第4話
とあるマンションの一室。折笠桜(さくら)は午後のゆっくりとした時間にワイドショーを見ながらお茶をしていた。結婚生活は5年目で夫は外資系の会社に勤めていて、まだ子供を持っていない。このご時世ではあるが、夫の勤める企業は成績が良いらしく、それなりに優雅に暮らせている自覚はある。
最近、この辺りで強盗事件が起こっていて、ついこの間も5件目の被害が起こってしまった。犯人の目星は全くついておらず単独犯なのかグループの犯行なのかもまだ分かっていない。ただ綿密に計画を立てているらしく、被害に遭う家は必ず家人が留守の時間であったというのだ。どういうルートで家人の行動を把握しているのか、目下捜査中であると警察は発表している。
コメンテーターは最もらしく、その計画が上手くいっている時は良いが、もしその行動が変わって家に人がいる場合、鉢合わせになった時に殺人という最悪の事態にならないか心配であると言っている。
「怖いわね」
桜は呟き、お茶のおかわりをとお湯を沸かし始めた。
ピンポン
チャイムが鳴る。インターフォンで確認すると、胸まである髪を緩くウェーブさせた女性が立っていた。
「美容師の牧です。本日、ご予約を受けておりました」
「はい。少々お待ち下さい」
桜はそうだったかしらとカレンダーを確認すると確かに予定が書き込んである。予定を忘れないようにとメモしていても、そのメモを見るのを忘れてしまうなんて、私ったら本当にダメね。そう思いながらも、ロックを解除した。
最近はサービスの一環で、店舗を構えている美容師さんが訪問施術をしてくれるのだ。もちろん技術職なので特殊な認可が必要らしいのだが、外に出たくない人達からは需要があるようで人気のサービスだ。ただその際、シャンプー等は出来ないので、事前に自身で洗髪をしておかなければならない。彼女も時間がある時にはヨーガのクラスやエステに通っているが、家にいて施術が受けれるなら便利かもしれないと頼んでいたようだ。
数分後ドアのチャイムが鳴る。モニターで確認すると、先ほどの女性と若い男性が立っていた。マスクをしているので人相は分からない。
尋ねると、助手だという。
桜は少し不安に思いながらも二人を部屋へ招き入れた。牧茶々美(ちゃちゃみ)と名乗った人物は持ってきた荷物を広げるよう助手の勇橙(ゆうと)に指示を出した。その際、しまったというような表情をした牧はハサミやレザーの入ったケースを車に忘れて来た事を勇橙に告げた。
「仕方ありませんね。僕、取ってきます。待っていて下さい」
そう言うと勇橙は部屋を出て行った。その間に桜に髪を洗ってくるように言うと、桜はそうねとバスルームへ向かう。
少ししてシャワー音が聞こえると、牧は室内の物色を始めた。そして、ある一点を見つめていたが、シャワー音が止むとスッと顔色を変えた牧は、急いで帰り支度を始めた。
と、そこに桜が頭にバスタオルを巻いて戻ってきた。
「少し、時間がかかってしまったかしら、ごめんなさいね。・・あら、どうしたの?」
急いで帰り支度をしている牧を驚きの表情で見つめた。
牧は笑顔を作りながらも、焦った様子で話す。
「ええ・・ごめんなさいね。実は・・時間を、そう時間を間違えていたのよ、私。そう、貴方の予約の前にもう一人施術の予約が入っていたのをすっかり忘れてて・・。なので、また後で連絡しますね。本当にごめんなさい」
早口で捲し立てるように言うと、桜の返事も聞かずに急いで玄関に向かう。そして振り向きもせずに扉の向こうへと消えた。
桜はそれこそ狐につままれた様な気分になった。そして、部屋の中を見回すと、
「あら」
ある事に気がついた。
ソファの上に忘れられたケープを持ってマンショのエントランスホールへ降りて行く。まだ、間に合う筈だ。
エントランスホールでは、ちょうど車から戻って来た勇橙が、慌てている様子の牧に話しかけていた。牧は事情を説明するのもそのままに、早くこの場から離れるわよと言った。
と、そこに桜が現れる。牧を見つけるとニッコリ微笑んで近づいて来る。
牧は更に青白んで、その場に足が張り付いてしまったかの様に動けないでいた。
ウィーン
その時、住人が帰って来たのか、マンションの自動ドアが開いて子供を連れた女性が入ってきた。桜達を見つけると微笑んで会釈をした。
桜も微笑んで会釈を返し、笑顔はそのまま牧の耳元に顔を近づけると言った。
「残念」
とても女性のものとは思えない低い、冷徹な声だった。
車に乗ると勇橙は牧に言われるまま、車を発進させた。暫く走っていたが、勇橙は人気のない場所に車を停めて、牧を見る。
「ねぇ、茶々美。急にどうしたの?予定変更?せっかく俺が宅急便屋に扮して、家々を回って一人の時間がある金持ち女の情報を収集してるのにさ。あの家だって何か良いものあったぜ」
牧はまだ青ざめていた。
「勇橙・・・。あの女の目を見なかったの?」
「目って?」
「あの女の目は本物の殺人鬼の目よ。殺人が目的の殺人者の目をしてた」
「でも、よく逃げ出せたね。何で分かったの?」
「あの女が頭を洗っている間にカレンダーを見たの。確かに美容師の予約は入っていたわ。でも、それは明日でしかも子連れで訪問と書いてあったのよ」
「・・・」
勇橙は俯いたままだ。
「日付が違う事にも触れずに、子供の話も出さずに私を、いいえ私達を受け入れた」
「・・・」
「それにもう一つ。リビングボードの上に結婚式の写真があったの・・」
そこまで言ってから牧はある疑問に気付いた。
「ねぇ、勇橙・・、何故今日に限って人がいる家を狙った・・・の?」
次の瞬間、茶々美の首にナイフが突き立てられた。そして勇橙は茶々美に近づきニヤリと嗤った。
「残念」
勇橙は電話を取り出した。
「もしもし、桜?勇橙。うん、今やった。部屋片付けて。別の街に移るよ。うん。そろそろ潮時だったよね。警察も騒いできてたし。この女に身代わりになって貰おうと思ってたけどダメになっちゃった。うん。どっかに捨てる。今から迎えに行く」
助手席のシートで動かなくなった茶々美の花柄のワンピースを流れた血が染めている。その様を一瞥すると、勇橙はもう興味がないと言う様に前を向いた。
その頃部屋では電話を切った桜が家中の指紋を拭き取っていた。テレビボードの上に飾られた写真を見て一言。
「お幸せに、誰かさん達。私と弟に部屋を貸してくれてありがとう」
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