アサギマダラ①
風斗は小学校には行かなくなったが、ズーズーでも家でも沢山の事を学び、毎日充実した日々を送っていた。ズーズーでは何人かの友達も出来た。
まだちゃんとした文章で話す事は出来なかったが、いくつかの単語を並べて自分の思いを伝えられるようにもなってきた。感じ取る事に加えて人が話す言葉もだいぶ分かるようになった。
そんな風斗を近くにある中学校が受け入れてくれたので、普通の中学校に通った。
早朝に自転車でズーズーに行って、朝の手伝いをしてからその足で学校に行くという日々を送った。
同い年の子供達とは言葉は通じなくても意外と分かり合える所があるようで、親達の心配をよそに友達も沢山できた。
この頃、風斗は自転車選手としての
決して無理に速く走ろうとしないのだが、身長の割に長い手足と柔らかな美しいフォームは史也と唯でさえも嫉妬を感じる程だった。
風斗の走りを見れば、「こいつにレースを走らせたい」と誰もが思うはずだ。
しかし風斗は自転車に乗る事は大好きだったがレースには一切興味を示さなかった。興味は野生動物のように気持ち良く走る事にしかないようだ。
普通なら風斗が小学校で過ごしたはずだった期間、その六年間で唯も大きく進化した。
車いすを手放す事は出来なかったが、自力で立ち上がり、杖を突いて数メートル位は歩けるようになり、助けを借りる事なく一人で自転車に乗れるようにもなっていた。身体の麻痺は残っていて感覚も薄いが、汗もかけるようになったし、排泄も自力で出来るようになっていた。
特筆すべきは、やはり唯の自転車を漕ぐ能力だ。唯は自転車に乗っていない時は、車いすに乗った障害者だが、ロードに跨って自転車を漕ぐと別人のようだ。
怪我をする前の、高校生の頃やインカレの時と同じように走る事は今は勿論出来ないが、再び自転車に乗れるようになってからずっと進化し続けている。
今の身体での精一杯をぶつけられる事がたまらなく嬉しい。それを繋げていく事で速くなっていく事、強くなっていく事が出来る。自分自身の漕ぎ方を編み出していく事、その為の努力が出来る事が幸せだ。
あの怪我をしていなかったら、一般的な漕ぎ方しか出来ていなかった、こんな進化を楽しむ事は出来なかったと思うと、あの怪我は神様からのgiftであったとさえ思えた。
唯の自転車のトレーニングは、その殆どが安全なローラー台で行われている。
史也か風斗が一緒に走れる時は外を走る。史也は唯を置いて先に行ってしまう事はないが、風斗は時々唯を置いてけぼりにする。
そのやり方は絶妙だ。自分が走りたいように走っているようで、決して唯に危険が伴うような事はしない。
風斗の後ろ姿を見送る時、唯はいつも思う。
「くっそ! あいつカッケー!」と。
今は大人と子供以上に差があるが、唯はそんな風斗と一緒に走れるようになる事を諦めているわけではない。
唯はどんなレースでもいいから一度風斗を走らせてみたいとずっと思っていた。
唯自身も、上りだけで安全なヒルクライムレース位なら走れそうだし、走ってみたいと思い始めていた。
風斗が中二になった春、中学校生活にも馴染んでいるように思えたので、唯は思い切って相談してみた。
「なあ、風斗。いやだったら無理にとは言わないけどさ。オレ、ヒルクライムレースに出てみたくなってきたんだ。上りだけなら安全だし走れそうな気がする。
でも誰かに手伝ってもらわないと走れないし。風斗もレース走って、ついでにオレの手伝いをしてくれたら嬉しいなって思ってさ。
八月に乗鞍ヒルクライムっていうレースがあるんだけど、アマチュアレーサー達の甲子園みたいな感じで、凄く魅力ある大会みたいなんだ。
チャンピオンクラスとは別に年代別クラスがあって、中学生の部もあるし、クラス毎にスタートするらしい。オレが出場する三十代のクラスより風斗のスタート時刻の方が早いみたいだから、オレのゴールを迎えてほしいんだ。風斗も一回走ってみたらどうだ?
レースは日常では感じられない事を色々感じられる。風斗は何を感じるか、オレすごく興味あるんだ」
意外にも風斗はすんなりと受け入れた。
「うん。走ってみる」
表情は無いがしっかりと頷いて受け答えが出来る風斗を見て、唯は小さいガッツポーズをした。
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