第5話
「疲れたわ」
黒坂美佐子(みさこ)は、看護師用の休憩室に戻ると同僚から受け取ったコンビニのビニール袋を置いてソファに座った。昨日今日と夜勤の勤務になっていた。朝、家に戻ろうと思ったが、夜勤明けに午前の勤務に入ってくれないかと言われ、そのまま仕事をしていたのだ。日勤の一人が急用が入り遅刻するらしい。同僚だし、自分も子育てをしていて急に予定が入った時は無理をお願いする事がある。困った時はお互い様なので了承する事にしたのだ。娘には帰れないの旨をメールで送り、同僚に何か食べるものを買ってきてもらったという訳だ。
美佐子は腕に巻かれた包帯を撫でた。
「痛っ」まだ少し熱を持っている。
今日の午前中は目まぐるしかった。院内の電気系統の点検があるなんて聞いてなかった。いえ、本当はカンファレンスで話していたのかも。夜勤明けで私が聞き逃したのだ、きっと。聞いていたらもっと気をつけてた。
いつも通り、朝食の後患者さん達と一緒に散歩に出かけた。いつも歩いている場所だから大丈夫だと思った。けれど、今日は足がもつれて転んでしまったのだ。その拍子に腕を切ってしまった。患者さん達が転ばない様に気をつけているのに自分が転んで、しかも怪我をしたなんて。同僚の看護師に助け起こされているうちに、患者さんの一人が行方不明になってしまった。
私の所為だ。
医師に報告しようとしたが、怪我の手当が先だからと止められた。しかも、その後も部屋に戻って休む様に言われてしまった。
きっと呆れられたに違いない。
せめて報告書を書いておこうと思ったが、ここには無かった。ああ、そうだ。ナースステーションにあるんだった。行って取ってこようと思い立ち上がろうとしたら、足が痺れた。
「転んだ拍子に足も捻ったかしら」
少し休んでから取りに行こうか。
それにしても本当に疲れた。
今の内に少し仮眠を取っておかなくては。そう思いほんの数分、目を閉じた。
つもりだった。気がつくと、時間は午後の4時を過ぎていた。
「大変。そろそろ起きなくちゃ」
美佐子は飛び起きた。
足首を回してみると、痺れは取れていた。
と、部屋をノックされた。
「ママ。いる?」
入って来たのは娘の美玖(みく)で今年高校生になったばかりだ。制服姿が初々しい。寝てしまっている妹の美桜(みお)を抱きかかえていた。ツインテールに結われた髪が顔にかかっている。
「どうしたの?」
「うん。家に帰ったら美桜がどうしてもママに会いたいって言うから来ちゃった。寝ちゃったけど」
美桜は小学2年生で元気いっぱいだがまだまだ体力が追いつかないようだ。
「そう。じゃ、起きるまでベッドに寝かせておいて良いわよ。でも今日もこれから夜勤のシフトで、もうすぐ出なきゃならなのよ」
「うん。わかってる。でも、ママ大丈夫?何だか顔色が良くないわよ」
娘の勘は鋭い。
「美玖にはバレバレね。実は今日、ママ失敗しちゃって。それで落ち込んでいるのよ。勿論、他にも患者さんはいるし、やる事は沢山あるわ。疲れたなんて言ってられない。でも、その患者さんの事が心配で」
「どうしたの?」
心配してくれるのはありがたいが、院内の事情を家族とはいえ部外者には話せない。
「ママは大丈夫よ。それより、美玖はどう?」
「私は大丈夫。美桜もまだ小さいけどママが忙しいのも中々会えないのも理解はしているわ。ただ時々寂しいみたい。グズる時があるから。今日もなだめるの大変だった」
「そう。美玖には苦労をかけるわね。家の事や美桜の面倒を見てくれて本当に感謝しているわ」
「うん。そろそろ帰るわね」
「ええ。気をつけてね」
「ママも無理しないで」
「わかってる。でもやっぱり年かしら。寝ても疲れが取れないのよ」
「やめてよ、ママ。まだそんな年じゃないわよ」
言いながら帰り支度をする。まだ寝ている美桜を抱き上げた。
「美桜、またね。って寝ちゃってるけど。起きなかったわね」
「ママに会えるって、テンション高かったもん。だから途中で寝ちゃうのよ」
美佐子は美桜の頭を撫でた。
「可愛いワンピースね。花柄のエプロンもとっても似合ってるわ」
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