第4章 complete(完遂《かんすい》) 〜台湾KOM〜

初挑戦①

 翌年、唯と風斗はヒルクライムのスタート地点にいた。


 暗闇の中、大勢の選手達がライトを付けて各々の方向からスタート地点に集まってきている。

 間も無く十一月になろうとしているというのに、半袖半パンのウェアでも身体を冷やしてしまう心配はいらない。ムワッとした空気はアジア特有のものか。そう、ここは台湾の花蓮かれん


 目の前にはスタートラインとなるゲートがある。「TAIWAN KOM」の黒くて大きな文字が浮かび上がっている。

「KOM」とは「キングオブマウンテン」の事で「山岳王」を意味する。ゲートの向こうには大きな海が広がっている。

 標高ゼロメートル。ゴール地点は標高3275メートル。

 世界中の「坂バカ」達がここに集結し、105キロにも及ぶ自転車ヒルクライムレースにこれから挑もうとしている。


 暗闇は少しずつ色を取り戻し始め、行き交う選手達の顔もはっきりと見えるようになってきた。

 東の空がピンク色に染まり、海の中から神々しい光が顔を出す。オレンジ色の光がまぶしくて、唯は思わず目を細めた。


「きれいだ!」

 太陽の光を全身に浴びたくて、唯は車いすに乗ったまま両手を目一杯に開いて深呼吸をした。

 ここのスタート地点に立てるという感謝の気持ちで満ち溢れている。いいレースが出来そうな予感がした。


 大会側が唯のサポートをしっかりと行ってくれている。スタートまでをサポートしてくれる者、レースで唯が走る事をやめた場合の連絡の取り方やその後のゴール地点への搬送方法、ゴール地点でのサポートから下山方法など、王の指示の元、全てが入念に準備されていた。


 スタート地点で唯は既に人気者だった。

 大会のホームページで事前に招待選手の紹介を行っていたので、注目を集めていて、スタート前に一緒に写真を撮ってほしいと多くの選手に頼まれた。

「オレ、選手の時もこんな事されなかったのにな」

 唯は上機嫌だ。風斗は隣でそんな唯を誇らしげに見ていた。


 スタート地点は殺気だった感じがまるで無い。日本で行われるメジャーなヒルクライムレースのように、早くから場所取りをしたりする事もなく、直前まで友達と談笑し、自然に整列していく緩い感じが心地よい。

 このレースにはパレード区間が設けられており、スタート直後から真剣勝負が始まらない事が選手達に余裕を与えているのかもしれない。

 唯は安全第一を考え、一番後ろからスタートする事になっていた。風斗は招待選手として最前列のスタートを促されたが、風斗の希望で、一番後ろの唯の隣でスタートする事になった。



 午前6時30分、スタートが切られた。

 このレースは男子はトップカテゴリークラスと年齢別に区切られたクラス、ひとまとめの女子クラスと別れているが、クラスに区切る事なくゴチャマゼ状態で約800名の選手が一斉にスタートを切る。

 スタートから18キロ地点まではオートバイが先導するパレード走行だが時速40キロほどは出ている。


 怪我をする前、唯にとって最後のレースとなったインカレは十五年程前。乗鞍はニ回走ったものの、密集した集団走行はその時以来でスリル満点だ。

 他の選手とぶつかって転んでしまったら大変だ。安全マージンをとって前と少し間隔をあけているが、集団の後ろは空気抵抗が極めて小さく、自分は頑張って漕がなくても勝手にスピードに乗って速く走れる感じが何とも気持ちいい。


 この区間は上りといっても傾斜は極緩く、集団の中では平地感覚で走れてしまう。隣に風斗がいてくれるので安心して走れている。集団で前へ前へと進んでいく、その空気を切り裂いていく感覚がたまらない。


 そう、ここがオレの居場所。オレは生きていると一番感じられる場所だ。自転車が大好きな人達、坂が大好きな人達と一団となって走っている感覚を唯は楽しんでいた。


 大きな橋を渡るとリアルスタートが切られる。その前に唯が風斗に言った。

「オレはもう大丈夫だから、あとはお前のレースをしろよ。サンキュー。ゴール地点で会おうな」

「無理するなよ」

 そう言葉を残して風斗はスルスルと集団前方に上がっていった。



 リアルスタート!

 旗が振られても唯の位置からはとても確認出来ないが、スピードが上がり、集団は縦長に伸び、スタートしたんだという実感が沸く。

 唯は自分のペースを守りながら、ポツポツと遅れていく選手を抜かしていって少しずつ順位を上げていった。

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