初挑戦②
事前に見ておいた昨年までの大会のビデオや写真で見ていた風景の中を走っている。いや、実際はもっと威圧感を感じる。
トンネルが結構多い。道路二車線を使用しているので車線を分けるキャットアイ(小さな出っ張り)は集団の中だと気を使う。下手に乗り上げたら落車に繋がりかねない。
昨年八月末の乗鞍で、王さんからこのレースの事を聞き、あれから一年ちょっとの間、唯と風斗は出来るだけのトレーニングを積んできた。
唯は出るからには完走したいと思っていたし、風斗は気持ち良く誰よりも速くゴールまだ駆け抜けたいと思っていた。
唯はこのレースをどんな風に走るか、ずっと思い描き続けてきた。
情報によると長い長い105キロの上りのレースであるが、85キロ地点から4キロ程の下り区間がある。そしてそこから本当のレースが始まるという感じらしいのだ。
既に標高2200メートルを越えている所から標高差1000メートル以上アップする。最大勾配は27%だ。
ラスト15キロを自分はどんな風に走れるのかワクワク感と恐怖心が入り混じった気持ちでコースマップと睨めっこしてきた。
ただでさえ自分の思うようにならない身体、既に90キロを走った身体が動いてくれるのか?
動かないのは当然だ。でも唯は風斗に教わったアサギマダラのイメージを追いかけている。
あんなに小さくて、小さな力しか持っていないアサギマダラがガイアの力を貰って物凄いスピードを出したり、あんなに長い旅をする。
自分もそんな風にガイアの力を貰って走りたいとずっと思い描いてきた。このレースのラスト15キロはまさしくそれが試される地点なんだという気がしていた。
しかしそれはレースがスタートする前まで思い描いてた事。
オレ、やるじゃん。いけてるぜ。レースって思っているよりも力が出るものだったよな。
いざレースがスタートすると今を走っている事が嬉しくて、楽しくて、夢中になっていた。
よし、今できる最大限の速さでゴールしてやろう、と欲が出てきて前へ前へと漕いでいた。大自然から、そしてこのコースに一緒に挑んでいる選手達から力を貰って、いつも以上にいい走りが出来ていた。
力が似通った数名のグループが自然と出来ていく。レース中盤、唯はその中で走っていた。
まだまだ余裕もあったのでグループの中で前を積極的に引いた。心地よいきつさの中で、自由に動かないながらも上手く身体を動かして、今できる最高の自分を出していく。
オレはまだ出来る、もっと出来る、大丈夫だ、と自分自身を励ましながら唯は進んでいた。
「え? マジか? まだここからだぜ」
今までの強気な気持ちに陰りが見え始めたのは、三番目のフィードゾーンを過ぎて、1キロ位走ったあたりであろうか。唯は脚に違和感を感じ始めた。
コース中には、水やバナナなどの軽い食料を補給出来たり、救護処置をしてもらえるフィードゾーンが四箇所設けられていて、約80キロ地点にある三番目のフィードは無事に通過した。
一度自転車から降りると、他の選手よりも停止やスタートに時間を費やしてしまう唯は、出来るだけフィードゾーンを使わなくて済むように、また上手く出し入れ出来ないボトルを使わなくて済むように、水分補給を簡単に出来るハイドレーションパックというバックを背中に背負って走っていた。
どこか一回はフィードでの補給が必要かと考えていたが、止まる時間は本当にもったいないと感じていて飲む量を最小限に抑えて走っていた。そのフィーゾーンを通過したばかりなのに‥‥‥。
脚には元々違和感はあるのだが、それまでと違った違和感で、
唯は感覚が鈍いから痛みというのは殆ど感じないのだが、明らかにこれまでとは異なった感覚に襲われ、ダンシングも出来なくなった。
そう、自転車に乗れるようになってからも、このサドルから腰を浮かせて走るダンシングをマスターするのは大変だった。
腕も体幹もあまり力が入らない中で、野生動物をお手本に編み出してきた独自のダンシングだ。まるでダンスを踊っているように、これが出来るようになって、自転車に乗る喜びは何倍にもなった。
そのダンシングを封印されたのは辛い。脚に掛かる負担は益々大きくなる。自分のいる集団のペースはとてもゆっくりに感じているのにスピードを上げられないもどかしさ。
とにかくそのスピードに我慢しながら回復に努めたが、状態は少しずつ悪化していき、ごまかしごまかし集団についていく事となる。
この先を考えると不安が募る。出来るだけ違和感のある所に負担をかけないように身体を上手く使って距離をこなしていった。
水分補給を抑え過ぎてしまっていたな、自業自得だ、仕方がない、と我慢の走りが続いた。
85キロ地点からの4キロ程の下りに入った。ついていきたい気持ちを抑え、この下りは周りの選手に合わせず、とにかくゆっくり安全に下る。これは今の唯の身体ではいた仕方ない。
ここを下ると一番キツイ坂がやってくる。そこからが本番のはずだ。ここまではウォーミングアップであるとさえ聞いていた。
今のこの状態で果たして本番を迎える事が出来るのか? この下りで何とか回復してくれ、オレの脚! と唯は脚の回復だけを願った。
回復してきたか? に思えたのも束の間。下り終え、上りに入ると、まだ勾配が全然緩いのに脚の異変が激しくなってきた。
止まりたくはなかったが、これ以上の水分不足は危険だ。最後の補給地点で唯は止まってペットボトルを貰い、ゆっくりと水を飲んだ。今更遅い感はあったけれど、
どうか、脚が回復しますように‥‥‥
しかし、その願いは
一度止まってしまった唯は再び漕ぎ出す事が出来なかった。
一年以上ずっと思い描いていたラスト15キロ。挑戦を最も楽しみにしていた地点はここからだというのに、そこに挑戦する事すら出来なかった。無念だった。
自転車に乗る事も歩く事も出来ない。もうその場に立っている事さえ出来ない。
唯が今出来る事はたった一つしかなかった。それはここでレースをやめる事。
フィードゾーンの救護の人に告げた。
「the end.」と。
涙は出なかった。めちゃくちゃ悔しい筈なのに唯は笑っていた。
「まいったな」
甘くみていた。この坂に挑戦する事さえ出来なかった、と目の前に続く急な坂道を見上げた。
一年かけて、もう一度挑戦したい。
ズタズタに切り裂かれた身体と心である筈なのに、そんな事を考えている自分が可笑しくて笑ってしまった。
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