えているんだけど、前にニックネームを考えようとして何も思い付かなったことから、今回も日和ってしまった。
「あまり言っても仕方ありませんね。それでは行きましょう」
「う、うん。ちなみにどういう感じで言ってくれるの?」
「それはまぁ軽く当たって後は流れでという感じです」
ふわっとしたことを言われたけど、僕に案があるわけじゃないので、花園さんに任せるしかない。
それから昼休み。花園さんと共に岸本さんの席へ突撃する。
「あれ? かりんちゃんと……どうしたの?」
「い、いや、その……ちょっと用事があって」
「う……用事って何?」
「え、えっと……」
僕は花園さんの方に目線を向けて助けを求める。
「リョウスケ~」
すると、花園さんは急に僕の名前を緩い感じで呼んだ。
「な、なに?」
「いえ、何となくリョウスケと呼びたくなっただけです。誰しもリョウスケと呼びたい日はあります」
「どういうこと……?」
「リョウスケはリョウスケでリョウスケだからです」
花園さんはそう言いながら見ているのは僕ではなく、岸本さんの方だった。どういう作戦なのか全くわからないので、僕は困惑してしまうけど、そうしている間に口を開いたのは――
「良助……くん」
「えっ?」
岸本さんからそう呼ばれた時、心臓が少し跳ねた。呼ばれ慣れない気恥ずかしさとちょっとしたうれしさに。
「き……路ちゃん、今僕のこと」
「み、路ちゃん!?」
「あっ、いや……やっぱりさん付けは駄目かと思って……らしくないかもしれないけど」
「う、ううん。全然大丈夫。それより……わたしの方が変える必要はないと思ったのだけれど……」
「僕は……呼んでくれるなら全然」
そう言いながらも恥ずかしくなって僕は路ちゃんの方をまともに見られなかった。
「何を二人して顔逸らしているのですか。それに全然とは……もっと何かあるでしょうに」
「だ、だって、かりんちゃん!」
「二人とも単に名前を呼んだだけです。それより早く昼食を取りましょう。リョウスケ……くんも一緒に食べますか?」
そう言った花園さんはやっぱり僕ではなく路ちゃんの方を見て、路ちゃんはすぐに顔を逸らしていた。
後から聞けば路ちゃんも僕と同じように花園さんに呼び方を変えるタイミングを作って欲しいと相談していたことがわかった。だとしても花園さんが取った行動はよくわからないけど、結果的に上手くいったのだから文句は言えない。
僕もその流れに任せて路ちゃんと呼んでみたけれど……まだ口が慣れていない。恐らく面と向かって呼ぶとなると、もっと口ごもってしまうだろう。
でも、それはこの一週間だけでなく、これからの時間で慣らしていけばいいと思う。
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