フィナーレ③
「リアルスタートが切られてからはオレと唯は殆ど会話はしなくなったけど、ずっと一緒に走っていた。
オレは幼い頃から唯と一緒に走っていて、あの身体であれ程の走りが出来る事をずっと尊敬していた。もし唯の身体が不自由じゃなかったらきっとこんな風に走るんじゃないかって想像しながらオレはその背中を追いかけてきた。
今日の唯はオレの想像通り、いや、想像以上に美しい走りだった。
あの27%の坂、オレは唯の真後ろに付いた。唯はいつの間にこんなに研ぎ澄まされた身体になったのだろう。無駄な物は何もない。無駄な動きも何もない。オレは唯の動きをコピーするように走っていた。最高に気持ち良かった。唯の感じている気持ち良さをそのまま感じている気がした。
唯の隣に並んでふとその顔を見た時に鳥肌がたった。一年前に唯の右頬に薄っすらと出現した三本の爪痕のアザ、オレとお揃いのアザがくっきりとが浮かび上がっていたんだ。
しばらくすると、
前を走る唯を見て寒気がした。その濃い霧は天が源になっているのではなくて、唯が源になり、唯から発散されている感じがした。オレが大好きな雪豹から感じる物に似ていた。何か唯のただならぬ覚悟を感じた。
ゴール前にある下り。視界は殆ど無く道路の先が読めない。ここの下りは長くはないけれど大きなカーブがいくつかある。いつも下りは慎重にゆっくり走っていた唯が先頭に出てキレキレに攻め始めた。オレはたまげた。唯には道が見えているのか? 見えなくても頭の中に入っているのか?
オレは恐怖心を押さえ込んで唯を信頼し、集中しきって唯にピッタリとついて走った。下りきった所で集団が少し割れて先頭は五人になった。
そしてラスト2キロ地点。五人とも既にいっぱいいっぱいな感じだった。オレも苦しかったし、唯もギリギリの感じだった。
視界は更に悪くなり、白いモノトーンの世界が広がっていた。周りの選手の顔さえよく分からないが、その息遣いや気配だけはしっかりと感じ取る事が出来ていた。オレの神経は研ぎ澄まされていた。
ふと、さっきまでとは違う何か不思議な空気の流れを感じた。
色。所々で色が目覚めている。物凄い勢いで霧が吹き飛ばされている場所がある。ほんの少しの青い空と青い山、ほんの少しの茶色い大地と灰色の岩壁。
そしてオレの少し前を走る唯の背中と『team Faith』の黒い文字がはっきりと見えた。肩甲骨が浮き出た背中はまるで雪豹のようだった。
どこからやってきたのだろう。一頭のアサギマダラがふわりと唯の肩にとまった。ギリギリに見えていた唯の力に何かが加わったような気がした。
もしかしたら唯はもう一段あげる事が出来るかもしれないとオレは思った。
『唯、行けよ!』思わず出た言葉に唯は『風斗、ありがとう! オレ達最高だぜ!』って言ってスルスルっとアタックしたんだ。美しいフォームにオレは見とれていた。誰も追う事は出来ず、唯は霧の中に消えた。
その時、信じられない光景が広がったんだ。
ふわふわふわふわと沢山の美しい透明な光が押し寄せてきた。渡りをしているアサギマダラの群れだった。オレ達の頭上を越えた後、まるでそいつらが霧を吹き飛ばしていくように前方の視界が開けていく。
5メートル程先を行く唯の姿がはっきりと現れ、蝶たちが周りを取り囲んで先導しているみたいだった。キラキラキラキラ、いつの間にか唯もその中に紛れていた。
心地いい風が吹いていた。アサギマダラの透明な羽が光を浴びて、
いつの間にかゴールに向かう最終コーナーが近づいてきていた。そこを右に曲がると最後の直線、上りは続くが100メートル程でゴールだ。
アサギマダラの群れはそこを曲がる事なく真っ直ぐに翔んでいた。オレには唯も曲がろうとしてないように見えた。
『唯、右だ!』と思わず叫んだが声は届かない。
その時、突然、実際には無いはずの道がオレには見えた。右に曲がらずに真っ直ぐに続いている道、ずっとずっと天高くまで続いている真っ直ぐな道が!
唯はその真っ直ぐな道を選んで進んでいった。唯の乗っている自転車が消え、唯はアサギマダラになって翔んでいた。
『風斗、最っ高に気持ちいいぜ! ついに自由に動ける身体を手に入れたぜ! お前はトップでゴールを駆け抜けろ! 雪豹になれ!』という声が聞こえた。
オレはギアを一段上げて、最後のコーナーを抜け、ゴールまで全力で駆け抜けた。ゴールでは天に両手を突き上げた‥‥‥。
ありのままを伝えた。唯との約束を果たした」
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