変貌①

 一年間、唯と風斗はこの日に向けて本気で取り組んできた。


 レース前日、スタート地点の近くの宿舎には、唯と風斗だけでなく史也と凛も一緒に泊まっていた。

 史也はその日、指揮をとるプロチームのレースが無かったので、このニ人のレースをしっかりと見たいと思っていた。それにこの四人でどこかに泊まって旅行をするなんて事はこれまで無かったので、そんな事も大切だと考えた。


 唯に関しては、この一年間のトレーニングは順調とは言えなかった。唯は昔からトレーニングをやり過ぎる傾向があり、その為に今回も体調を崩してしまう事が多かった。

 それでも何とかレースに合わせてきて、昨年の自己記録は大幅に更新出来るだろう。チャンピオンクラスエントリーの目安が一時間二〇分以内なので、そこは楽にクリアーできるはずだ。


 風斗は昨年まではトレーニングらしいトレーニングはしていなかったので、本気で取り組んだこの一年で大きく進化した。身長もだいぶ伸びて中学生らしく見えるようになった。

 そうは言っても史也の目から見るとまだまだ風斗は追い込みが足りない。本人は全力を出しているつもりだろうけれど、出し切るトレーニングが出来ていないと感じている。

 それでもレースの半分以上は先頭集団で走れるだろうし、流れに乗れば一時間を切って、上手くいけば十位以内を狙えるかもしれないと考えていた。

 勿論これまで、中学生でそんな走りをした者は皆無だ。


 史也はこのレースに関してニ人に何か指示を出す事はない。

 唯は自分自身をよく知っているし今出来る全力を尽くしてくれるはずだ。

 風斗は本能で走るタイプなので、指示は混乱を招くだけで何の意味も持たない事は分かっている。


 レース中は伴走する事も出来ないし、出来る事といえば、選手がスタートする前に観戦者用のバスに乗ってゴール向かい、ゴール付近で見ている事とゴール後に迎えてあげる事位だ。


 それでも史也は今回は実際に自分の目で見る事に意味があると思っている。

 凛に至っては唯と風斗のレースを観る事が楽しみで仕方ないようだ。

 本当に唯がレースを走る姿を観る事が出来る日が来るなんて、どんな夢よりも夢みたいだと思っていた。そして風斗はどんな走りをするのか想像がつかず、それを観る事が純粋に楽しみだった。



 史也と凛はゴールのすぐ近く、遠くから上ってくる選手を見渡せる所にいた。肉眼では選手がすぐ近くまで来ないと誰だか確認できないが、双眼鏡を使えばかなり遠くから分かる。

 ラスト3キロ位からははっきりと確認できた。


 先導者の後に先頭集団は六名。一番後ろに風斗が付いているのを確認した。その表情までは読み取れないし雰囲気が風斗と少し違うように感じたが、「team Faith」のウエアーを着ている。史也達は六名の中に風斗が残っている事に驚いていた。

 後続とはかなり間隔が開いているし、ここにきて後ろから追いついてくる選手はいないだろう。


 双眼鏡越しに風斗の姿を追う。


 一番後ろに何とか食らい付いている感じだった選手が、わずか3キロの間に変貌へんぼうする姿を見た。

 いや、これはラスト3キロだけでなく、スタートから一時間にも満たない時間の中で風斗は大きく変貌したに違いない。


 信じられない光景だった。

 ラスト3キロからスピードが上がった事を示す縦長の隊列となり、一人また一人と落ちていく選手がいる中で、風斗は落ちていく選手をどんどんと追い抜いているではないか!


 ラスト1キロで三人の争いとなり、肉眼でもはっきりと姿が見える。

 風斗が先頭を引いている。牽制など考えずに全力で!


「美しい!」

 そう思った。史也も凛もそう思った。

 史也は沢山のレースを見てきたが、こんな風に感じた事は今まで無かった。


 激しい熱いレースは沢山あったし、あとから映像を見てフォームが美しいとか感じる事はある。だけどそういうフォームの美しさとはちょっと違う。

 風斗が発しているのは何て言ったらいいのだろう。うまい言葉は見つからないが、野生動物を見ている感覚に近かった。


 風斗は目の前を疾風のごとく駆け抜け、先頭を譲る事なく一番でゴールした。

 ゴール地点はとても狭いので選手はそこに留まる事なく、少し下った待機場に行く事になっている。 

 風斗達もそのまま行ってしまった。



 風斗はゴール地点、山頂を一番で越えた。ここは長野県と岐阜県の県境。

 勝った。もう漕がなくていい。身体中が酸素を求めている。呼吸が荒い。出し切った。 

 ゆるい下り坂に任せて軽く軽くペダルを回しながら、勝ったんだと思う。


 心地いい風を頬に感じる。吸っても吸っても酸素は足りずクラクラしているが、雄大な景色はオレを一番最初に迎え入れてくれた。


 そびえ立つ緑の山々と、エメラルドグリーンの澄んだ美しい池が目に飛び込むんでくる。太陽の光が反射してキラキラと透き通った青が差し込む。

 ここは天国か? 昨年も見ているはずなのに、こんな風には感じなかった。



 史也と凛は風斗のゴールを見届けて、しばし無言で立ち尽くしていた。


「勝った」

 しばらくして史也が小さくつぶやいた。凛は震えていた。


「か、かざと、だよね。勝ったのは風斗、だよね」

「あいつ、何て奴だ‥‥‥」

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