変貌②
ニ人が呆気に取られている間にも選手は次々とゴールしてきていた。
「唯は? 唯はどこを走っているかしら」
凛が目を凝らし、双眼鏡を当てて唯を探した。
「風斗が53分位だったんじゃないかな。いいタイムだ。唯はまだだいぶ下の方だろう」
そう言いながら史也も唯を探した。
やはりラスト3キロ位の所で唯を確認出来た。凛はもう泣いている。
唯がレースを走っている。その姿を見ただけで色んな思いが込み上げてきてしまった。
寝たきりだった頃の唯の姿、必死にリハビリに励んでいた姿、泣きながら笑っていた顔、次から次へと浮かんできた。
「ダメダメ、しっかり見なきゃ」
ひとり呟き、涙を拭いた。
だんだんと唯が近づいてきて肉眼ではっきり見えるようになった。
苦しそうだけど嬉しそうに見える。フォームも崩れる事なく最後までしっかりと踏めている。ゴールをしっかりと見つめて突き進んでいる。これが風谷唯だ。
「ゆい〜!」
ニ人が同時に叫んだ。一瞬唯の目がこちらに動いて
唯はラストをもがききった。
唯はゴール地点、山頂を越えた。今出来る全てを出し尽くした。
ありがとう。
ゆるい下り坂に任せてペダルを止める。嬉しいのか悔しいのか、気持ちいいのか悪いのか。気持ちは熱いのか冷静なのか。複雑な心を宿した全身を優しい風が
神様が用意してくれていたようなエメラルドグリーンに輝く池が目に入った時、少しだけ涙が出た。
オレは何で泣いているんだろう?
凛はやっぱり泣いていた。
「凛、大丈夫か? 早く待機場に向かおう」
「うん。うん、早く行かなきゃ」
ニ人は小走りで待機場に向かった。
待機場は大勢の選手達でごった返していたが、車いすに乗った唯をすぐに見つける事が出来た。
ニ人が近づいていくと唯が気づいて手を上げた。隣には風斗がいる。
風斗に違いないが一回りも二回りも大きく見える。
凛が「お疲れ様〜」と言いながら史也と一緒に歩みを止めた。
唯が風斗のお尻を指でつついて何かを促している。
「とうさん、かあさん、ありがとう」
声変わりをした若い少年のような低い声がした。
「えっ?」
「風斗が言ったの?」
唯が笑っている。
「こいつ、声変わりしたみたいなんだ。今は言葉もスッと出る。喋る言葉は相変わらず少ないままだけど。それにやけに
たった一時間で人間はこんなにも変わる物なのか? とまた史也は驚いた。だけど変わっていない所は変わっていない。
このニ人がさっき自分達の前を通り過ぎていった選手だとは思えなかった。
凛がまた泣きそうになりながら言った。
「すごかった。ニ人共。唯、風斗、おめでとう!」
史也は興奮を隠し切れない。
「風斗、たまげたぞ。お前はスゴイ奴だ。唯もいい走りだったぞ。トレーニングを上手く進められなかった中で上出来だ。後でゆっくり話そう。オレ達は観戦バスで戻るからまた後でな。すぐ体が冷えるからちゃんと着替えろよ。風斗、頼んだぞ」
中学生が優勝したという事で待機場は騒然としている。風斗にインタビューをしたがっているテレビ局や雑誌社が沢山待ち構えていたが、風斗は「後で、後で」と構わず唯の手伝いを優先させ、下山バスに乗り込んでしまった。
どう対応したらいいかも分からなかった。
下山車に乗り込み、ニ人共しっかりと着替えを済ませた。唯は普段は自分で着替える事が出来るが、レース後は上手く体が動かなかったので風斗に手伝ってもらった。
「サンキュー、いつもありがとな」
「いいさ。唯、ちょっと話聞いてくれるか?」
まだその風斗の声と話し方に慣れていない唯は少しドキッとした。
「勿論、何だって聞くさ」
そう言うと風斗が話始めた。
「オレ、今は話せる。去年、このバスの中で何故か初めて自分から少し話せた。今も唯に話せてる。でも、何ていうか、普段はこうはいかないんだ。言葉が頭に浮かばないし、何か話す事ってすげ〜疲れるっていうか。
オレ、ちょっと普通の人と違う事がコンプレックスっていうかさ。あの時とか今とか、話せる時はちょっと魔法を掛けられてる気分なんだ」
唯は驚いていないで今を逃すなと自分に言い聞かせた。
「魔法か‥‥‥。くだらない事を百言える奴より、大切な事を一だけ言える奴の方がよっぽどカッケーってオレは思うよ。心配するな。いつもお前がオレをフォローしてくれているように、オレがお前に対して出来るフォローはするから。
それにお前の言葉は純粋だから、聞いてる人に浸透するんだ。今の風斗のままでいいし、普段も少しずつ話せるようになってきてる。焦らなくても大丈夫だ」
「唯、ありがとう」
「そうだ、魔法が溶けないうちに一つ聞いておきたいな。風斗の今日の走りを見て、色んなチームから誘いの話がくると思うんだ。これからの事、やりたい事、今日走って今はどう思う? 走り終えたばかりの今の気持ちを聞きたい。
それと、今日のレースはスタート前から勝つ自信があったのか?」
風斗は一つ即答してきた。
「勝つ自信があったわけじゃない。でも一年間、一番でゴールする事しかイメージしてなかった」
唯は再びドキッとさせられた。
何て奴なんだ。
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